♪♪ 415通信 53号 ♪♪
2001年11月17日発行


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【415ニュース】

 明日はいよいよ演奏会です。これまでの練習の成果を遺憾なく発揮されることを期待しています。明日の予定は次のようになっていますので、楽譜・衣装などお忘れないようご注意下さい
11月18日 器楽 10:00 集合 10:15〜12:30 ゲネプロ
合唱 12:00 集合 12:15〜15:00 ゲネプロ
オケ・ソロ 13:30 集合 14:00〜15:00 ゲネプロ
演奏会終了後、打上があります。

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【練習計画(12月〜来年1月)】

 演奏会終了後の練習計画を掲載します。例年通り、今年中の練習はなしとして、来年1月から気分も新たに練習を再開することにしたいと思います。例年通りカトリック教会のクリスマス深夜ミサに賛助を依頼されました。これについては別途連絡を差し上げます。また、器楽の方は、12月16日に備前市ジュニアオーケストラの賛助出演があります。お忘れなきようご注意下さい。なお、最初の練習の後に新年会を予定しています。宴会係さん、よろしくお願いいたします。

1月13日(日) 器楽:10:00〜13:00 芳田公民館
1月13日(日) 合唱:13:00〜17:00 芳田公民館(終了後新年会)
1月19日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館
1月27日(日) 器楽:10:00〜13:00 芳田公民館
1月27日(日) 合唱:13:00〜17:00 芳田公民館

 2月以降は、これまで通り第1・3週の土曜日の夜、第2・4週の日曜日の午後を練習とします。器楽については、第2・4週の日曜日の午前中です。土曜日は京山公民館、日曜日は芳田公民館で変更ありません。

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【Bach Strasse東へ(その2)    日下不二雄】

中古車屋
 中古車屋があった。その辺の駐車場に車を停めているだけのようなところである。ただ車の窓ガラスに値段が表示されているのが駐車場との違いである。
 BMW530   240000km 7600DM(45万円)
 SUZUKI BALENO 145000km 9900DM(58万円)
Suzuki Balenoは日本ではスズキ・カルタス・セダンである。十万キロ以上走ったカルタスなんて日本では中古車店にもう並ばない。車は本当に足なのだ。ここでは10万キロなんて慣らし運転に過ぎないと誰かが言っていた。


 ライプツィヒでは英語がなかなか通じない。たまたま駅構内でソーセージ(wurst)を売っている女の子は英語が通じたが、その色白のそばかすの女の子に教えてもらって行った駅二階のコンビニでは、中年の男性店員が二人とも全く通じなかった。私は水を買いたかったのだ。しかも炭酸の入っていないものが欲しかったのだ。
その店では値段の高いVittelやEvian(0.75mlで3.5DM)も売っていたが、安いAquaMontanaというのがあって、1.5lで1.99DM、約120円である。そのボトルが二種類あって赤い線のものと緑の線のものだ。どちらかが炭酸入りでどちらかがナチュラルだ。
ドイツ語で書いてあるようなのだが、私にはそれの区別が付かない。そこで店員氏に英語でいろいろに聞いてみた。not sparkling,non carbonated,natural water.......(後でno gasと言えばいいのだと教えられた)結局身振り手振りでわかってもらえたようだ。すると店員氏、何やらぺらぺらしゃべりながら売り物のペットボトルをビックリするような力でぐっとつかんだ。すると緑のは変形しない。ところが赤のはベコベコ変形するのだ。そうか、わかった。炭酸入りのは炭酸の力でペットボトルが固くなっているのだ。普通の水はボトルがベコベコである。こうやって見分ければ良いのさ、と言っていたのだな。なるほど、なるほど。この方法でこの後は炭酸の有無を簡単に確かめられた。そしてこの後帰国するまで、あちこちの店でこのAqua Montanaの赤ラベルを買い、よく飲んだ。ライプツィヒ音楽演劇大学での練習の時にも、これを日本から持参した「まろ茶」の500ccペットボトルに詰めて持っていった。

親切
 旅先で親切な人に会うと、いつまでも心に残るものである。私もあちこちで「自分にはできまい」と思われるような親切によくであった。このたびも非常に心に残ることがあった。
 今回私は自分用にリコーダーを買いたいと思っていた。木製の音の柔らかいソプラノと、気が向いたときに吹くためのソプラニーノを買いたいと思っていた。バッハの町だからライプツィヒには楽器屋の何軒かはあるだろうと思っていた。
 そこでまず、トーマス教会前のレコード店で楽器店の場所を尋ねてみた。するとニコライ教会の近くにあるといわれた。ここから三分の所だ。そこでニコライ教会に行き、売店で尋ねると、この近くにはないがゲヴァントハウスの横にあるということだった。ゲヴァントハウスもそこから五分の所なので行ってみるが、楽器店などない。ゲヴァントハウス内のCDショップで尋ねてみると、この近辺に楽器店はないという。その店の主人は初老の男性だったが、実に親切な人で、良い楽器屋が郊外にあるので電話で開いているかどうか問い合わせてあげようと言って電話をかけてくれた。ただそこまで行くにはタクシーかトラム(市電)しかない。どうせタクシーに乗っても英語が通じないだろうと思い、渋っていると、ちょうどそこにその店をいつも預かっている娘さんがやってきた。30過ぎのショートカットのきびきびした美人だった。実に美しいなめらかな英語を話す。結局私がドイツで話した人の中では、この人の英語が一番きれいだった。 
 この娘さん、ベッティーナさんが、自分の息子を保育園まで迎えに行くからその店まで乗せていってあげるというのだ。保育園とその店はとても近いのだという。私はお言葉に甘えることにした。店での簡単な用事が済むと、ベッティーナの車は私を乗せてすべるようにゲヴァントハウス前からライプツィヒの町を北に向けて走りだした。
 あなたはとても運がいいという。CDショップのオーナーである父親はふだんは店には出ていないで、たまたまそのときだけ店にいた。自分はふだん店を預かっていて、夕方になると息子を迎えに行くのだ。
 ベッティーナの話す英語はアメリカ風で話しやすかった。車もここでは珍しいアメリカ製のChrysler Voyagerである。緑の美しい公園の脇を走り抜け、目的の店に着いた。ベッティーナは店の人に私のほしがっているものを説明してくれ、さらに帰りのトラムの乗り方を説明してくれるように頼んでくれた。そして手を振ると、颯爽と立ち去った。
 私は希望のものを手にする事ができ、トラムに乗ってmitまで帰ってくることができた。見ず知らずの東洋人に対して、こうやってわけへだてなく親切をそのまま行動に移せること。自分ならこんなことができるだろうか。
 後日、再びライプツィヒに戻ってきたとき、息子さんにと思い、子供の喜びそうなお菓子を買ってお礼に行った。そのときはベッティーナもお父さんもいなかった。店番の人に渡してもらうよう頼み、メモを置いて帰った。
 立ち去るときに振り返ったゲヴァントハウス・ホールの建物は、近代的な面白みのない形で立っていた。しかしそこに温かいものを一人感じて、私はそっと手を合わせた。あの温かい人たちが幸せになりますように、と。

2 Thomaskirche
 ライプツィヒ到着の翌日は午前中から、ライプツィヒ音楽演劇大学で練習だった。夕方からはトーマス教会での練習。さらに次の日は午後からトーマス教会でゲネプロ、夜の7時30分から演奏会という流れだった。
 今回の演奏会の指揮者は、ふだんの我々の指揮者ではなく、ここライプツィヒのDavid Timm氏である。まだ若いTimm氏だが指導は実にしっかりとしたもので、実力の高さを窺わせた。私はライプツィヒ音楽演劇大学での練習の時に、実は涙が出て歌えなくなってしまったことがあった。とくべつ何かがあったわけではないのだが、このライプツィヒという「バッハ歌手の聖地」にやって来たことへの感激、しかも夕方からの練習ではいよいよ自分の歌声がトーマス教会聖堂内に埋葬されているバッハ自身の直接聞こえるのだという思いからだったのだと思う。この時の感激もさることながら、短い時間とはいえこの町で過ごしてみて、私は「この町にはバッハが生きている」と感じた。
 肉体としてのヨハン・セバスチャン・バッハは確かになくなっているのかも知れない。しかし確かにバッハはいる。それは人々の心の中にいるのだ。人の心の中に住むものは、うつせみの世にあるものよりももっと確かで大きく、強く訴えかけるものとして、しかもいつまでも消えない。大学三階の大きな部屋で、私は「バッハはここにいる」と強く感じた。この大学自体はバッハの死後百年以上もたってからメンデルスゾーンが設立したものであり、ここにバッハが訪れたことはなかった。しかしそう思ったのは今回の指揮者David Timm氏のおかげでもあると思う。
 David Timm氏は32歳の青年である。貴公子然とした端正な顔立ちの優男である。そのTimm氏が合唱の指導をする。この大学での練習の時にはまだオーケストラはついていない。横に佐々木先生がいてドイツ語を通訳してくれる。Timm氏は時に英語で話し始めるのだが、音楽に没頭するとドイツ語になってしまう。彼の指示は実に堂々としており、迷いがない。発声のこと、発音のこと、フレージングのこと。ふだん佐々木先生に言われていることがここでもやはり指摘されている。同じ内容を、しかし別の表現方法で彼も言う。自分の今やっている音楽がここドイツに、ライプツィヒに来ても、同じように批評され、指導され、日本で歌うのと同じようにここで歌ってもいいのだという安心感を与えてくれる。
 しかしただそれだけではない。青年Timm氏の後ろに、もっと大きなものが支えとなっている。それはトーマス教会聖歌隊出身のこの若いチェンバリストでもある指揮者の今まで積み上げてきた自信のようなものだろうか。いやそんな個人的なものではない。もっと大きいのだ。
 笑われるかも知れないが私は「そこにバッハがいるのか」とも思ってみた。しかしそれだけでもない。バッハよりももっと大きな、もっと古い、ヨーロッパ全体の伝統とでもいうべきものがバッハの体を借りて具現されたもの、といったら大袈裟だろうか。そんな重く深いものを私はこの音楽演劇大学での練習の中で感じていた。その伝統にたいする畏敬の念が私を歌えなくさせたと言ったら大袈裟だろうか。しかしこんな言葉で表現しなければ収まらないほどの大きな重いものが、そこに厳然とあったことはいつわりがない。しかし明るい、温かい雰囲気の中で練習は進んでいった。これはTimm氏の人柄のなせる部分が大きかったと思う。
 Timm氏の指示の一つ一つは実に細かい。しかしその一つ一つはバッハを通じて話されるから納得がいく。バッハはここでは彼と私の間をつなぐ共通語になっている。私がふだんやっているバッハや種々のヨーロッパ音楽が、本当にこれでよいのか、もっと別のものが本当はあるのではないかというかすかな疑惑と共にあったのを払拭してくれ、「お前のやっているままでいいのだ。安心してやりなさい。」と後押ししてくれている。これが安心感というものなのか。 私の涙はもしかするとこういう大きな、これから自分が音楽をやっていく上での大きな支えとなってくれるものへの、もったいなさに対するものだったのかも知れない。それはもうバッハ個人をも越えているものだ。
 途中の休憩をはさみ、夕方からはトーマス教会での練習だった。トーマス教会はこのライプツィヒ音楽演劇大学からは、mitを横切り、歩いて15分くらいの所にある。長い休憩は単に食事・移動のためだけの時間ではなく、自分の足であの聖地、聖トーマス教会まで一歩一歩たどり着くための大切な儀式であったのだとは後に気づいた 歌ったのは祭壇前ではなく、聖堂後方二階の聖歌隊席だった。それだけに正面に見える祭壇前に眠るバッハ(バッハの墓所は実に聖堂内の祭壇前にあるのだ)に対しては、「あそこでバッハが聞いている」とは思ったが、別段涙が出ることはなかった。バッハにもっといい音楽を聴かせたいという懸命さは自分の中に感じていたが、それはただ自分自身のひたむきさにすぎなかった。このひたむきさはトーマス教会だからではなく、ふだん演奏会を持っている岡山カトリック教会聖堂でも同じものであるし、今まで出演してきたあらゆる演奏会と何ら変わるものではなかったと思う。これは自分にとっては、もっとも音楽的な、集中した状態であった。完全に音楽と一体になっていた。
 バッハは確かにあそこで聴いている。あそこにいる。本当に今、あの人の目の前に来た。でももうあの人は何も語ってくれない。あの人は楽譜に書かれた言葉ですべてを語りきっている。のこりは、このライプツィヒの人たちの中に生きているのだ。生きている人たちの言葉を、音楽を聴いていれば、あの人の語らんとすることはわかるはずだ。バッハは生きている。この教会に、この町に。そして世界中に。
 安心感。音楽演劇大学で感じた安心感はここにもあり、そのなかでトーマス教会の練習は進んでいった。ただ合唱は自分一人でするものではない。他のメンバーの中には平常と違うものを感じる心は強かったように思った。なんだかいつもと違う。力強いのだ。いや、力が入っていると言った方が正確だろう。いつもは微妙に処理する音の作り方が今日は太い。そしてこれが実にいい方向になっていると私は思った。堂々としている方がここではよい。ここでの演奏会は、少なくともここでしかできないものになるなと確信した。それが実力相応であろうとなかろうと、今日ここに集まったメンバーの思いがふだんとは違うものを醸し出しているこの緊張感の中で造られる音楽が、安心感と相俟って、必ずやいい音楽になるはずだ。あとはバッハが、ライプツィヒが、生きている人々が、私たちの音楽を後押ししてくれるはずだ。(この項、続く)

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【編集後記】

 今号は、都合により編集後記はお休みです。

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2003/01/10 18:01