路面電車のある街角 - Krakow:Poland -

-古都と文化の保たれてる街、クラクフ -
クラクフの街そぞろ歩き


Rynek Growny --- Krakow Poland 2003 ----


=聖マリア教会=

現在の首都がワルシャワになるまで、ここクラクフはポーランド王国の首都として機能していました。
14世紀から16世紀後半まで主権を握っていたポーランド王国の王朝はヤギェウォ王朝といい、
当時は、ボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並ぶ中欧の中心地です。

この街は、第二次世界大戦の戦火を逃れ、何もかもが古きよき時代の面影を残しており、しかも街全体がそのままユネスコの世界遺産として指定されている、大変美しく文化的な街です。


=織物会館の華やかな回廊=

ちょっとイタリアのフィレンツェに似た雰囲気。まさに古都。
私がこの旅の中で一番気に入った街も、ここクラクフの街でした。

クラクフの町はこぢんまりとしていて、中心部はほぼ全域を徒歩でまわることができます。
駅から徒歩10分ちょっとで、中央市場広場(Rynek Growny)に出ます。

この広場は本当に大きな広場で、広さは4万平方メートルにおよびます。
中世ヨーロッパの広場では最も広く、美しいといわれており、ひたすらぼーっと眺めていたくなる雰囲気です。

何世紀ものあいだ、どれだけたくさんの人々が行き交い、集い、さまざまな歴史がこの広場で繰り広げられてきたのかと考えると、その歴史の広大さに背筋がゾクゾクとします。

この広場の東側に、「聖マリア教会」があります。
この教会は、1222年に建造された、美しいゴシック様式をもつ建物。
広場に面して、2本の非対称な尖塔をもちます。
レンガ造りの教会としては世界最大のもので、その聖壇は国宝に指定されています。
その頃から8世紀を経た今でも、その美しさが伝わってきます。
美しいものに国境も時代もないものね。


=右手に見えるのが「織物会館」=

夏には、時々ここで結婚式も行われたりするそう。
1時間ごとに、塔の上からはラッパが吹き鳴らされます。
その昔、モンゴル軍がここクラクフを襲撃した際、的の襲来を告げるラッパがこの教会の塔から吹き鳴らされた。
このラッパを吹いていた人は、モンゴルの敵兵の放った矢で喉を貫かれ殺されたそうです。
その追悼として、ラッパが吹き鳴らされるそうです。

そのときは、そのことを知らなくて、
カフェで休んでいたときに、たくさんのギャラリーが塔を凝視している視線の先を探したら
ラッパの音が聴こえました。
からくり時計でもあるの?と視線の先を探したワタシってやっぱり単純な日本人!?

 

このクラクフ。古いだけでなく、何気ない建物の中にふいっとかわいいカフェがあったり食料品店やブティックがあり、まるで宝探しのような気分!?
ただ、のんびりと歩いてその辺のカフェで一休みするだけで、自分が今、21世紀に生きていることがふとわからなくなってしまうほどに情緒ある場所。クラクフは本当に緑豊かな美しい古都でした。


=中央市場広場には馬車がいっぱい!=

クラクフは文化の中心地

=マティキ広場の銅像=

ポーランドは、たくさんの著名な人物や美しい文化を産んだ国です。
バルト海から黒海までの広大な領土を支配した中世以来、素晴らしい文化伝統を誇っています。
正直、この国、というかこのクラクフの街の学問、文化レベルは非常に高い。

クラクフのヤギェウォ大学は1364年創立と、今から20世紀も前のことでした。これは、中欧ではプラハのカレル大学についで2番目に古い、歴史ある大学です。
地動説を初めて唱えたコペルニクスも、ここで学問を学びました。(「それでも地球は回ってる」はガリレオよね?笑)
ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世も、クラクフ出身。
たぶん、キュリー夫人やショパンはワルシャワだったと思う。

ポーランド人は自国の文化を誇りにしていますが、同時に外国の文化への関心も高いといわれます。
もちろん、日本も例外でなく。
日本とポーランド間でも、静岡のピアノ会社との音楽を通した交流がさかんだそうですし、
この街には、「日本文化センター マンガ館」という資料館もあるそうなのです。
思うのだけど、自分の国の文化や歴史を大切にしているからこそ、
他の国に対する興味や好奇心がますます高まっていくのではないでしょうか。
私自身も、今のようにポンポンと海外へ行ったり、文化や歴史にまだ興味がない頃は、
日本の文化について深く考えたことがない頃でした。
確か、学生時代、「私はまだ日本のこともよく知らないから外国に行っても良さなんて分からないから今は興味ないわ。行くなら日本をあちこち知りたい!」って、正直、本心からなんだけど、かなり生意気なことをいっていたっけ。いや、ホントその当時は、新婚旅行も長崎で良いわ〜とか思ってたのよ。変な学生・・・。
こっちから勝手に決め付けるのはどうかと思うけど、なんとなくこういう感情と近いものを(勝手に)感じました。(笑)


=巨大な砦、バルバカン=

この街にある、「フロリアンスカ門」は1300年頃に建立されます。
そして、それを守るような円形の砦、「バルバカン」が建っています。

ポーランドは13世紀、ユダヤ教徒を受け入れてます。そして、プロテスタント勃興の時代にも、ポーランド全体で90%といわれるカソリック信者との間の大衝突を経験しませんでした。
この国はユダヤ教と共存する、カソリックの国です。

クラクフの南には、大きな「ヴァヴェル城」があります。
これは、歴代の王様の住居。
大聖堂や、たくさんの中世の美しい美術品を眺めることができるそうですが、私はあまり興味はないので訪れませんでした。
伝説の竜の洞窟や、美しいヴィスワ河のほとりなど、
たくさんの見所があるようです。
この街にはいつかまた訪れたいです。
ワタシの中では、かな〜り、お勧めの街!3泊位しても絶対飽きないと思います!


=織物会館の脇を歩く人=

=ブティックの入り口=

ふらふらと歩いてるうちに、市場にたどり着きました。
にぎやかな市場で、食料品だけでなく雑貨や電化製品なんかも山盛り!
めずらしい野菜はもちろん、コムハニーなんかも売ってたりして
かなり面白かった〜!


パンやさんやお菓子やさんがたくさんあって、どこも1ポンド?かのはかりうり。

クッキーとかビスケットの種類の豊富さについ引かれて、ガラス張りのお店で、「そのハートちょうだい。あ、それはちょっと多い!もっと減らして!そうそうそれくらい〜」といったかんじでお買い物。昔の駄菓子屋さんみたいだね〜!そして、異様に安い。

しかし、うまかった!とくに、シナモンの味がするハートのクッキーが最高に美味しい!

パンやさんの店先は、イースターのかざりパンがありました〜!


=イースターエッグのデコレーションパン=

 

ヴィエリチカ岩塩採掘場

--- Wieliczka Solt Mine ---
はーい、頭上に気をつけて〜!

ヴィエリチカは、クラクフからほぼ15キロ離れた小さな街です。
この街は、小さな田舎町ですが、なんと、地中に巨大な「第2の都市」を有しているスゴい土地!

この街の地中深くには、たくさんの岩塩が採掘される塩坑があります。
しかしこの塩坑、「ただの塩坑」といってしまえないとんでもない規模なのです!
坑道の深さは64mから327m、9層、長さは200kmに及び、現在はその上部3層のみが一般公開されています。
まさに、街の地下に、さらに街を有しているという規模では?

このヴィエリチカ塩坑には700年もの歴史があり、もともと隣国の王女様が持参金としてポーランドに持ってきたものだったそうです。
この「持参金」によって、ヴィエリチカの街はもとより、
クラクフの街は潤い、その感謝の気持ちをこめて塩坑内に、なんと宮殿が造られてしまいました!!

ショパン、ゲーテ、ロシア皇帝アレキサンドルI世、オーストリア皇帝フランツヨーゼフI世など、たくさんの人々がこの塩坑を見学に訪れました。・・・実は、ここも知名度は低いながらも、ユネスコの世界遺産の1つなのです。

この塩坑内には、塩でできた大きなシャンデリアが鈴なりに連なる巨大な礼拝堂。そこには祭壇が祭られ、これも岩塩で作られた聖母マリア像などがそこかしこに存在します。壁面からは塩の結晶が頭を覗かせ、キラキラとしています。
神秘的な地底湖も多くあり、貨物駅やトンネルまでもが。
地表にはトロッコ電車のレールがひかれ、そのレールの上を延々と歩いて見てまわります。
興味深い塩の精製方法の紹介なども、岩塩でできた馬や人間などの像が無言で語りかけてくれます!(笑)


=岩塩の精製=

しかし、この坑内はとっても深い場所にあります・・・。
もちろん、地底なので外よりは肌寒く・・・といっても私はセーター着用なのでちょうど良いくらいでした。なんだか神秘的な空気?
これってマイナスイオンの空気なのかもね〜!
なんか体にもいいような気がしました!(笑)

この施設は、一定時間ごとのツアーで塩坑をまわります。英語とポーランド語があるようですが、英語ツアーは頻度も少ないようです。
このツアーは強制的。
なぜかというと、ものすごく深く、広いから。
そして、歩く量も半端じゃない・・・。遭難しないためのガイドなのです・・・。

ヴィエリチカ塩坑では、今もさらに地底の奥深くで岩塩を採掘しています。
観光客に開放されている区域は、本当にほんのごくわずか。
信じられない規模の採坑場です。まさに地底世界ですね〜!


=塩に覆われたトンネル=

=木の階段には落書きがいっぱい!=

最初に、入り口を入るといきなり木の階段があります。

この階段は、延々と地底に延びるように続く、まるで終わりがないかのような深い深い階段でした。
←木でできている手すりの中央からはるか地底を覗くと、
全然、終わりが見えない・・・。
いったい何百メートル下っていくのか!?

学生時代に、名古屋タワーのてっぺんから階段で下に降りようとしたときのことを思い出すよ・・・。あの時も終わりがなかったな〜!!(笑)
え?なんでってそりゃ。若さゆえの暴走。(笑)
階段で下へ降りた後、一挙に栄の街中で飲んだくれたことは言うまでもない。

若かったな〜。
あの頃はよかったな〜。(笑)

あまりにも深い深い地底へのエントランス。疲れ果ててヘバっているご婦人も見かけます。間違っても歩きにくい靴で行ってはいけない場所。
でも、本当にこの深い深い地底の世界は意外なる別世界!でした。
ちなみに、2時間近く歩き続けます。ツアーで行くので、置いてけぼりは許されません。
そして、トイレも1時間以上なければ、ショートカットな道も設置されていないようでしたので、御注意あれ。
深い深いダンジョンを巡り、
最後に、これも塩でできた大きなサッカー場、そしてレストランやお土産屋さんの集まった一角で解散です。

帰りはどうやって帰るの?
・・・と思いきや、真っ暗な鉄格子エレベータで一気にピストン輸送!!
・・・このエレベータ、コンベアのようにガンガン輸送してるらしい・・・自分が塩になった気分になりました。とほほ。


=塩でできたシャンデリア=
=塩抗で取れる岩塩の種類=

=キラキラした屋台のようなお土産屋さん=

ポーランドに限らず、中欧の食べ物はとても塩分の濃いものでした。
内陸部に住む人々にとって、この岩塩は本当に貴重だったものなのでしょうね。
人間はやっぱり海から生まれたんだ〜!(笑)