QUICK,QUICK,SLOWLY






「か、カミュー……」
 小さな口づけがだんだん濃厚になっていくのに、マイクロトフは焦ってカミューの服を掴む。カミューは動じる気配が無く、キスを顎から首へ落としマイクロトフの背中をまさぐりはじめた。
 カミューを押し退けようとマイクロトフは腕を突っ張る。
「こことをどこだと思ってるんだ、馬鹿!」
「ホール」
「分かっているなら……!」
「誰もいないよ」
 カミューが右手を浴衣の合わせから胸へ滑り込ませてきた。
 いよいよ慌てたマイクロトフは思いきりカミューの頭を殴る。
「痛!」
「時と場所を考えろ!」
「……」
 するとカミューはするりと手を抜き、俯いたまま身体を起こした。無言でマイクロトフの浴衣を直すと少し離れた位地に座り直す。
 その様子にマイクロトフはマズイと直感した。
「……カミュー……」
「……」
「その……俺は……こういうのは嫌だ……」
「……」
「誰がくるか分からないし、それに……」
「ここじゃなきゃいいのか?」
 垂れた前髪の隙間から覗くカミューの目は据わっていた。
「私に触られるのが嫌なんだろ?」
「カミュー……」
「この一週間、ろくに近寄らせてもくれなかった……どうして私に抱かれるのが嫌だとはっきり言ってくれない! そりゃああの時無理矢理だったのは悪かったと思ってるよ。だけどそれらしい理由をつけて曖昧に抵抗される身にもなってみろ! 嫌なら嫌だって、そう言われたほうがどんなに楽か……」
 ――でないと期待してしまう。
 振り絞るようなカミューの声を、マイクロトフは半ば呆れたように聞いていた。
「あ、あれから一週間しか経っていないんだぞ?」
「時間なんて関係ない」
「そんなに身体が大事なのか!?」
「私は四六時中べたべたしたいんだ、キスもセックスもお前の許可をいちいち取らずにしたいんだ! つきあい始めてからもう一週間だぞ、少し逢うのにいちいち連絡しなきゃならないのか?」
「それは、礼儀として……」
「恋人同士なのに!?」
「親しき中にも、と言う言葉があるだろう!」
 カミューは短く笑ってマイクロトフをじっとりと睨み付けた。凄まれて、マイクロトフもゾッとする。
「つまり、必要異常に近づきたく無い訳だ」
「どうしてそういう言い方を……!」
「“恋人同士”、ね」
「……!」
 精一杯の皮肉を込めて呟いた後、マイクロトフから顔を背けたカミューの肩に何か固いものが当たった。痛みに思わず振り返ると、マイクロトフが物凄い形相でこちらを睨み付けている――投げ付けられたものは携帯電話。
「……お前は何にも……」
「ま、マイクロトフ……」
「何にも分かってないっ……!」
 再び拾い上げた携帯を投げ付けようと構えたマイクロトフの腕を、咄嗟に近寄ったカミューが押さえた。振り解こうとマイクロトフはもがく――何て力だ――カミューは渾身の力を込めてマイクロトフの腕を押し戻そうとする。
「マイクロトフ、落ち着けっ……」
「お前に俺の気持ちが分かるか! 俺がどんな思いでお前に抱かれたと思うんだ! 痛かったし苦しかったし、お前が相手で無ければあんなこと死んでもごめんだ! お前はいつも自分の気持ちを押し付けるばかりで、俺がお前の言葉にいちいちビクビクしていることなんか知りもしない癖に!」
「マイクロトフ……」
 つい弛んだカミューの力、マイクロトフが隙を狙って携帯を持った右手を振り下ろす。カミューは間一髪避けた――本気だ。
「突然尋ねられても掃除もしていないし、会社から帰ったばかりで疲れた顔をしているし、すぐに近寄られてもからだだって洗って無い! 俺はそういうのが恥ずかしくて嫌なんだ!」
「そ、そんなこと私はちっとも気にしてないよ!?」
「俺は気にする!」
「ちょ、マイクロトフ、待てっ……」
 再度飛んで来た携帯を何とかキャッチして、カミューはマイクロトフを呆然と眺めた。
「そんなこと気にしてたのか……?」
「うるさい!」
 素手で殴りかかってこようとしたマイクロトフを、カミューは最後の手段で抱き竦めた。
 しばらくは暴れていたマイクロトフも、腕の温もりに少し気を取り戻したのか大人しくなる。
「マイクロトフ……」
「……俺は……きちんとけじめをつけたいんだ……」
「……、……うん……」
「でないとこれからお前とつきあって上手くいくのか分からない」
「うん……」
「ちゃんと話し合って、ゆっくり理解していきたい。まだ不安でたまらないんだ、俺はこのまま進んでいいのか分からない」
 カミューはようやくマイクロトフの全ての本音を聞くことができたような気がした。
 マイクロトフがカミューを受け入れてくれたきっかけは、酷く性急にカミューが作り出したものだった……それも無理矢理に。マイクロトフはまだ思考が追い付いていないのだ。
 愛情だけでは前進できない。ましてやこんな関係。
 ゆっくり進めていきたかったのに、カミューはいつも焦ってしまっていた。それがマイクロトフにも伝わっているから、余計に不安にさせる原因を増やしていたのだ。
 お前が相手でなければ死んでもごめんだ――その言葉で充分じゃないか――カミューはマイクロトフをきつく抱き締める。
「……ごめん、マイクロトフ」
「……」
「反省しました」
「……」
「私は急ぎ過ぎてたんだな」
「……」
「ごめん」
 マイクロトフが顔を上げる。その額にキスをされ、ビジュアルを想像して頬が赤く染まった。
「きちんと……ひとつひとついろんなことを話し合おう。私はもっとお前のことが知りたい」
「……、ああ……」
「でも、これだけは……初めに確認しておきたい。私はお前のことが好きだ。お前は、私のことが好き?」
「――……」
 マイクロトフが口籠り、条件反射で俯こうとしてそれを押しとどめる。きちんとさせなければ。
 そう思って頷いた。カミューはそれで満足だった――が、マイクロトフはこれでは自分の言う“けじめ”に足りないと思い直して、
「……好きだ」
 小さな声でつけ加えた。
 カミューは力の抜けた両腕に心を込めてマイクロトフを包む。
「……時間、かけようね」
「……ああ……」
「……」
「……」
「う……」
「カミュー……?」
 カミューの身体が少し硬直した――と、カミューは複雑な表情をしてマイクロトフを横目に見る。
「……時間かけようって言ったばかりなんだけど……」
「……?」
 意味が分からないマイクロトフが眉を寄せた瞬間、密着した身体の下部分、何か固いものが当たっている。 それが何かと気づいた瞬間、マイクロトフは耳まで赤くなった。
「ば、お前……、」
「ごめん……興奮した」
「こ、……」
「どうしよう」
 知るか! と怒鳴りたかったが自分の意志でどうにかなるものでないことはマイクロトフもよく知っている。しかしこのまま受け入れてしまうのにはやはり抵抗があった。
「……こ、こんなところは嫌だ……」
「こ、ここじゃなきゃいい……?」
 先程とは打って変わって弱気かつしたたかな発言だ。
「――トイレも嫌だ」
「じゃ、よ……」
「浴場も嫌だ!」
「部屋は……」
「同室者がいるだろう!」
「……」
 しばし思案したカミューは、何か思い付いたようにマイクロトフの身体を離す。マイクロトフは何故か肩で息をしていた。
「……同室者がいなければ、部屋でもいい?」
「え……」
「何とかするから、だめ?」
「だ、だめって……」
 マイクロトフは狼狽えてしどろもどろになる。物凄く拒否したい訳では無いが、できることなら――避けてしまいたい。しかしカミューの積もり積もったものは先ほどの理不尽な言い訳でよく理解できている。
 けど、やはり抵抗が……
 頭の中で葛藤が続き、その間もずっとカミューの縋るような目で見つめられ続け、とうとうマイクロトフは小さく小さく頷いた。その合図を目敏く見つけたカミューは、早速立ち上がってマイクロトフの腕を引く。
 気が変わらないうちに連れて行こうという魂胆だろうか。カミューは素早くマイクロトフをエレベーターまで引っ張っていった。
 先程そこらで転がっていたフリックたちは姿を消していた――2人にはそんなことを考えている余裕などなかったが。



 *



 宴会場は未だに喧噪が続いていた。すっかり各自で盛り上がったその場所に、カミューがこっそり戻って来たことは誰も気づいていない。
 カミューは広間の隅で座布団を枕にしながら、すっかり寝入っているグレンシールを揺り起こす。
「……グレンシール、ちょっと」
 グレンシールは寝息を立てている。カミューはもう少し強く揺さぶった。
「グレンシール、グレン……」
 ふいにカッとグレンシールの目が開いて、カミューは驚きの声を寸でで押さえた。ここで騒いだらビクトールに捕まってしまう――何とか心臓も収まったようだ。
「……起こしてごめん」
 自分を揺する相手がカミューだと分かると、寝起きで無気味な程無表情だったグレンシールが不機嫌な顔になった。無視を決め込もうとするグレンシールに、カミューも食い下がる。
「グレンシール、頼みがあるんだ」
「煩い」
「今晩部屋を貸してくれないか」
 予想もしなかったカミューの言葉に流石のグレンシールも振り返る。
「……何だと?」
「今晩部屋を私に貸して欲しい。つまり……部屋に戻って来ないでくれないか」
 グレンシールが眉を寄せ、上半身を起こした。
「何だそれは」
「頼む、一生の願いだ」
「……女でも連れ込む気か」
 カミューは曖昧に笑った。女ではないがすることはグレンシールが想像しているものと同じだからだ。
 それを肯定と受け取ったか、グレンシールは皮肉明めいた笑みを浮かべる。
「こんなところまで来てナンパか?」
「……頼むよ」
 カミューは手を合わせた。グレンシールは少し考えていたようだったが、ふと何かを思い付いたように右手の指を5本カミューに向ける。
「温泉饅頭5箱奢れ」
「……饅頭? まだ欲しいのか?」
「余計なことを言うのなら貸さんぞ」
「――分かった、明日必ず買う。5箱でいいんだな?」
「仕方が無いからそれで手を打ってやる」
 それだけ言うとグレンシールは再びごろりと横になった。
 カミューは有難う、と小さな声で礼を言い、もう一度だけグレンシールに「今晩は戻ってくるな」と念を押した。グレンシールは返事をしなかった。
 商談が成立したからにはぐずぐずしていられない。カミューはビクトール達に見つからないように、そっと引き戸の向こうに消えていった。