壁の向こうは孤独な自由の世界? | ||||||||||||
ベルリンの壁が崩壊したのは、1989年。 このベルリンの壁の認識は、多くは「旧東ドイツと西ドイツの国境」というとらえられ方をしています。(実際当時の私はそう思っていた) 壁で区切られた日1945年 資本主義国家とは、一人一人の個人が自由に会社や商店を経営することが許され、ものの売買にて利益を得る、私たちにはすっかりおなじみの社会体制を中心とした国家ですが、社会主義国家とは、国民は皆公務員。国の計画生産によって、国として得た利益を国民に共同分配する、貧富の差のない体制を中心とした国家です。(そのサンプルとして、今一番身近なのは北朝鮮か。気になる・・・) 戦後、どこも同じような状態であったドイツ。この国土は資本主義と社会主義に分かれて復興の道を歩み始めます。 たった数年で、次第に資本主義経済と社会主義経済の格差が明確に目に見えて現れ始めます。多くは、経済格差でした。 人口、というよりも貴重な労働力がどんどん資本主義社会に吸収されてしまい、労働力の流出による計画生産の狂いが発生してしまうと怒った社会主義体制の東ドイツは、とうとうベルリン市内の資本主義社会をすっぽり覆いつくすための「壁」を作ることにより、人口の流出を物理的にせき止めてしまいました。 これが、ベルリンの壁でした。 1961年8月13日より、ベルリンの壁が作られます。 最初の「壁」は、鉄条網における封鎖から始まります。 まずは鉄条網を張り巡らせることで、人々の行き来を止めました。それを越えようとする人を止めるため、東ドイツはあちこちに銃を持った兵隊を立てて見張らせました。 ちなみに、東ドイツと西ドイツの、「本来」の国境は、 そして、アメリカと旧ソ連を中心とした「冷戦時代」に突入します。 ベルリンの壁の崩壊<
ベルリンの壁の崩壊が始まったのは、1989年11月9日のことです。 その頃は既に旧ソ連を軸とする社会主義体制の政治は各国で崩壊し始めており、東ドイツやハンガリーなど、社会主義各国は各地で反体制運動が起こります。 ハンガリーでも時を同じくして、自由化への運動が高まりつつあり、ついに政府は自由化へと動き出しました。 これは、たった13年前の出来事です。 この夏、東側の人々は、自由に行き来できる共産圏のハンガリーへ「休暇・旅行」の名目で旅をします。その人数は数万人であったともいわれます。 1989年夏、ハンガリーの反政府団体が集会を開きます。この集会にはハンガリーだけでなく、東ドイツ人も多数参加していました。 そして、このピクニックは実行に移され、この日だけで東ドイツの900人もの住民が越境したのです。
この話は瞬く間に伝り、資本主義の国へ越境したい東ドイツ人が次々とハンガリーに殺到します。 その年の秋頃から、東ドイツの中では自由化を求める運動が盛んになり、デモが多発。 東ドイツ市民はその夜から次々とベルリンの壁の検問所(チェックポイント・チャーリー)に詰めかけ、出国を求めます。 テロのトポロジー
ベルリンの壁のすぐ近くに、「テロのトポロジー」があります。 現代に生きる私にとって、「お金を稼ぐこと」は自分の選択。 でも、社会主義国家とは、そんな「選択」の自由が残されていない連携プレーの国家です。 目の前に壁があって、その数十メートル先には自由の国がある。 資本主義経済と、共産主義経済の国家は、地球上で平和に共存できない異質な国家と思います。 そんな気持ちで壁を後にしました。 他にも、見たいところはたくさんあったのだけど、悔いを残しながらね・・・(笑) |
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東西ドイツ統一のシンボル、ブランデンブルグ門を見てきた! | ||||||||||||
この後、壁にそって「ブランデンブルグ門」へ行く際、
途中には、アーティスティックな「壁」や、検問所(チェックポイント)など、興味深いものがたくさんありますが・・・ こんな健脚で激しく自転車をこがれると、ワタクシのカメラではまともに周辺の景色が撮影できません!(笑) というわけで、この壁跡からブランデンブルグ門への道のりの写真は涙を呑んでくださいね〜。 ブランデンブルグ門この「ブランデンブルグ門」は、ちょうど東西ドイツを隔てる壁の中央に位置しています。
この門は古代ギリシアの神殿、「パルテノン」の柱を模範にして設計されたそう。
ちなみに現在、門の周囲の建物の改築が完全に完了していないようでしたが・・・ |
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春のドイツ料理は贅沢だよ! | ||||||||||||
世界各国どこへ行っても、「その土地の料理」を食べないと気がすまないワタシ。 この季節ねーホワイトアスパラがそこらじゅうに出回ってるの。 そうそう、ドイツはパンが美味しいというのは本当だった!フランスパンだけどもちもちしてウマイよ!
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夜のベルリン | ||||||||||||
ベルリンからポーランド間は夜行列車で移動します。
まるで巨大な工場のようなドームに覆われたホームは、まさに「出発」にふさわしいノスタルジックな雰囲気です。 入ってくる電車(汽車?)は、さすがヨーロッパ各地から電車が乗り入れてるだけあって、色も形も、様々です、二階建て電車とかもあったよ〜。 つくづく思うのだけど、ヨーロッパの鉄道って、日本のように「改札口」ってのがないから楽だよね。
1Fはキレイなショッピングセンターのようになっていて、ホントにここってつい最近まで共産圏?って感じだったな〜・・・ あ、あとEURでは結構ペットを駅に連れてきてる人を見かけました。 電車にペット乗せて一緒に旅行していいの?
でも・・・ここで気持ち悪い事件が。 キオスクの前に喫煙所があったので、電車を待ちながら、ぼけーっとタバコを吸ってたときのこと。 「いっひっひっひうをっほっほっほフェッフェッフェッフェ〜〜〜〜」(ドイツ語) な、なんだ?このオッサンは!?
ウザいなーと思いつつも、平常心を保っている私は、またそのタバコを口元にもってきて、 そのオッサンは私に手を伸ばしてくるではありませんか? 「何よ?用があるなら私に聞かないでもいいじゃない?あっち行ってよ!」 当然ながら日本語は通じない。(アタリマエ) オッェェェェェ〜〜〜〜〜!! ワタシはあのオッサンの存在よりも、 ベンチに座りながら、奥様方にドイツ語でお礼を申し上げた。お金持ちそうではないものの、微妙に品の良い紳士婦人だった。 ちょっとキレイな列車が来たので、「コレに乗るの?」といったら、違うと言われる。 ・・・それ以前に、ワタシはドイツ語もわからないのだけど、なぜ知らない国で意思疎通ができているのかよくわからない。妄想か?
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