逢いたい






「……ここ、大通公園かな?」
 東の空を見上げるとテレビ塔。ヒカルが真っ直ぐ歩いてきた駅前と垂直に交差した大通公園は、そこからずうっと西に向かって多種多様なイルミネーションで彩られていた。クリスマスの雰囲気漂う市場のような催しもあり、ヒカルは物珍しげに視線を彷徨わせて、大通に沿って歩き始めた。
 迷子になったら困るとも思ったが、駅から真っ直ぐ南に歩いて、西に曲がっただけである。通り過ぎてきた道々は全て垂直に交わり、なるほど、碁盤の目の街とはこういうことかとヒカルは頬を緩ませた。
 ――俺、街の中の碁石ってわけだ。
 あまりに真っ直ぐ地を作りすぎてもつまらないから、ここらで曲がるのもいい判断だろう。並ぶ様々なイルミネーションを楽しみながら、ヒカルは西へ西へと向かっていく。
 赤青緑、紫にピンク。清純な白色、それぞれの色がピカピカ光り輝いて、美しいオブジェを彩っている。
 ツリーやピラミッド、それから花。鳥をかたどったものもある。ヒカルは時折立ち止まり、自分の身長よりもずっと高さのあるイルミネーションのオブジェを見上げたりした。
 雪はいつしか大きく形を変え、小指の爪のようだったひとひらが、まるで千切った真綿をきゅっと両手で更に裂いたようなふわふわしたものになっていた。
 手のひらを差し出すと、舞い降りた雪は一瞬で溶ける。
 それなのに、地面にも、枯れた木々にも、見事なイルミネーションにも、雪は降り積もるばかりで、柔らかく白い景色はその白さを増すばかり。
 この雪が、溶ける季節は本当にやってくるのだろうか。ヒカルは当たり前のように降り続く雪を見ながら、改めてここは自分の住んでいる場所とは違うところなのだということを実感した。
(寒い)
 寒いのに、不思議な白さに心を奪われている自分がいる。
 手と足の指先にはもうほとんど感覚がない。歩くのが億劫になり、ヒカルは備え付けのベンチを見つけ、雪を払って腰掛けた。
 何か暖かい飲み物でも飲みたかったが、見渡す限り自動販売機のようなものは見つからない。
 目の前に光る大きなすずらんを象ったイルミネーションを見上げながら、ヒカルはポケットに入れていた携帯が震えるのを感じて、驚いて取り出した。
 メール着信が一件。もしやと心躍らせてメールを開くと、差出人は和谷だった。
 ――お前、ドタキャンなんていい度胸してるな!
「あちゃー、忘れてた」
 ヒカルは和谷のメールに苦笑して、ゴメンと返事を打ち始める。
 和谷のことだ、ヒカルが抜け駆けしたのではないかとそればかり気にしているに違い無い。恋人に逢いに来たのだから抜け駆けになるかもしれないが、相手は和谷が想像するような可愛らしい女の子ではない。
 ――ゴメン、ちょっと風邪引いて今日はパス。
 ひっそりを嘘をつく。他愛もない嘘だと自分でも思うのに、アキラに逢うことを隠してついた二度目の嘘だと思うと少し胸が居心地悪げに疼く。
 ――本当だろうな? 隣に女の子とかいるんじゃないだろうな?
 ――本当だって。凄く寒いんだよ。
(寒いんだ)
 ヒカルははあ、と指に息を吐きかけた。暖かさを感じたのは一瞬で、すぐに指は感覚を失う。
 それから少しして、和谷からお大事に、と返事が届いた。どうやら疑いは晴れたようだが、ヒカルの心が密やかに曇っている。
 時刻はもうすぐ午後の六時になる。思ったより長い間外を歩いていたようだ。
「そりゃ、冷えるわな」
 心なしか震える口唇で、自分に皮肉を言ってみる。
 見知らぬ人々がヒカルの目の前を通り過ぎていく。幸せそうなカップル。サラリーマン風の男性が抱える大きな紙袋は、子供へのクリスマスプレゼントだろうか?
 白い白い息を吐きながら、彼らは街を行過ぎる、嬉しそうに、楽しそうに、切なそうに、陰鬱そうに、無表情に。
 その様々な顔のたった一人に過ぎないヒカルは、寒さに震えながら苦笑した。
 ――塔矢、びっくりするだろうなあ。
 まさかこんなところまで来るとは思うまい。追いかけてくるのはアキラの専売特許だが、自分だって時にこれだけ大胆になるのだ。
 親や友達に嘘をついてまで、こんなに寒い冬の街までやってきた。
「お母さん、何て言うかな」
 本当のことを告げたら。
 現地で待ち合わせる相手がアキラなら、と母親が諦めるように納得した相手が、ヒカルが誰より逢いたい恋人だなんて。
 悲しむだろうか。……驚くだろうな。
(ごめんなさい)
 散々我儘放題で怒られてばかりだった自分が、いつしか無鉄砲を許される年になっていたなんて思いもしなかった。
 束縛されると暴れたくなるのに、手を離されると戸惑うなんて、自分はまだまだ子供なのだろう。
 アキラが一緒ならと、信用してくれた両親に嘘をついた。
(……ごめんなさい)
 何度も連絡することが苦にならないのは、後ろめたい気持ちが強いからだろうか。
 いつも後先考えずに行動する自分が、囲碁に傾ける情熱と同じくらいに誰かを愛している。それを後ろめたく思わなければならないことが辛い。
(塔矢に逢いたい)
 冷え切った身体を持て余して、心がどんどん寒くなる。
「……ダメだ、限界」
 ヒカルは手にしていた携帯でメールを打ち始めた。かじかむ指先がぴりぴり痛む。ボタンを押す、たったそれだけの力を込めるのが辛くて、単語をひとつ打つのにいやに時間がかかる。
 札幌に来た、と打ちかけて、あまりにストレートすぎて面白くないかな、と思いなおす。
 ヒカルの眼前では大きなすずらんのイルミネーションが優しい光を湛えていた。
 凍える指が、カチカチとキーを打つ。
 ――すずらんの下で待ってる
「……ちょっとクサいかな」
 少し笑って、これだけではあまりに意味不明だと気がつき、ヒカルは携帯をカメラモードに切り替えてすずらんにファインダーを向けた。
 パシャ、と小さな音の後、画面にはややぼけたすずらんの光が写っている。
「添付して、と……」
 背景にバッチリ雪景色が写っているから、ひょっとしたらこれで感づいてくれるかもしれない。
 まさか札幌まで来ていると思われなかったとしても、この不思議なメールに気づいたらきっと何事かと問いかけてくるはずだ。そうしたら、種明かししよう……
「早く返事が来ますように」
 祈りを込めて、メールを送信した。
 アキラの仕事が早く終わりますように。もしどこか連れ回されていたら、早く解放されますように。
 早く見つけて、迎えに来て欲しい。
 この澄み切った冷気が、心まで凍らせてしまわないうちに。
 ヒカルは身体を抱えるように前屈みになり、ぎゅうっと肩を竦めた。
 遠くから、クリスマスソングが聴こえてくる。さっき通り過ぎた市場からだろうか。
 ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る……
 幻想的な雪の中、煌びやかな光に溢れて、こんなに理想のシチュエーションが整ったホワイトクリスマスはあるもんじゃない。
 ただ、アキラがいない。
(逢いたいんだ)
 アキラに逢うために、タブーを振り切ってここまで来た。
(逢いたいんだ、それだけじゃダメなのかよ)
 ずっと子供のままでいられたら。


「……進藤?」


 フード越しに届いたその声は、くぐもっていたけれど、低くてよく通る聞き慣れた声で。
 ヒカルは、ゆっくりと顔を持ち上げた。






またもや嘘が。調べた結果、すずらんイルミは東側にあるようです。
西側にあるのはライラックなんですけど、ヒカルはきっと
ライラック(リラ)なんて知るまい……。
そんな訳で分かりやすくすずらんに摺り替えてしまいました。
ちなみにさっぽろホワイトイルミネーション公式サイトはこちら