浩史のページ

サイクリング日記中心のページになっています。 サイクリングしたら日記をつけますので、ちょくちょく覗いてやってください。

趣味

 サイクリング  プラレール集め

血液型

 B型

生年月日

 1967年 8月 15日 (終戦記念日)

最近凝っていること

 パソコンの組み立て 息子とのプラレ−ル遊び


肥満防止を兼ねて自転車に乗るよう心がけています。 でもなぜいまだに自転車の乗っているのでしょう? 自転車との出会いから書きました。

98年CYCLINGのPAGEへ 97年CYCLINGのPAGEへ 浩史のPAGEへ HOMEへ


なぜいまだに自転車に乗っているか?

私と自転車との出会いから書いています。 お時間のある方はどうぞ(笑)

小学生(狭山西小学校)の時、おばあちゃんに補助輪付き仮面ライダー号を買ってもらう。 やがてコマ(補助輪)を外し、家の庭でジャンプしたりウイリーしたりして遊ぶようになる. 今思えば、鉄リムのブリジストン自転車のスポークをバリバリ折っていたのを思い出します。

中学生(狭山中学)になり、5段変速機付のセミドロップハンドルの自転車で15Km離れた親戚の家(中学生にしては山岳コースであった)に遊びに行く(こずかいを頂きに?)ようになる。このころキャンピング車と呼ばれる、前後カバン付きの自転車が憧れでした。

やがて、そのころ自転車に乗りながら感じた風や山々の自然を忘れることができず、もっともっと自転車で遠乗りをしてみようと考える。 これが自転車にのめり込む原点です。 

しかし、持っていた自転車に限界があると感じ、サイクリング車(ミヤタ ルマン 輪行仕様)を親からもらったお金とお年玉で購入。 このころアドベンチャーサイクリストの池○さんに可愛がってもい、毎週のように池本さんに会うために そのころ自慢のルマン号でKCSCへ出向くようになる。 今思えば、お仕事中にもかかわらず、お邪魔しまして、お世話になりました。

休みには、淡路島や小豆島などをテントを積んで周る。 このころ自転車で世界1周しようか?と真剣に考える。 このころから、自転車旅行の興味だけは人一倍あった。

高校生(○風高校)になると近所の行き付けの自転車屋(サイクルショップ コイ○)の友人(堀口)にレースに誘われレース出場。 ロードレーサーレバン購入。 そのころ数少ない全国規模のチャレンジロードレースで16位。 これは練習すれば、この世界で一旗揚げられると思い、毎日練習するようになる。 このころレバン号製作者の東川さんにロード練習に付き合っていただいた。 レースし始めの私にとってレースについていろいろなことを勉強させていただいた。 練習方法から、自転車の微調整まで。 フレーム作りに忙しい中、毎日のようにお邪魔させていただいた。 練習の甲斐あってか、翌年の同レースで楽々の優勝 これが、本格レーサーになってしまったきっかけ。

大学(法○大学)に進み、体育会自転車競技部に籍を置き、練習といじめられの毎日。  先輩を練習でイテコマスといじめられるって何でしょうね(笑)。 冗談いや半分以上マジで腿を膝蹴りされたり。 寝てるときに顔面マジックいたずら書きなんて当たり前。 この合宿所で鍛えられたいじめに耐える根性は、今の私自身の片隅に残っている。  わがままに育ったせいか、封建制度丸出しの世界に驚くとともに、ケツを割って逃げて大阪に帰るわけにもいかず、便所洗いから先輩に教わる。 教したことは二度と教えてくれない 間違ったらシバキ ちょっと手を抜くとバレバレでシバキ  食事当番で、飯を作っても気に食わないことがあると、味噌汁を投げられたりする毎日であった。 イカツイ先輩がちゃぶ台ひっくり返すのは日常茶飯事。 ヤッパの先が合宿所の床に埋まっていることは内緒です(今となっては笑。当時は命がけ)。  連帯責任ってのがあって、同級生がへまをするとその学年全員丸坊主の刑等々。。 私は上級生になっても決して下級生をいじめませんでした(?) 道を外れた者以外にはね。  大学に行かせてもらって、勉強もせず、学費を親に払ってもらい、申し訳なかったが、社会に出てどこでもやって行ける自信がついた。 このおかげか?今でも雑草のように、いろんな所から踏まれも耐え抜いて生きています。

就職となっても自転車を辞めれなく、自転車部品メーカー(どこかは内緒)に入社。 オリンピックに出てやろうと、競技チームに籍を置いた。 おかげでヨーロッパ中をレース等で周らせていただいた。 本当におおきにスポンサー社長さま。 少しばかりですが、部品の開発に意見をフィードバックさせていただきました。

現役を引退する年には、全日本アマチュア競技大会にて優勝を収めることができた。 しかしながらオリンピックには手が届かなかった。 もうちょっと粘って次のオリンピックをねらうため、じっくり体を手入れしてレースにチャレンジしようとか思ったが、思い切って競技チームを退かせていただいた。 本物の選手じゃなかったんですねー。 

現役を引退した一番の理由は、ローカルレース(近畿ロード・鈴鹿)中に他の選手と接触し、こけた時に腰を強打(一生恨むぞ、斜走したド素人! ド素人の走るレースで、ド素人の後ろを走っていた私がアホだったので許したるけど。。)。  それが原因で、強度な練習ができなくなってしまったこと。 本物のスポーツ選手はこのような怪我を克服するのですがねえ。 

現在、強度な練習こそできないが、サイクリング程度ならまだまだOKなので、休日には、自分にとって最高の風を浴び、山々の自然を満喫するため、奈良や和歌山を自転車で周っています。 山の精気を浴びることは大事なんです。。 休日くらい、無理せず自分のペースで走りましょうよ。

老後(現役引退後)のサイクリング日記を御楽しみ下さい。

98年CYCLINGのPAGEへ 97年CYCLINGのPAGEへ 浩史のPAGEへ HOMEへ