21st Cherry Boy






(ヤバイ、ヤバイ)
 何かに追われるように服を脱ぎ捨て、ヒカルは素っ裸で浴室に飛び込んだ。
 シャワーのコックを勢い良く捻り、頭から水をかぶって「冷てっ!」と一人で騒ぐ。
 しかし火照った身体にはこれくらいで丁度いいかもしれない。ヒカルは内側からどんどん熱を放出する顔を持て余し、シャワーの水を直接顔に当てて目を閉じた。
 やがて冷たさに耐え切れなくなり、水を止めてお湯に切り替える。すっかり髪を濡らしてしまってから、ヒカルははたと髪を洗う必要があったのかどうかに気がついた。
(ど、どうすりゃいいんだ? 別にアタマは洗わなくてもいいのか?)
 折角濡らしたのだからとシャンプーを手に取るが、心も身体も落ち着かない。アキラに強く抱き竦められた感触が逃げていかず、情けなくも指先がぶるぶる震えているのだ。
 シャワーの湯でシャンプーの泡を洗い流しながら、ヒカルは早く浴室を出たいような、このままずっとこもっていたいような、複雑な気持ちと戦っていた。
(ええと、念入りに洗う場所……ワキ、汗かいちゃったし。足もスニーカー履いてたからなあ……。後は、……し、下、だよな、やっぱり)
 カーッと頭に血が昇り、また全身から汗が噴き出てきたのが分かる。
 ヤバイ。緊張しすぎだ――ヒカルはガシャガシャとタオルにボディーシャンプーを乗せ、力任せに泡立てた。
(そういえば、身体洗ったら、どうやって出てけばいいんだろ?)
 まさかバスタオル一枚なんてドラマじゃあるまいし。だが、これから脱ぐのが分かりきっていて服を着込むのもどうだろう。かといって下着一枚はいかにも「ヤる気満々です」という感じで恥ずかしすぎる。
(ああもう、どうすりゃいいんだよー!)
 アキラに先に入ってもらえばよかった。ヒカルはあの空気に耐え切れなくなって飛び出してきてしまった自分を恨めしく思う。
 一ヶ月ぶりのアキラとのキスは、ヒカルの青い心を煽るのに充分だった。
 激しくて、狂おしい。想いのたけを込めて口付けてくるアキラの身体は熱すぎる。キスだけでどうにかなってしまいそうなのを、無理に抜け出してきたのだ。
(だ、大丈夫だよな、俺)
 流れ落ちる泡を見つめながら、これから起こることを想像して甘い怖れに身震いした。
 大丈夫。きっと大丈夫だ。アキラがヒカルの身体をさっきみたいに倒したら、そのまま最後まで任せてしまえばいい。
(俺、ひっくり返ってりゃいいんだよな?)
 でも、それだとマグロとかって言われるのか? ヒカルはどこでつけてきたのか、余計な知識に中途半端に苦しめられた。
(俺もなんかしたほうがいいのか? でも何したらいいのか全然分かんねえぞ)
 ――ええいもう、チュッってやってガッって突っ込まれたら終わるんだろうがっ!
 身もフタもない結論に辿り着き、ヒカルは犬のように頭を振って髪の水滴を飛ばして浴室を出た。
 身体を拭きながら少し迷って、結局そのまま元通りに服を着る。
 トランクスにジーンズ、前開きのボタンがついたシャツ。これくらいならきっと脱ぐのに手間取ることもないだろう。
 どんな顔をして部屋に戻ればよいだろうか。ヒカルはごくりと生唾を飲み込み、意を決して二階へ繋がる階段に足をかけた。
 なんとなく足音を殺してしまう。自分が階段を上がってきていることに気づいて欲しくない。身構えたアキラに迎えられることを想像するとあっという間にパニックを起こしそうだった。
 ドアノブを握る手が二秒ほど躊躇って、それでもヒカルは一気にドアを開いた。
 アキラはベッドに腰掛けて、驚いたようにヒカルを振り向いた。その手には――雑誌。
 何の雑誌かと考え始めたと同時に、それが何か思い当たってヒカルは耳まで赤くなる。
「バッ、それ、返せって!」
 隠しておいたはずなのに――慌てて伸ばした手から、無常にも雑誌は遠ざけられた。
 アキラもまたヒカルに負けず劣らずの赤い顔で、ヒカルに渡すまいと雑誌を背中に隠す。
「進藤、コレ……見たんだ」
 気まずそうなアキラに、ヒカルも口ごもる。しかし見たも何も、この部屋にあることが何よりの証拠のため、渋々ヒカルは頷いた。
「参ったな……。恥ずかしいから、キミに教えてなかったのに」
「な、なんだよそれ……」
 ヒカルは少しむっとした。
 この雑誌に載っているアキラの写真は、すでにヒカルのお気に入りになっていた。これだけよく撮れている写真のことを知らずにいるなんて悔しい。
「ずりーじゃん、他のやつは見てるのに、俺だけ見れないなんて」
「だって、こんなに大きく載ると思わなかったから。恥ずかしいじゃないか、なんだか……芸能人か何かとカン違いしてる人みたいで」
「それはお前がカッコ良すぎるんだから仕方ないだろ!?」
 拳を握って力説し、ヒカルははたと自分の発言を振り返って、その恥ずかしさにどっと汗を背負ってしまった。
 今シャワー浴びて来たばかりなのに――直面している問題から微妙に気持ちを逸らしてみるが、目の前のアキラはこれ以上ないほど目を大きく見開いて、ヒカルと変わらぬ真っ赤な顔でヒカルを凝視していた。アキラの耳には先ほどのヒカルの発言がバッチリ記録されてしまったのだろう。
 ヒカルは髪を掻き毟りたい気分を必死で宥めた。
 元々、目の前で好きな人を褒めちぎれるほどヒカルは素直な性格ではない。だからこそ、見つからないようにこっそり買った雑誌の写真に心底カッコいいと思って見惚れていたなんて、そんな事実を知られてしまうのはたまらなかった。
 アキラがすっかり呆けているうちにヒカルは雑誌を取り上げ、後ろ手に隠してしまう。アキラはあっと雑誌に追いすがろうとしたが、ヒカルはそれを許さない。
「も、もういいから、お前も早くシャワー浴びて来いよっ!」
「え? あ、ああ……」
「た、タオルとか置いてあるから」
 行け、行けと空いた手でアキラをけしかけ、アキラも戸惑った表情のままヒカルに部屋を追い出される。
 バタンと必要以上に強く閉めたドアに背中を凭れさせて、ヒカルは火照った顔でため息をついた。
 ――自分で心拍数を上げてしまった。
(ああ、どんな顔してアイツ待ってりゃいいんだ……)
 ヒカルはそんままへたりこみ、頭を抱えた。




 一方、ヒカルに追い立てられるようにして浴室に飛び込んだアキラだったが。
 未だ熱の冷めない赤い顔で、浴室の壁に手をつき項垂れる。
 まさか、あの雑誌をヒカルに見られていたとは。
 慣れない分野のインタビューに戸惑い、しかも撮影も散々ダメだしされ、何度も表情を作らされた。そうして完成した雑誌が送られてきて、掲載された写真の中の自分の余裕ありげな表情にアキラはしばらく放心状態になったものだ。
 プロのカメラマンの力を思い知ると共に、ここに映っている自分の自信たっぷりな目が酷く恥ずかしくて、これはヒカルには絶対知らせるまいとしていたのだが。
 まさか、ヒカルがすでに雑誌を入手しているとは。それだけではない、真新しい他のページに比べて、極端によれて古びた見開き二ページ。
 ヒカルは、どんな気持ちであのページを見ていたのだろう。
 人目につかないように、ひっそりベッドの下に隠されていた雑誌。
 最初は如何わしい雑誌かと思いこんで、半ばむっとして引っ張り出してしまった。しかし今なら、如何わしい雑誌だったほうがどれだけマシかと思ってしまう。
『お前がカッコ良すぎるんだから――』
 顔が熱い。何て事を言ってくれるんだろう、こんなに緊張でガチガチになっている時に。
(カッコよくなくちゃいけない――)
 ヒカルはカッコいい自分を期待している。あの写真のように、余裕ぶっこいた表情で優しく微笑みかけるような自分を。
 アキラは曇った鏡を手のひらで拭き取り、そこに現れる自分の顔を見た。血走った目は獣染みて余裕の欠片もない。
(カッコ悪!)
 さっきのやりとりで充分動揺した上に、風呂上りのヒカルを見て身体は情けなくもしっかり反応しかかっている。濡れた髪で、ほんのり洗い立てのいい匂いをさせて戻ってきたヒカル。理性を保てというのが無理だ。
 優しくリードなんて、できるものならしてみたい。しかし正真正銘童貞であるアキラにそんなスキルがあるはずがないのだ。
(と、とにかく、落ち着こう。落ち着いて、手順を確かめるんだ……)
 服を脱がすのにまごついてボタンを引きちぎったりしないように。乱暴に扱ってヒカルに痛い思いをさせないように。焦ってこれ以上余裕のなさを披露しないように。
(……駄目だ、想像しすぎたら、また血が……)
 上にも下にも昇ってしまう。
 アキラは妄想を跳ね除け、猛スピードで身体を洗った。髪は迷ったが、渇くまでに多少の時間を要するため、濡らさないことにした。
 しかし、こうして身体を清めている間にも、ここが先ほどまでヒカルがシャワーを浴びていた場所だと思うと、あっという間に全身を余分な血が駆け巡る。
 このままでは暴走してしまう。ヒカルが望むようなカッコいいアキラを演じることができない。
(こんなことなら、もっと勉強しておくんだった……)
 何を、とか何処で、とかいろいろツッコミどころはあるのだが、アキラにとってはそれどころではない。
 いかに優しくできるか。いかに余裕を見せられるか。
 興奮する身体とは裏腹、アキラの胸には激しいプレッシャーが重りを括りつけている。リーグ入りのかかった大一番だってこんなに緊張した記憶がない。
 ヒカルが折角セッティングしてくれたこの貴重な場を、なんとしても活かさねばならない。そう、ヒカルは自分に期待してくれているのだ。カッコいい塔矢アキラを待っているのだ。
(よし!)
 アキラは拳を握り締め、そうして覚悟を決めた。
 浴室を出て慌しく身体を拭き、勇んで服を着る。
 そのくせ足はカタカタと震えていた。奮い立たせた気持ちは、そう簡単に末梢神経まで行き渡らないらしい。
 最早最後は神頼み――アキラは天に祈りを捧げ、ヒカルの待つ二階の部屋へと震える足を踏み出した。






若余裕なさすぎです。
なんか見てるのも辛い感じ。
たぶんヒカルはそんなに期待してないから。
次から若のダメっぷりが目立ってきますので
そんな若が苦手な方はここらでバックお願いします。ホントに。