◇◆◇ 2002.2.21 ◇◆◇
◇◆◇ アルハンブラ宮殿 ◇◆◇
アルハンブラ宮殿は8時半に開館する。目が覚めると8時だったので急いでシャワーを浴びるが,外はまだ薄暗い。余り食欲がなくて,昨日のお昼のピザの残りが朝食になった。アンチョビーがさらに臭い(>_<)。
既に開館時間をなっているので,急いでチケット売り場へ向うが,結局昨日からアルハンブラ宮殿とホテルとの位置関係が今一つつかめていなくてうろうろしてしまった。実はガイドブックではホテルの位置は微妙に枠外だったのだが,チケット売り場までほんの100mほどの所に建っていたのだ。かなりいい場所に泊まっていたようだ。
アルハンブラ宮殿はとても混むので夏場には入場制限があってチケットは事前に手に入れといたほうがいいなどと聞いていたが,2月はさすがに観光客が少ないのか,9時でも全く行列なし。
窓口で「今からすぐに見に行くのか?」と聞かれ,何かよく分からず今すぐと言うことで発券してもらう(7ユーロ)と,「HORA DE ENTRADA:09:00 a 09:30」と書いてある。近くにいるガイドさんに聞くと,「9時半までに王宮に入って見学してください。いったん中に入れば何時までいても結構です。」との説明。 この王宮の所で入場制限されて夏場は入れなくなるのかな。しかし9時に来て9時からのチケットが取れるとは(^_^;)。夏の旅行シーズンとは大違い。わざわざ代理店とかで手数料取られて事前に手に入れなくてよかったと思う。
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宮殿へのアプローチ |
サンタ・マリア教会 |
グラナダはイスラムの歴史が色濃く残る土地だ。西暦711年のアラブ人進入以来,約800年もの間イスラム教徒のイベリア半島支配の拠点として栄えた町である。
1236年,コルドバ王国はキリスト教徒の侵略により分裂,滅亡し,キリスト教徒にその土地を占領されたイスラム教徒たちはここグラナダに逃れてきた。グラナダは周囲を高い山に囲まれた自然の要塞。
2年後の1238年,ナスル朝が建国され,1492年にカスティーリア女王イサベルとアラゴン王フェルナンドのカトリック両王に征服されるまでの約250年間,イベリア半島に残った唯一のイスラム教国として最後の華を咲かせる。
アルハンブラ宮殿はナスル朝初代王により建築が手がけられ,以降7代に渡って建築された,イベリア半島における最後にして最大のイスラム芸術の結晶なのだ。
王宮の方へ向って歩いていくと,まず目に入るのがルネサンス様式の大きな四角い建造物。カルロス5世宮殿だ。
イスラム様式の建物の中にあって,大きな面積を占めているこの建物は,レコンキスタ後の16世紀半ば,建築好きのカルロス5世によって王宮に隣接して建設された。
カルロス5世といえばコルドバのメスキータにもカテドラルを造ってしまったとんでもない王である。今でこそイスラム教とキリスト教の文化の不思議な融合はスペインの一つの魅力となっているが,当時のイスラム教徒の屈辱的な思いは計り知れない。
王宮に入ると,セビリアのアルカサルで見たようなレースのような細かい装飾とタイル模様が目に入ってきた。特にライオンのパティオを挟んで向かいにある二姉妹の間とアベンセラッヘスの間の鍾乳石飾りには驚いた。蜂の巣のようにも見え,ある意味グロテスクでもあった。
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ルネサンス様式のカルロス5世宮殿 |
外は四角いが中は円形で天井は吹き抜け ここで闘牛も行われた |
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メスアール宮 裁判所として使われた王宮の最も古い部分 |
祈祷室の窓から見た アルバイシンの白い家並み |
メスアール宮中央のパティオ
タイル模様とアラベスク模様は圧巻 |
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アラヤネスのパティオ 静かな水面に映るコマレスの塔 |
ライオンのパティオ 大理石の柱力が林立する回廊から |
噴水を12頭のライオンが取り囲む 昔は水時計の役割を果たしていた |
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二姉妹の間 天井の鍾乳石飾りは見事というか人間業!? |
パルタル庭園と貴婦人の塔 |
パルタル庭園 |
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