逢いたい






 地下にある駅を発車した電車は、トンネルを経てやがて地上に出た。
 窓の外の眩しくも白い景色にヒカルは目を奪われる。
 ――そうか、ここ北海道だもんな。
 空港を出てしばらく走り続けた電車は、山や野ばかりののどかな世界を通過して、その広大な白さにヒカルは釘付けになっていた。
 思えば、小さい頃から憧れていた場所だった。こんなに急な旅行でなければ、もっと観光名所を調べてくるんだった……白銀の名に相応しい、何もない白い大地にヒカルの気分も高揚していく。
 しばらくして、風景の中にちらほらと建物が現れ始めた。いくつかの駅を通り過ぎ、電車は走り続ける。
 さすがに飽きもせず外の景色を眺めるなんて子供染みた感覚は薄れ、時折窓の外に目を向けつつ、ヒカルはマグネット碁盤をいじりながら札幌までの道程を過ごしていた。
 まもなく札幌のアナウンスが流れると、にわかに車内が慌しくなる。どうやらほとんどの人がそこで降りるらしく、一様に準備をし始めた。
 大きなスーツケースを持った人がデッキに向かう中、リュックサックひとつのヒカルは軽い緊張を覚えながら電車が停車するのを待った。
 どやどやと降りていく人の流れに続き、ホームに一歩足を踏み入れた時、ひんやり頬に触れる冷気にヒカルは思わず天を見上げる。
 完全に屋根で覆われておらず、所々空を覗かせているホームでは、ヒカルがちょうど見上げた薄暗く曇った空からはらはらと雪が落ちてきていた。
 吐き出した息が色濃く曇り、一瞬視界を奪われる。
 電車のいないレールの隙間には雪がびっしり詰まっていた。
 ここは冬の街だ――ヒカルはしばらくホームでぴりぴりした寒さを楽しんで、吐き出す白い息が空気に溶ける様を眺めていた。
「さあて、これからどうすっかな」
 ホームから階段を降り、東京ほどではないにしろ、意外にも混雑した改札内から抜け出して、行き交う人の流れを目で追いながら呟く。
 時刻はもうすぐ午後の五時。早ければ対局は終わっているだろうが、確証はない。おまけに、大抵終局後に関係者で食事に出かけることが多いため、アキラもそれに連れて行かれる可能性が高い。
 そうなると、相当遅い時間までアキラと連絡を取るのは難しいのではないだろうか。ヒカルはううむと唸り、携帯電話とにらめっこを始める。
 とりあえず、メールだけでも送っておこうか。でも、なんて送ったらいいだろう。
 ヒカルは小さなお土産屋を通り過ぎ、大きく開けた通りを人の波に乗って歩いていった。駅に隣接された通路の高い天井を見上げ、思った以上に近代的な建物に驚きながらも、曇った空に惹かれるように外を目指す。
 外は雪が世界を支配していた。
 期待していたようなのんびりした風景と違って、ビルが立ち並ぶ無機質な様子は都会と形容して問題ない。しかし、まだ十二月というのにこれだけ真っ白に雪で覆われた世界を、ヒカルは今まで見たことがなかった。
 白い息を棚引かせ、ヒカルは空を見上げながらフラフラと歩く。頬に瞼に雪が触れ、ぱちぱち瞬きを繰り返しながらぼんやり進んでいると、ふいに足がずるっと地面を踏みそこなったように滑った。
 仰け反って、何とか転ばずに身体を起こし、ヒカルはまじまじと地面を見つめる。
 地面にはロードヒーティングが施されているようだが、しっとりくまなく濡れそぼっている。その上に次から次へと降り続く雪のせいで、ヒカルのスニーカーを滑らせているようだった。
「うわ、靴のことまで考えてなかったぞ」
 靴どころか、周囲の人々がマフラーや手袋で防寒する中、ヒカルのダウンジャケットは暖かそうではあるものの、物足りなさは否めない。
 屋内にいる分には暑いくらいだが、やはり外の気温は予想通りの寒さだった。
(でもなんか、寒さの質が違う)
 見る限り、目の前に開けている道路にはそれなりの車がひしめき合い、クラクションの音が違和感なく聞こえる様はヒカルが知る都会の様子と変わりない。
 それなのに、やけに空気が冷たく澄んでいた。
 ヒカルは駅前を当てもなく歩き、急速に暗くなる景色を感じながら初めての街並みを眺めていた。
 時計を見ても、まだ五時を少し回った程度だ。陽が落ち始めたと思ったそれから間もなく、辺りはとっぷりと暗くなっていた。
 あちこちに備え付けられた街灯が、ひらひら舞う雪を照らす。
 この街は、時の流れが速いのだろうか。
 ヒカルは、駅から伸びる大きな通りにずらりと並んだオレンジ色の光を見つけ、闇の中で一層輝くその光に導かれるように大きな通りを前に進む。
 それが街路樹に飾られたイルミネーションだと分かり、鮮やかな光を横目で見ながら、どこまでも続きそうな電飾の道に感嘆のため息を漏らした。
 光と雪が混じりあう、幻想的な美しさにヒカルは見惚れたが、早足で歩く人々は別段気に留めた様子もない。地元の人間が多いのだろうか。こんなに綺麗なものを、じっくり眺めないなんて損だなあとヒカルは肩を竦める。
 このまま真っ直ぐ歩いて行ったら、どこに辿り着くのかも分からない。それでもヒカルは人の波に乗って、冷えた空気の中を前へ前へと進み続ける。
 頭の中で、どうやってアキラに連絡しようかなんてことをぼんやり考えていた。
「あ、そうだ、家に連絡しないと」
 ヒカルは歩きながら携帯を取り出した。ポケットに突っ込んでいた手を出すのが辛かった。携帯を耳に当てている間も、指先がかじかんで仕方ない。
「もしもし? あ、うん俺ー。札幌着いた。うん、雪降ってるよ、すげえ寒い。え? う、うん、これから塔矢と待ち合わせるまでぶらぶらしてる」
 アキラと無事に逢えたのかとの母親の質問に言葉を詰まらせながら、空いた片方の手で携帯を握る指先をさすった。
「え? か、帰り? ……えーと、か、帰るときまた連絡する! じゃあね!」
 都合の悪い話に差し掛かり、ヒカルは半ば無理やり電話を切った。
 無事でいることは伝えたのだから、もう充分だろう。まさか帰る手段を考えていなかったなんて言ったら、海の向こうでどれだけ母親が大騒ぎすることか。
「まいったなあ」
 いよいよどうするか真剣に考えなくては。
 すっかり暗くなった街は、寒さも一段と増してきた。おまけに腹もすいてきて、心身共に心細くなってくる。
 髪を、頬をすり抜ける風が微かに痛い。多分露出している肌は真っ赤になっているのだろう。ヒカルはファーのついたフードをかぶり、白い息がフードの中にこもるのを感じて少しほっとした。
 気づけば足はすっかりかじかんでいる。街行く女性のブーツを羨ましげに眺めた。スニーカーの靴底はずるずると滑り、風を切って歩く人々に比べてヒカルの足取りはのろかった。
 やがて、ひたすら真っ直ぐ進んだヒカルの視界に、テレビで見たことのある景色が広がってきた。






うわっ札駅ホームとかかなり嘘入ってます……
つうか状況説明だけで1話終わってしまった……!
なんて無駄にテキスト量が多いのか……!