♪♪ 415通信 51号 ♪♪
年月日発行


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【415ニュース】

 演奏会まで3ヶ月を切りました。バッハに関してはほぼ順調に進んでいるように思いますが、シャンソンはやや遅れ気味、ラッソはまだまだ、器楽はやっと曲目が確定した、と言ったところです。これから、最終の歌い込みに入ります。9月からはオケも入ります。お忙しいでしょうが出来るだけ都合をつけて練習にご参加ください。お待ちしています。

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【練習計画(9月〜11月)】

  9月から演奏会までの練習計画を掲載します。土曜日は京山公民館、日曜日は芳田公民館でこれは変更ありませんが、祝日の関係で若干曜日の変更がありますのでご注意ください。演奏会が近づいてきましたので、器楽は原則毎週練習です。お忙しいところでしょうがよろしくお願い致します。

9月2日(日) 器楽:10:00〜13:00 芳田公民館
9月2日(日) 合唱:13:00〜16:30 芳田公民館
9月8日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館
9月9日(日) 器楽:13:00〜17:00 芳田公民館
9月16日(日) 器楽:10:00〜12:00 芳田公民館
9月16日(日) 合唱:13:00〜16:30 芳田公民館
9月22日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館
9月30日(日) 器楽:10:00〜12:00 芳田公民館
9月30日(日) 合唱:13:00〜16:30 芳田公民館
10月6日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館
10月7日(日) 器楽:13:00〜17:00 芳田公民館
10月14日(日) 器楽:10:00〜12:00 芳田公民館
10月14日(日) 合唱:13:00〜16:30 芳田公民館
10月20日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館
10月21日(日) 器楽:13:00〜17:00 芳田公民館
10月28日(日) 器楽:10:00〜13:00 芳田公民館
10月28日(日) 合唱:13:00〜16:30 芳田公民館
11月4日(日) 器楽:10:00〜13:00 芳田公民館
11月4日(日) 合唱:13:00〜16:30 芳田公民館
11月10日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館
11月17日(土) 合唱:17:00〜21:00 文化ホール(会場リハーサル)
11月18日(日) 第17回演奏会 文化ホール

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【シャンソンについて 日下不二雄】

  今まで「書く書く」と言って書かなかった横着をお詫びし、ここに駄文をしたためることにします。

1.シャンソンを歌うことについて
 何といっても前回のイタリア語、今回のフランス語と、皆さんには訳の分からない発音問題で迷惑をかけています。しかし、居直るわけでもないのですが、ここでちょっと立ち止まって、いろんな言語の歌を演奏することについて考えてみます。
 もちろん私も、多くの方と同じく、初めは日本語の曲ばかりの合唱を楽しんでおりました。自分の合唱人生(30年を越えると、もうこう呼んでも良いでしょう)は、考えてみると、主体的に合唱を始めてから最初に人前で歌った曲(モーツァルトの「Ave Verum Corpus」)も、初めて演奏会のステージで歌った曲(パレストリーナの「Super Flumina Babilonis」)もラテン語の曲であったというのは、確かに現在の合唱活動から見れば大変象徴的で示唆的であるとは思うのですが、ではこんな曲ばかりやっていたのかと言えば、モーツァルトの時(高校1年の時です)はほかには中田喜直の作品ばかりだったし、パレストリーナの時(大学1年)は次のステージで高田三郎の「心の四季」を歌っているので、古典ばっかりでは決してなかったと言っていいでしょう。いや、私としてはむしろすぐに意味の分かる日本の曲の方が遙かに面白く、ご多分に漏れずふりがなのカタカナがいっぱい鉛筆で書かれた楽譜で歌うラテン語の曲が初めから面白かったわけではないのです。
 私の東京で所属していた合唱団についてはホームページに書いているのでここでは書きませんが、日本の曲もポリフォニー曲もやるグループでしたので、それぞれのおもしろさを感じていたものです。その中で、ある演奏会の時にやったフランスものは、ポリフォニーの掛け合いのおもしろさを強烈に私に知らせるものでした。あそこからポリフォニーはこういうものだと、私なりにかなり鮮烈に意識が始まったと思っています。いいかえるとポリフォニーのおもしろさの味わえる曲だと言うことです。そして今回OPEで練習している曲の中には、そのとき私が演奏した曲も含まれています。
 その合唱団で私はバッハを2回歌いました。バッハの歌詞は基本的にはすべてドイツ語です。大学での第二外国語がフランス語であった私にとっては、バッハの歌詞は非常に困難なものでした。意味は全く分からず、それでもなんとか食らいついていきましたがあまり面白くありませんでした。そのころ(昭和52年ごろですが)私はある縁で、東京バッハ合唱団の大村恵美子先生に出会っています。そしてバッハ合唱団の練習にも時々顔を出したりしています。そのときに私は大村先生にこんな質問をしたのを覚えています。「バッハの曲しかやらないんですか。他の人の曲はどうしてやらないんですか。」今考えれば、バッハ研究の大家である大村先生に対して、若気の至りとは言いながらなんと罰当たりなことを言っていたのだろうと、こうしてワープロに向かっていても冷や汗でキーボードが濡れそうです。大村先生は優しい方なので、夫君の後輩であるこの失礼な若者に対して、バッハの合唱曲は200曲以上もあってそれだけでも一生かかるたいへんな事業であるのだということを、優しく説明してくださったのです。つまりは、私はそのころバッハを面白いとは全く思っていなかったということです。(バッハ合唱団は日本語で歌いますが、そのことはここでは関係のないことです。)
 つい話が昔話になってしまうのは年寄りになった証拠です。昔話のための文章ではないので、話を先に進めます。バッハがドイツ語なので、言葉がわからないから面白くない。当時の私にこういう面があったのは確かです。ところが現在の私は、一生バッハを歌っていたいとまで思っています。では私はドイツ語がわかるようになったのでしょうか。相変わらず全くわかりません。いくつかの単語くらいは覚えました。しかし文章になるとさっぱりです。ただ、ドイツ語をいやがりながらも食いついてやっていったために、それほど厭でもなくなっていったこと。そしてドイツ語が自然になるにつれて、バッハの、ドイツ語を基にした曲作りが、少しずつ見えてきてそのすばらしさに感動することが多くなったこと。これは確かです。
 日本語を母語とする私たちがポリフォニー音楽を楽しもうとするならば、そこには必ず外国語という大きな壁が生じます。その壁は、まずは最初にして最大の「発音」という形で出てきます。これはもう仕方のないことです。ただ、それはわからないながらも丹念にやっていくことによってより大きなものが与えられるということでもあるのです。去年のイタリア語、今年のフランス語もまた然りだと思っています。私の「指導」ですから、わかる人までわからなくしてしまっているきらいがあるのは申し訳ないと思っていますが、フランス語を歌うことで、フランス語でないと出来ないこと、フランス語でないと面白くない音楽に、多少なりとも近づいているのだと私は確信しています。
 今回の曲はジャヌカン、セルミジ、パスローという三人の作品です。この三人についてはこの後少々書いてみることにしますが、音楽史的な意義よりも、「フランス語をやってみて初めて感じるフランスシャンソンのおもしろさ」を少々でも感じられるなら、今回取り上げた意味は十分にあると思っています。

2.曲の対訳

AU JOLI JEU De POUSSE AVANT素敵な遊びは楽しいぜ

Au joli jeu de pousse avant fait bon jouer. 素敵な遊びは楽しいぜ
L'autrier m'aloys esbaloyer, この間 俺は お楽しみに出かけて
Je rencontray la belle au corps gent, かわいこちゃんに出会った
Soubriant dolcement la vois baiser. やさしく笑って 踊りを頼むと
Elle en fait doubte 彼女は怖がった
Mais je la boubte laissez trust avant! が、俺は是非にと頼み込む
Au joli jeu de pousse avant,fait bon jouer. おどれ、おどれ、おどれ、おどれ
Pour ung refuz me faut laisser 素敵な楽しい踊り
Propos luy tiens amoureusement, そこで俺は愛の言葉を話しかけ
Soubzriant dolcement la vois baiser. やさしく笑って キスにおよぶと
Elle riotte, 彼女は暴れてはね回る
Dance sans notte,laissez trut avant! おどれ、おどれ、おどれ、おどれ
Au joli jeu de pousse avant fait bon jouer. 素敵な遊びは楽しいぜ

IL ESTOIT UNE FILLETTE 恋の手習い(歌詞大意)

恋の手習い 所望の娘に手練手管を教えてやればにっこり笑ってこういった。
「たとえ初めは難しくても稽古を積めば楽になる、何の芸事も同じこと」

IL EST BEL ET BON うちの亭主はお人好し

Il est bel et bon,commere,mon mary 私の亭主は男前でお人好し
Il estoit deux femmes toute d'ung pays. 同じ地方の二人の女が話している
Disans l'une a l'autre,avez bon mary? ご亭主はいい人なの?
Il ne me courouse ne me bat aussi; うちの人は怒ったりぶったりしないのよ
Il faict le mesnage, 家の仕事は何でもするし
Il donne aux poulaille 鶏の餌もやる
Et je prens mes Plaisirs. おかげで私は楽しいことができるわけ
Commere,c'est pour rire 鶏の鳴き声がまたおかしいのよ
Quant les poulaille crient コケットコケット(浮気女)だって。
Petite coquete qu'esse cy? 何の意味かしら?

A CE JOLI MOIS 美しいこの五月に

A ce joli mois de may 美しいこの五月に
Faison tous bonne chere! みんな楽しもう!
Resveillons nous,ne dormons plus 目をさまそう、眠っている場合じゃない
Dansons ballons et au surplus 踊ろう、跳ねよう、そしてまた
Chascun fasse son essay みんなそれぞれ試してみよう
Pour trouver sa bergere. 相手の羊飼娘を見つけるために!
A bien danser n'ayons vains cueurs 上手に歌うのにウジウジするな。
Chantons gaiement soyons vainqueurs 陽気に歌おう、勝者となろう!
Celuy de nous le plus gay 一番陽気な男が
Si porte la banniere 勝利の旗を持つのだ!

(JOUISSANCE VOUS DONNERAI は、他人の訳がないので訳詞中です。)

3.作曲者について

クレマン・ジャヌカン    1485-1558
クロード・ドゥ・セルミジ 1490-1562
ピエール・パスロー 1509-47活躍
 三人とも、没年のはっきりしないパスローも含めて16世紀フランスの作曲家という表現で間違いないでしょう。この時代のフランスは国力の充実と市民層の成長を背景として諸芸術が豊かに実った時期です。多くのシャンソン楽譜が出版され、また器楽用に編曲されたものの多さを見ても、人々に愛された当時の音楽がそこに見えます。しかもフランス語にあった曲作り、フランス人らしいエスプリも感じられ、どの曲も上品で、すばらしい音楽世界がそこにあったことを知ることが出来ます。
 バッハが1685-1750ですからその約二百年前、シュッツよりも百年前ということになります。時代でいえばルネサンス期になります。

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【編集後記】

 7月に国際会議出席のためアルゼンチンに2週間出張していたため、とうとう415通信の毎月発行の公約が守れなくなってしまいました。一月遅れの51号です。今号は、日下さんからの投稿文を中心に編集しました。
 8月9日から岡山バッハカンタータ協会の演奏旅行として、ドイツ・ライプツィヒに日下さんとともに行って来ました。バッハがカントルとして後半生をすごしたトマス教会の聖歌隊席で、古楽器の演奏でカンタータを歌いました。バッハが柱の陰で聞いているような、不思議な感動を覚えました。「うん、俺の思うとおりの演奏だ」と言っているのか、「なんだ、その解釈は」と言っているかは定かではありませんが。
 私はすぐに帰りましたが、日下さんはその後数日、レンタカーでバッハの足跡を訪ねました。近いうちに旅行記が投稿されることと楽しみにしています。  (蛙)

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2003/01/10 17:19