路面電車のある街角 - Krakow:Poland -

- クラクフに住むユダヤ人の歴史 -
Getta -ゲットーとユダヤ人居住区カジミェシュ地区-

Place of meditation upon the martypodom of 65 thousand Polish citizens of jewish nationarlty from crakow and its environs killed by the NAZIS during world war II.

Kazimierz --- Krakow Poland 2003 ----


=カジミェシュの街角=

クラクフの南、ヴィスワ川のほとりに、ユダヤ人の住んでいた「カジミェシュ」地区があります。この街は、クラクフの街中から歩いてもいけないことはない距離にありますが、クラクフ(ヤギェヴォ王朝)とは別の街として作られた街(カジミエシュ王朝)だそうです。
この街は、スピルバーグ監督としては異色の映画?である「シンドラーのリスト」の舞台にもなった街で、実際に映画のロケはこの街で行われました。

この街の建物は、クラクフの街中の建物とは明らかに作りが違い、違う文化が存在していたことを気づかされます。
今は、たくさんのカフェがこの地区にでき、オシャレな雰囲気も感じられるのだけど。半世紀前には、この町並みのいたるところに悲しみと恐怖が溢れていたことを考えると・・・。

よく、ガイドブックで「カジミェシュ地区にはポーランド最大のゲットーがあった」といわれるのだけど、
立ち寄った「スタラシナゴーグ」で入手した街の地図を見ると、どうもカジミェシュ地区ではなく、その隣のヴィスワ川向こうにあるボハトフ地区にゲットーが建設されていた様子です。
「ゲットーの壁」もこの地区にあるようです。
実際もカジミェシュ地区に、別のゲットーがあったのかもしれないけど。
ちなみに、この「スタラシナゴーグ」は、ユダヤ人の生活や歴史を展示した、ユダヤ人民俗学博物館のようなところです。


=あの映画の1シーン=


地下牢に降りてみた・・・コワッ!

で、このクラクフの町とユダヤ人の関係について。
中世である14世紀の時代、このカジミェシュの王様はユダヤ人を受け入れ、保護しはじめたことにより、大変たくさんのユダヤ人がこの街に移り住み、独特のユダヤ人文化を築き上げたそうです。

カジミエシュの街中の建物はとても年季が入っており、重々しい。
そこかしこに、「戦争の跡ですか?」な生々しい傷跡が見つかったりして・・・。
でも、その反面、オシャレなカフェがあり、ゆっくりとした時間がそこに流れているのを見ると、あの「映画」の時代が嘘のようで。これが平和っていうのかな・・・と考えさせられます。


=ユダヤ人の服装=

ユダヤ人といえば、ユダヤ教。
このユダヤ教は、イスラムとも深いかかわりがあるそう。
ダビデの星のマーク、そして蜀台の形がシンボルで、男性は、とても頭を覆うことのできないような小さなベレー帽をカッパの頭のお皿のように着用します。
ユダヤ教は、紀元前2000年より起こり、そこからキリスト教が生まれ、さらにイスラム教を生みます。


=イスラエル国旗=

青と白はユダヤ教の祈祷者の肩掛けの色です。
青は空,白は清浄を示し、ダビデの星はユダヤ人における伝説的象徴であるダビデ王の盾を表わしています。そして、聖地エルサレムを有するユダヤ人の国、イスラエルの国旗はまさにユダヤ教に則ったデザインを成しています。


=ダビデの星が多く刻まれたストーブ=

また、ユダヤ人には「アシュケナジー・ユダヤ人」と「スファラディー・ユダヤ人」とで区別され、ここポーランド、およびユダヤ国家であるイスラエル、また世界的に有名なユダヤ人財産家であるロスチャイルド家などの白人血統ユダヤ人はアシュケナジーユダヤ人といわれ、中東、アフリカ系の(こちらが純血種であるという説多数)スファラディーユダヤ人は、ユダヤ人国家イスラエルからも迫害されているのですが。
ちなみに日本人のルーツは、スファラディー・ユダヤ人というトンデモ説もあります。
ちょっと話が脱線すると、伊勢神宮もユダヤの「ダビデの星」を有している神社で、実はユダヤ系!?でもって京都の八坂神社も!?
ま、これらは今回の「旅行」とは関係がないのでおいておきましょう〜(笑)


=シナゴーグの礼拝堂=

ユダヤ人が迫害された背景には、この「ユダヤ教」という宗教が深く関わっています。
イエスを裏切ったのは、ユダヤ人のユダであったこと、そしてユダヤ人には自分たちを神から選ばれた「選民」という意識があること、および、イエスを救世主(メシア)として認めていないこと、そして、独特の習慣を持つユダヤ文化を築いていたこと。
それらと、ヨーロッパ全土に浸透していたキリスト教との溝が深まっているのでしょうか。

スタラシナゴーグの内部は、そんなユダヤ教の片鱗を垣間見せてくれる神秘的なものが沢山ありました。
特筆すべきは、各種ユダヤ人の歴史的資料などが、このシナゴーグの売店に多く販売されていることです。
アウシュビッツ・ビルケナウはもちろん、ユダヤ人、ユダヤ教の歴史やユダヤ文化についての興味深い史料がたくさん。
あ、でもポーランド語が中心で、英語の史料はあまりないんだけどね・・・。
この売店で、お土産にダビデの星や蜀台をかたどったアクセサリーを購入しようか迷ったのだけど、
ユダヤ教徒でもないワタシが果たして購入してよいものかしばし悩んだ挙句、購入は見送りました。
ごめんね、SEMIさん・・・でもきっとワタシはまたポーランドを訪れる日がくると思うので、欲しかったら連絡してね!(笑)


=スタラ・シナゴーグ=
 


=礼拝堂の椅子にもダビデの星=

 

ユダの蜀台→


=追悼=

クラクフのゲットーがあったボハトフ地区、Lwowska通りの並びにある、ゲットーの壁を訪れました。
高さ3m程度の分厚いコンクリートの壁に寄り添うように、おそらく当時からあったであろうアパートのような建物が密着しています。


=向こう側がゲットー=

ユダヤ人は、ナチの政策によってこの高い壁に囲まれた不衛生なエリアに押し込まれ、そこでだけ生活をすることを許された。それをユダヤ人居住区ゲットーといいます。

しかし、この狭いエリアには物資や食料の流入もなく、
栄養も陽の光も行き届かない不衛生な環境の中、沢山の人々が死にました。
この壁を潜り抜けて、外部の世界から食料を調達してくるのは主に子供たち。
子供だけが、ユダヤ人である「しるし」を体に装着するのを免除されていたからだそうです。
また、この壁を超えて、たくさんの食料や武器がゲットーに投げ入れられたそうです。

ゲットーの向こう側の建物(アパート?)には、ベランダの上で初老の紳士がくつろいでいて、
ワタシが写真を撮影したと同時に立ち上がり、おびえていたようにも見えたのだけど。。。
なんかすごく複雑な気分でした・・・。


=シンドラーの工場=

このボハトフ地区のはずれに、オスカー・シンドラーが経営していた工場=ドイツほうろう容器工場(D.E.F.)があります。
この工場は実際に第二次世界大戦の頃に稼動していた工場です。
当時狭いゲットーで暮らすことを強制され始めていたユダヤ人。ゲットーにほど近いこの工場に、シンドラーは多くのユダヤ人を集め、ほうろう製品の生産で富を得ます。ユダヤ人の労働力は安く、ほとんど無償に近かったそうです。

この工場は、現在「TELPOD」という電気メーカーの工場となっており、現在も稼動しているとか。でも当日は週末だったためか、門は硬く閉ざされていました。


=工場の中の風景=


=プワショフ強制収容所跡=

--- Pomnika Ofiar Obozu W Plaszow ---

クラクフの街から少し南。ヴィエリチカ方面。
Plaszowという地区があります。
ここプワシュフには、「ポムニーク」と呼ばれる強制収容所がありました。

この収容所、かつてはユダヤ人墓地があった高い丘に作られたそうです。
このプワシュフ強制収容所は、解放の前にナチによって完全に破壊され、現在はその収容所らしきものはまったく見られません。
そして、「ここに強制収容所があった」ということを刻む、大きな石でできた記念碑が建っています。
首をうなだれたまま立ちすくむ5人のユダヤ人の石碑が、その悲しみの思い出を無言で語りかけているような気がしました。