何だか頭がぐらぐらする……マイクロトフは限界を悟った。いや、先ほどからとうに悟っているのだが、両脇の女性達の衰えを知らないパワーにそこから抜け出すことが出来ないのだ。 「マイクロトフ〜、まだ早いんじゃないの?」 「も、かんべんしてくださ……」 「情けないね。もう降参かい?」 アニタの言葉に機械的にかくかくと頷く。 「仕方がないね。おーし次フリック!」 げっ!という悲鳴が上がり、アニタがフリックの元へと突入する。途端マイクロトフはくたりとテーブルに突っ伏してしまい、バレリアに支えられながら部屋の隅へと追いやられた――もう用済みということだろうか。 顔が火照って仕方がない。ぼーっとするし、瞼は重いし、どうして彼女達があんなに元気なのかマイクロトフにはさっぱり分からない。 ドア付近に転がされていたので、這いずってドアに小さく隙間を開けた。そこから廊下の風が吹き込んで来るのが気持ちいい……と思った時、ドアががらりと開く。 ぼんやり見上げるとシーナがいた。 「マイクロトフさん、こんなところで何やってんすか?」 「い、いや別に……。シーナは何を?」 「聞いて下さいよー、別の部屋でも宴会やってるからこっそり覗きに行ったんだけど、すっげーいい男がいるせいで女の子達が全然靡かないんすよ!」 「はあ……」 シーナがいまいち何を言っているのかマイクロトフの頭には入ってこなかったが、適当にうんうんと相槌を打っておいた。言うだけ言うとシーナは満足したのか、また宴会の輪の中に入って行く。 マイクロトフはぐったりと座布団に額を押し付けて、確実に訪れている眠りの世界に身を任せようとした…… 「ごめんね、うるさくて。まだ皆盛り上がってるから、寝る前に僕が電話するよ。じゃあまた後でね、ヒックス」 割と近くから聞こえて来た声に、またマイクロトフはむくりと顔をあげる。すると、広間の端で携帯の電源を切ったテンガアールと目が合った。 テンガアールはえへ、と笑って 「彼氏でーす」 酔っているのも手伝ってか無邪気にマイクロトフに告げる。その言葉にマイクロトフがはっとした。 (――電話!) 先ほどまでへたばっていたというのに、いきなりがばっと起き上がったかと思うとアニタの元へ直行した。 「アニタ先輩っ、俺の携帯は!」 「えー?」 威勢はいいが大分酔いが回っているアニタ、マイクロトフの言っている意味が分からないらしい。 「さっき俺の携帯取り上げたでしょう、何処にやったんですか!」 「んー、そうだっけ……そのへん……?」 アニタが指差した食事の残骸に飛びつくと、皿の間に埋もれた携帯の黒いボディが現れた。マイクロトフは急いで開いて愕然とする。――また着信。 今度こそ絶対出ようと思っていたのに! もう我慢できない、と広間を飛び出そうとした時、背中にずっしりと重量を感じた。振り向くとげっそり窶れたフリックが凭れている。 「フリック、急いでいるのだ……」 「……く」 「え?」 「吐く……」 「みーつけた!」 元気な声にぎょっとしてカミューは振り向く。 出ない電話を放り投げ、ふてくされてホールのソファに身体を預けていたのだが。 (折角静かだったのに……) 現れたのは喜々としたニナだ。エミリアめ、途中から宴会部長の一派に引き込まれてニナを釈放したな。カミューは疲れた作り笑いをニナに向ける。 「カミューさんいなくなっちゃったから、ニナさみしかったです〜」 ここぞとばかりに隣に座ってすり寄って来るニナに、流石のカミューもうんざりする。元々子供っぽい女は趣味ではなかった。それゆえ相手にしたことはないのだが。 グレンシールのよう女性に遠慮せずきっぱり断る性質なら。こんなふうに苦労することもないのだろうな……カミューは八方美人な自分の性格を恨めしく思った。 「ニナちゃん大分酔っぱらってるね。部屋に戻りな、皆には私が言っておくから」 「カミューさんが連れてってくれる……?」 上目遣いで小首をかしげる仕草は狙ってのことだろうが、これくらいで動揺するような経歴は持ち合わせていない。適当に部屋に押し込んで戻ろうと、カミューはニナを促した。 「大丈夫か……」 大至急でトイレに直行したマイクロトフは、フリックの背中をさすりながら尋ねる。 大方出しつくしたようだ……フリックは顔面蒼白で身体に力が入らないらしい。マイクロトフはそれを必死で支えていた。 「なんだってうちの女どもは化け物ぞろいなんだ……」 蚊の鳴くような声でフリックがぽつりと呟いた。もっともである。 「フリック、歩けるか?」 「なんとか……すまんな、マイクロトフ……」 額の汗を拭き、フリックはマイクロトフに捕まってよろよろと歩き出した。マイクロトフも倒れそうな彼の腕を自分の肩にかけて、引きずるようにして前進する。 それは2人にとっては唐突な出来事だった。 屍のようなフリックを半ば背負ってトイレから戻るマイクロトフと、自分の胸にも身長が満たない女の子を腕に絡ませてエレベーターを待っているカミュー。 何気なく顔を上げたマイクロトフと、何気なく振り向いたカミューとの目が合った。 硬直。 お互い幻を見ているのかと考えた――先ほどからあまりに焦らされているので、とうとう白昼夢(今は夜だが)を見るようにまでなってしまったかと。 しかしそれがくだらない戯言であるのはすぐに分かる。 「……カミュー……?」 「……マイクロトフ……」 はっきりとそれぞれの名前を呼んだことで、逢えたという実感よりも現状の疑問のほうが大きくなってきた。 ――何でこんなところに。 「……マイクロトフ?」 動かないマイクロトフに、不審気にフリックが見上げる。 「カミューさん……?」 エレベーターが来たというのに気づきもしないカミューに、ニナも不安そうに彼の腕を引いた。 途端、カミューとマイクロトフはあからさまに不機嫌な表情になる。 ――何やってるんだこいつ。 マイクロトフはフリックを支えていた力を無意識に抜き、その弾みでフリックがバランスを崩して床に転がる。カミューも無造作にニナの腕を振り解いて、つかつかとマイクロトフの元に歩み寄って来た。 「……話そうじゃないか」 「ああ」 低く念の篭った声で頷きあうと、2人はフリックとニナを置いて廊下を進み始めた。慌てて追おうとしたニナの脚をフリックが掴む。 「ちょっと、何するんですか!」 「……吐く……」 「ええっ!?」 「我慢できな……!」 ニナの絶叫が廊下に響き渡った。 * ひとまずホールに辿り着いた2人は、どちらから促すということもなくどっかりと備え付けのソファに腰を下ろした。 灰皿を乗せた小さなガラステーブルを挟み、向かい合うように。 決して友好的ではない時間が流れる……ほぼ睨み合い状態が数分続いた。 「どういうことだい?」 ついにカミューが口を開いた。マイクロトフがピクリと眉を動かす。 「どういうことだ、とはどういう意味だ」 「そのままだよ。何で会社で仕事してるはずのお前がここに?」 「今日は仕事じゃない、慰安旅行だ」 「そんなこと言わなかったじゃないか!」 「お前だって聞かなかっただろう!」 カミューがそれは理不尽だ、というように言葉を飲み込んだ。 マイクロトフも今の言い方はまずかったことに気づいたが、今更撤回もできない。体勢の不利を悟ったか、反撃に移ることにした。 「そういうお前は何故こんなところにいるんだ?」 「何故って……私も慰安旅行だ」 「俺は聞いてないぞ」 「それは……言う機会が……」 「……」 「……」 何を言ってもお互い言い訳になってしまいそうで、一旦口を噤む。 カミューは数日ぶりのマイクロトフをしげしげと眺めた。初めて見る浴衣姿、少し着崩れて胸元が乱れている。そういえば先程妙な男を抱えていたようだった……あんなに密着して。 マイクロトフも普段と少し違うカミューの様子に苛々していた。何かあったのじゃないかと心配していたのに、女の子を腕に侍らせてにこにこしているなんて……誰かにくしゃくしゃにされたような髪の毛がまた憎たらしい。 ふつふつと怒りが沸いて来る。あれだけ電話したのに。あれだけ、あれだけ…… 「お前、あの男と2人で何処に行こうとしてたんだ? そんなはしたない格好をして。もしかして旅行だと私に言えない理由でもあったんじゃないのか?」 「何を馬鹿なことを。フリックは酔って吐いてたんだ。浴衣のどこがはしたない格好だ! お前こそ何だ、あんな若い女性と腕なんか組んで……お前こそ俺に言えなかったのではないのか?」 「あれは勝手にひっついて来たんだ! 部屋に押し込んで戻ってくるつもりだった……私があんなのを相手にするわけがないだろう!」 「どうだか、お前の前科を考えると信用できない」 「マイクロトフ!」 「俺だってお前の言う“あんなの”の一部かもしれんしな」 我慢できずにカミューが立ち上がった。マイクロトフが口唇を噛んで目を逸らす。 それは端から見るとふてくされたような表情だったが、かろうじてカミューはマイクロトフが何かを堪えている顔だと気がついた。 「……マイクロトフ」 「放っておいても女性が寄って来るんだからいいことじゃないか。その中から好きなのを選んで適当に遊べばいいだろう? 今までみたいに」 「マイクロトフ」 「だが俺はお前のように器用にはできていないからな、見切りをつけるのなら早めにしてくれ。俺は一度にたくさんの相手を持つことも別れた相手を簡単に忘れることもできない。こんな状態ではお前を信じることができない。お前に心を許すことが出来ない」 カミューはふ、と息をついた。立ち上がったまま所在の無かった脚を動かして、マイクロトフの隣に腰を下ろす。 「それって、もしかしてずっとそう思ってたの?」 「……」 「今まで変にぎこちなかったのはそのせいか?」 「……」 一転黙りこくってしまったマイクロトフはそれを肯定するかのように俯いた。 カミューはやわらいだ怒りを更に鎮めるため、マイクロトフの手を取る。 「私の言葉は信用できないのか?」 「……全くできないというわけじゃない……、けど信じるのが怖い」 「どうして」 「……お前の周りには人が多過ぎるんだ……」 カミューがマイクロトフの手を握りしめる。それを振り解こうとはしなかったが、暖かさに何かがぐらりと揺れていることもマイクロトフは分かっていた。 随分酒も飲んでそれなりに酔っている。無性に泣きたくなって、マイクロトフは先程のように口唇を噛んでそっぽを向くのだった。 カミューにはマイクロトフの言わんとしていることが何となく理解できるような気がした。出逢いからして最悪だった相手だ。カミューの良い部分よりは悪い部分のほうを圧倒的に見ている。 普通に考えればマイクロトフは不安になっているのだろうが、その事実を理解しても納得できない感がどうしてもある。それはカミューが自分では信じられない程マイクロトフに夢中になっているためであり、それが誰よりも分かっているのは自分自身でしかありえないのだが。 「マイクロトフ、私はお前に本気だよ」 「分かってる」 「半端な気持ちでこんなことはできない」 「分かっている!」 分かっていてもそれは今のこと、明日どうなるかは分からない――ずっと頭に纏わりついていたマイナスの考えは簡単には消せず、この気持ちを伝えたくとも旨く伝える術を知らずに今までじっと堪えてきた。マイクロトフはもどかしい気持ちを表わすためにカミューの手を握り返した。 カミューにはそれで充分だった。 不安を取り除くことはすぐには無理だろう。先程マイクロトフが使った「前科」という言葉が耳に痛い。ならばこの先ずっと一緒にいることで思いを証明するしか方法はない。カミューはそのままマイクロトフの肩を抱いた。 「信じてもらえるまで、待つよ。それしかないだろう?」 「……」 「お前が安心できるようになるには随分時間がかかりそうだけど、私は自信があるから」 「……その前に俺がお前を忘れたらどうする」 「酷い……」 マイクロトフの肩にことりに額を乗せ、カミューはくつくつと笑う。これは自分も不安になる時が来るのだろうか……あまり歓迎したくはないが。 「とりあえず、仲直りしようか?」 「……うむ……」 「旅行のこと言えなかったのは謝るよ。だから必死で電話かけてただろう?」 「……俺もきちんと伝えないですまなかった。あと、電話にも出れなくて……」 「さすがに電話はまいったけど」 「俺もまいった」 ふふ、とようやく笑い声が漏れた2人の間に、一週間前のような悪戯っぽい空気が戻って来た。カミューがそっとマイクロトフに口づけをねだると、マイクロトフは辺りを憚って形ばかりの抵抗をする。 しかし誰もいないホール、やがて2人は小さく口付けを重ねた。 |