クラクフの街そぞろ歩き | ||||||||||||||||
現在の首都がワルシャワになるまで、ここクラクフはポーランド王国の首都として機能していました。 この街は、第二次世界大戦の戦火を逃れ、何もかもが古きよき時代の面影を残しており、しかも街全体がそのままユネスコの世界遺産として指定されている、大変美しく文化的な街です。
ちょっとイタリアのフィレンツェに似た雰囲気。まさに古都。 クラクフの町はこぢんまりとしていて、中心部はほぼ全域を徒歩でまわることができます。 この広場は本当に大きな広場で、広さは4万平方メートルにおよびます。 何世紀ものあいだ、どれだけたくさんの人々が行き交い、集い、さまざまな歴史がこの広場で繰り広げられてきたのかと考えると、その歴史の広大さに背筋がゾクゾクとします。 この広場の東側に、「聖マリア教会」があります。
夏には、時々ここで結婚式も行われたりするそう。 そのときは、そのことを知らなくて、
このクラクフ。古いだけでなく、何気ない建物の中にふいっとかわいいカフェがあったり食料品店やブティックがあり、まるで宝探しのような気分!?
クラクフは文化の中心地
ポーランドは、たくさんの著名な人物や美しい文化を産んだ国です。 クラクフのヤギェウォ大学は1364年創立と、今から20世紀も前のことでした。これは、中欧ではプラハのカレル大学についで2番目に古い、歴史ある大学です。 ポーランド人は自国の文化を誇りにしていますが、同時に外国の文化への関心も高いといわれます。
この街にある、「フロリアンスカ門」は1300年頃に建立されます。 ポーランドは13世紀、ユダヤ教徒を受け入れてます。そして、プロテスタント勃興の時代にも、ポーランド全体で90%といわれるカソリック信者との間の大衝突を経験しませんでした。 クラクフの南には、大きな「ヴァヴェル城」があります。
ふらふらと歩いてるうちに、市場にたどり着きました。
パンやさんやお菓子やさんがたくさんあって、どこも1ポンド?かのはかりうり。 クッキーとかビスケットの種類の豊富さについ引かれて、ガラス張りのお店で、「そのハートちょうだい。あ、それはちょっと多い!もっと減らして!そうそうそれくらい〜」といったかんじでお買い物。昔の駄菓子屋さんみたいだね〜!そして、異様に安い。 しかし、うまかった!とくに、シナモンの味がするハートのクッキーが最高に美味しい! パンやさんの店先は、イースターのかざりパンがありました〜!
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ヴィエリチカ岩塩採掘場 | ||||||||||||||||
この街は、小さな田舎町ですが、なんと、地中に巨大な「第2の都市」を有しているスゴい土地! この街の地中深くには、たくさんの岩塩が採掘される塩坑があります。 このヴィエリチカ塩坑には700年もの歴史があり、もともと隣国の王女様が持参金としてポーランドに持ってきたものだったそうです。 ショパン、ゲーテ、ロシア皇帝アレキサンドルI世、オーストリア皇帝フランツヨーゼフI世など、たくさんの人々がこの塩坑を見学に訪れました。・・・実は、ここも知名度は低いながらも、ユネスコの世界遺産の1つなのです。 この塩坑内には、塩でできた大きなシャンデリアが鈴なりに連なる巨大な礼拝堂。そこには祭壇が祭られ、これも岩塩で作られた聖母マリア像などがそこかしこに存在します。壁面からは塩の結晶が頭を覗かせ、キラキラとしています。
しかし、この坑内はとっても深い場所にあります・・・。 この施設は、一定時間ごとのツアーで塩坑をまわります。英語とポーランド語があるようですが、英語ツアーは頻度も少ないようです。 ヴィエリチカ塩坑では、今もさらに地底の奥深くで岩塩を採掘しています。
最初に、入り口を入るといきなり木の階段があります。 この階段は、延々と地底に延びるように続く、まるで終わりがないかのような深い深い階段でした。 学生時代に、名古屋タワーのてっぺんから階段で下に降りようとしたときのことを思い出すよ・・・。あの時も終わりがなかったな〜!!(笑) 若かったな〜。 あまりにも深い深い地底へのエントランス。疲れ果ててヘバっているご婦人も見かけます。間違っても歩きにくい靴で行ってはいけない場所。 帰りはどうやって帰るの?
ポーランドに限らず、中欧の食べ物はとても塩分の濃いものでした。
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