♪♪ 415通信 69号 ♪♪
2003年6月7日発行


【415ニュース】

 5月30日と31日に佐々木先生によるマタイ受難曲の第2回練習がありました。 
前回の続きで40番のコラールからでした。結局最終曲までは進めず、58dまでの練習でした。いつものごとく、先生の魅力に引きつけられる中身の濃い練習でした。先生が強調されていたことは、言葉のニュアンスを生かすと言うこと、具体的には母音の長・短、明・暗をはっきり区別することと、キャラクターコーラスでは子音をはっきりさせることでした。それに加えて、音の流れの線を作ることだったと思います。もちろん、各パート、各曲、各小節、各音符で、細かい歌い方の指示がありました。しかし、もっとも強調されたのは「言葉」だったと思います。ドイツ語としての正しい発音に注意しなければならないと痛感しました。まず聴いて違いを感じること、次はやってみること、最終的には聞き手に分かること、の段階を追って努力することが大切でしょうか。私もまだ、聴いて違いが分かる程度です。でも、佐々木先生の発音・指導は本当に良く分かります。私たちとしても忙しい中を練習に参加し甲斐があるというものです。
 次回は、6月の27日(金)、28日(土)です。28日の練習は時間がいつもと異なりますのでご注意下さい。なお、私と事務局長は海外出張のため欠席です。大変残念ですが、皆様から練習の様子を聞かせていただくのを楽しみにしています。

【415ニュース】

 OPEの通常練習も進んでいます。そろそろ本格的な音楽作りに入ってきました。 
 少し、出席率が悪いようなので、皆様のご努力をお願い致します。今年は演奏会が早いので、早めに気を引き締めないと間に合わなくなりそうです。先般、宮本さんと相談しましたが、7月から月1回器楽との合わせが入る予定です。現在の案を示しておきますので、ご予定にお入れ下さい。ただし、練習回数が少ないので、合わせ以外の練習も行いますので楽譜はすべてご用意下さい。
 7月5日(土)、8月17日(日)、9月6日(土)、21日(日)

【415ニュース】

 転勤で東京に行かれていた村田さんが、再度の転勤で倉敷のお戻りになり、OPEにも復帰されました。大歓迎です。過去にも同様の例がありましたが、その時は比較的短期間で再々転勤となってしまいました。今回はそうならないことを祈っています。(本人には内緒?)

【6月の練習】

 5月は連休があり第1土曜日がお休みです。そのため、器楽の練習も変更となりました。

6月6日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・カンタータ協会練習
6月7日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室)
6月15日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(美工芸室)
 マタイのみ
6月20日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・カンタータ協会練習
6月22日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(第2講座室)
6月27日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会?・カンタータ協会練習
 佐々木先生
6月28日(土) 合唱:18:00〜20:50 未定
 佐々木先生

【7月以降の練習(合唱のみ、器楽は器楽通信をご覧下さい)】

7月4日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・カンタータ協会練習
7月5日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室)
7月13日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(和室)
 マタイのみ
7月18日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・カンタータ協会練習
7月20日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(美工芸室)
7月26日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室)
マタイ強化練習
7月27日(日) 合唱:未定 未定・マタイ強化練習
8月1日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・佐々木先生
8月2日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館・佐々木先生
8月10日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(第2講座室)
 マタイのみ
8月15日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・カンタータ協会練習
8月17日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(第2講座室)
8月23日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第1・2講座室)
合同練習
8月30日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第1・2講座室)
佐々木先生
8月31日(日) 合唱:10:00〜14:00 橘今保育園・佐々木先生
9月5日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・カンタータ協会練習
9月6日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室)
オケ合わせ
9月14日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(第2講座室)
9月19日(金) 合唱:19:30〜21:30 岡南教会・カンタータ協会練習
9月21日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(第2講座室)
9月27日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第1・2講座室)
佐々木先生
9月28日(日) 合唱:13:00〜16:50 京山公民館(第2講座室)
10月4日(土) 18:00〜20:50 西川アイプラザホール
リハーサル
10月5日(日) 西川アイプラザホール
演奏会

8月初めの佐々木先生の練習は3日連続で見ていただけることになりました。ヴィンシャーマン先生は今回が最後の日本公演と考えられているようで、最終演奏会(12月18日)には、ご自身の管弦楽曲への編曲によるゴールドベルク変奏曲を演奏されるのだそうです(盛岡のフェラインのメーリングリストによる)。それだけのお気持ちで演奏に望まれるのですから、我々もできる限りの努力でお応えしなければなりません。盛岡では全曲暗譜の指示が出されているようです。特に、コラールは楽譜を閉じても演奏できるように、絶対暗譜です。よろしく。

 9月は演奏会が近いためOPEのマタイ練習(第2日曜)は通常練習とします。演奏会まで9回の練習しかありません。また、演奏会前・当日の計画は別途ご案内します。

10月以降の佐々木先生の練習:10月25日(土)、26(日)、11月21日(金)、22日(土)

マタイ演奏会関連:11月30日(日)盛岡、12月2日(火)ヴィンシャーマン先生による練習(岡山)、12月3日(水)大阪、12月5日(金)東京、12月6日(土)リハーサル(倉敷)、12月7日(日)倉敷
なお、12月3日の大阪公演にはなるべく多くの方の参加が求められています。

【マニフィカトについて(415通信第38号から一部を転載)】

 マニフィカトは西洋音楽史上もっとも頻繁に作曲されてきたテキストの一つである。それはルカによる福音書がマリアの賛美の歌として伝える章句であり、その鮮明なイメージと豊かな起伏と涌きあがるような高揚感が、古来から多くの音楽家の霊感をかき立ててきたものと思われる。
 マニフィカトのテキストは、いわゆる三大カンティクム(歌詞の形によるテキスト)の一つとして、ルカによる福音書第1章に述べられている。そこでは、エリザベツのヨハネ懐妊の報告に続いて、御使いガブリエルによるマリアへの受胎告知が語られる。不思議に思ったマリアは、エリザベツを訪ねた。するとエリザベツの子が胎内で踊り、彼女は聖霊に満たされてマリアを祝福した。マリアは感動して「私の魂は主をあがめ(マニフィカト)、私の霊は救い主である神を喜び讃えます」で始まる歌を歌い出した。このマリアの誉め歌がマニフィカトのテキストである。以下に聖書の該当する部分を掲げる。


【洗礼者ヨハネの誕生、予告される】
 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 
ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。
−−(中略)−−


【イエスの誕生が予告される】
 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。
あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身 
に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

【マリア、エリザベトを訪ねる】
 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

【マリアの賛歌】
 そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
 このテキストは、キリスト教の礼拝において早くから重要な位置を与えられ、聖務日課の晩課(夕べの祈り)中に、その棹尾を飾るものとしておかれた。このマニフィカトは中世においては、グレゴリオ聖歌風の調べで歌われ、多声音楽の発展とともにアカペラのポリフォニーを主体とするものが数多く作曲された。バロック時代にはいると、モンテヴェルディの《聖母のための夕べの祈り》に代表されるような独唱・合唱・器楽演奏付きのマニフィカトが作曲されるようになった。
 ルター派プロテスタントの教会においてもマニフィカトは重要視されていた。G.シュティラーによれば、バッハの時代のライプツィヒでは、土曜日と日曜日の晩歌にマニフィカトが歌われた。牧師の説教の後、若干の祈りを経てオルガンの前奏が入り、それに続けてルター訳のドイツ語によるマニフィカトが、単旋律ないし単純な4声部編曲によって歌われるのであった。ただし、クリスマス、復活祭、聖霊降臨祭の、いわゆる三大祝祭の第1・第2祝日の晩課においては、伝統的なラテン語のテキストに、多声の、より高度な音楽を付した楽曲が演奏される習慣があった。バッハの前任者であるヨハン・クーナウもバッハの作品とよく似た作品を残している。

 以下に、マニフィカトの歌詞の訳を掲載する。
わが魂は主を崇め
わが霊は救い(主)であるかもを喜びたたえます
(身分の)低い 主のはしためを顧みてくださったからです。
ですから、このことからどの世代の人々も私を幸いな者といいます。
何故なら、力ある方が綿足に偉大なことをなさったからです。その名は聖なる者。
その憐れみは子孫から子孫に、主を畏れる者たちに(及びます)。
(主は)その腕で力を奮い、心の高慢な者を打ち散らし、
権力のある者を座から引き降ろし、低い者を高くし、
飢えている者を良い物で満たし、富んだ者を空で追い返します。
憐れみを思い起こして、その僕イスラエルを受け入れて下さる。
彼らの父祖たちに話された通りに、アブラハムとその子孫に、世々に。
栄光は、父と 子と 聖霊に。
初めのように 今も いつも 世々に。 アーメン。        <訳:関戸順一>

【カンタータ161番】

 フランクの「福音主義礼拝の捧げもの」に基づく死について省察するカンタータである。最近の研究によれば、バッハのヴァイマール時代である1716年9月27日の三位一体後第16終日に初演されたと考えられている。全体を貫く核となるのは、クノル作のコラール『われ心よりこがれ望む(1611年)』である。終曲の単純コラール(リコーダーのオブリガート付き)に使われるほか、第1曲ではオルガンのセスクィアルテラ・ストップ(12度と17度の鳴る複合音栓)によって象徴的に引用されるほか(今回の演奏ではオーボエで代用)、アリアの器楽フレーズの基本的な構成要素としても見え隠れしている。なお、このコラール旋律はマタイ受難曲の中核をなす受難コラールとして知られているが、ここでは用いられている詞は受難とは全く関連がない。

Komm, du s洫e Todesstunde  来たれ、汝 甘き死の時よ
1. Arie 1. アリア
Komm, du S洫e Todesstunde,来てください、甘美な死の時よ、
Da mein Deist死の時は、私の霊が
Honig speist獅子の口から
Aus des L嗹en Munde;密を味わうとき。
Mache meinen Abschied s洫e,私の別れを甘美なものにしてください。
S隔me nichit,引き留めないでください、
Letstes Licht,最後の光よ、
Daァ ich meinen Heiland k殱se.私が救い主に口づけするのを。

2. Rezitativ2. レチタティーヴォ
Welt, deine Lust ist Last,この世よ、おまえの喜びは重荷だ。
Dein Zucker ist mir als ein Gift verhaァt,お前の砂糖は、私には毒として 
憎まれる。
Dein Freudenlichitお前の喜びの光は
Ist mein Komete,私にとっては流れ星のようなものだ。
Und wo man deine Rosen bricht,そして人々がお前のバラを摘み取るところでは
Sind Dornen ohne Zahl無数のトゲが
Zu meiner Seele Qual.わたしの魂の苦痛となる。
Der blasse Tod ist meine Morgenr嗾e,青ざめた死は、私にとっては朝焼け
Mit solcher geht mir auf die Sonneそれとともに私にさし昇る、
Der Herrlichkeit und Mimmelswonne.栄光と天の喜びの太陽が。
Drum seufz ich recht von Herzensgrunde  だから私は心の底からため息をつく、
Nur nach der letzten Todesstunde.最後の死の時だけを頼って。
Ich habe Lust beiChristo bald zu weiden,  私は、やがてキリストのもとに行く 
ことを喜び、
Ich habe Lust von dieser Welt zu scheiden. この世から去ることを喜ぶ。

3. Arie3. アリア
Mein Verlangen,  私の切なる願いは
Ist, den Heiland zu umfangen救い主を抱き、
Und bei Christo bald zu sein.やがてキリストのもとで生きること。
Ob ich sterblichユ Asch und Erde私が死んで
Durch den Tod zermalmet werde,灰と土になるまで砕かれようとも、
Wild der Seele reiner Schein魂の純粋な輝きは
Dennoch gleich den Engeln prangen.天使のように美しい。

4. Rezitativ4. レチタティーヴォ
Der Schulァ ist schon gemacht,すでに終わりだ、
Welt, gute Nacht!この世よ、さようなら。
Und kann ich nur den Trost erwerben,今私は慰めのみを得ることができる、
In Jesu Armen bald zu sterben:まもなくイエスの腕の中で死ぬことによって。
Er ist mein santer Schaf.イエスこそ私の安らかな眠りなのだ。
Das k殄le Grab wird mich mit Rosen decken, 冷たい墓は私をバラで覆うだろう、
Bis Jesus nich wird auferwecken,イエスが私を目覚めさすまで。
Bis er sein Schafイエスが彼の眠りを
F殄rt auf die s洫e Lebensweide,甘美な死の喜びとするまで、
Daァ mich der Tod von ihm nicht scheide. 死が私をイエスから引き離さないように。
So brich herein, du froher Todestag,だから、来るがいい、喜ばしい死の日よ、
So schlage doch, du letster Stundenschlag! そして打つのだ、最後の時の鐘よ。

5. Chor5. 合唱
Wenn es meines Gottes Wille,それが神の御意志であるなら、
W殤sch ich, daァ des Leibes Last私は、肉体の重荷が
Heute noch die Erde f殕le,今日にでも地上に満ち、
Und der Geist, des Leibes Gast,肉体の客である霊が
Mit Unsterblichkeit sich kleide天国の甘美な喜びのうちに
In der s洫en Himmelsfreude.不死の衣をまとうことを望みます。
Jesu, komm und imm mich fort!イエスよ、来て、私を取り上げてください。
Dieses sei mein letztes Wort.これが私の最後の言葉となりますように。

6. Choral6. コラール
Der Leig zwar in der Erden肉体はこの世で
Von W殲mern wird verzehrt,虫けらのように喰われようと、
Doch auferweckt soll werden,必ず蘇る。
Durch Christum sch嗜 verk;較t,キリストによって美しく輝き、
Wird leuchten als die Sonne太陽のように光り輝いて。
Und leben ohne Notそして何の災難もなく生きる、
In himmlユscher Freud und Wonne.天の喜びと悦楽の中で。
Was schad mir denn der Tod?ならば、死は私の何を損なうというのか。

【編集後記】

 印刷版にはなかった編集後記、実はお知らせ、ご案内、を一つ。
 来月早々からマタイ受難曲のチケットが発売になります。今のところノルマはありませんが、できるだけの販売を求められています。マタイに出演されない方にも是非ご購入をご案内いたします。S席8000円、A席6000円、B席4000円です。おそらく1割引でご提供できると思います。日時は12月7日(日)午後2時開演、場所は倉敷市民会館です。6月中のチケット希望のとりまとめが求められています。ご購入をお考えの方は早めに(坂本尚史へ返信は海外出張の関係で15日まで、それ以降はほかのメンバーに)お願いいたします。大阪の分についてはまだ情報が入りません。入り次第ご案内いたします。


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2004/08/15 15:32