ドアの前ではマイクロトフが落ち着かない様子で立っていた。 足音に気づいたのか、廊下の向こうからやってくるカミューを見て少しほっとしたような顔になる。 「ごめん、待たせて」 カミューはそう言いながら鍵を取り出してドアを開ける。 「か、カミュー、本当に大丈夫なのか?」 「大丈夫、同室の奴にはちゃんと頼んでおいたから」 「頼んでって、どうやって……」 「今晩は戻って来ないから心配しなくていい」 躊躇するマイクロトフを先に部屋の中に押し込んで、自分は滑り込むように中に入ってドアを閉める。オートロックのドアがガシャリと音を立てて廊下とこちら側を遮断した。 マイクロトフは息を飲む。部屋の中は荷物が脇に避けられ、真ん中に布団が二組。本来ならばカミューとその同室者のものなのだろうが、今は妙に艶かしく見える。 「マイクロトフ……」 カミューの足音が布団に吸い込まれ、すぐ背後にいたことに気づいていなかったマイクロトフは慌てて飛び退いた。そのはずみで布団に脚を取られ、尻餅をつく。 カミューがその体勢を逃さずに膝をつき、マイクロトフの肩を掴んだ。 「ま、待てっ、カミュー……っ」 「あんまり待てそうに無い……」 「さっきまでの話と違うだろう、その……せめてシャワーを使いたい」 カミューはまじまじと浴衣姿のマイクロトフを見る。 「温泉入ったんだろう?」 「かなり時間が経ったぞ!」 「でも別に外に出た訳じゃ無いんだし」 「酒を飲んだから臭いが気になるんだ」 「いい匂いがするよ」 恥ずかし気もなくそんなことを言ってのけるカミューに、マイクロトフは少女のように頬を染めるというより寒気で身震いをしてしまった。言っている本人は大真面目なのだからタチが悪い。 マイクロトフがそんなふうに狼狽している中、カミューは早速と浴衣に手をかけて来た。 「カミューっ……」 「ごめん、限界。うんと優しくするから、この前みたいにしないから」 「た、頼むっ、せめて電気は!」 「……やっぱ消さないとだめ?」 初めての性交渉でも明かりだけは頑に消すと言ってきかなかったマイクロトフだが、今回もそれは必須条件であるらしい。マイクロトフが譲らないのを見て取って、カミューは渋々立ち上がり電気のスイッチを探した。 壁にあったスイッチに触れると部屋がふっと暗くなる。眩しい部屋に慣れていた目は一瞬暗闇で戸惑ったが、こわごわ脚を進めている間に布団の上で腰を下ろした格好のマイクロトフの輪郭が見えて来た――カミューは今度こそ、というようにそのシルエットに飛びついた。 カミューの動きに対応しきれなかったか、マイクロトフの起こしていた上半身があっと倒れる。 それからは早かった。 首や胸にキスの嵐が訪れ、浴衣の帯が解かれてしまえば衣服などあってないようなものだ。 カミューもシャツを脱ぎ捨てて、余裕の欠片もなくマイクロトフに被いかぶさった。 「……ッ……」 遠慮も無く弄られた下半身にマイクロトフがぎょっとする。 意外な程にムードが無い。がっつき方は中学生並みだ。 「ちょ……、カミュー、もう少しゆっくり……」 「マイクロトフ……、マイクロトフ……」 マイクロトフの抗議などまるで聞こえていない。流石にむっとし始めたマイクロトフがカミューの頭を掴もうとすると、 「痛い!」 申し訳程度に濡らした指を突然突っ込まれ、マイクロトフは素の悲鳴を上げた。 「何する、この馬鹿!」 手加減なしに肘をカミューの頭めがけて振り下ろす。当然これは効いたようで、カミューは鈍い呻き声を上げてがくっと崩れた。 「何がうんと優しくするだ! 力任せに突っ込みやがって!」 「たった指一本だぞ!?」 「そう思うなら自分のケツに突っ込んでみろ、死ぬほど痛いんだからな!」 むむ、とカミューが唸る。マイクロトフを組み敷いておきながら自分が同じ立場になるのは嫌なようだ……マイクロトフとしてはそこも納得のいかないひとつなのだが。 それを我慢して受け身の立場を取ってやっているのに、ぞんざいに扱われるのは耐えられない。 「そんなふうにするならもうしない」 「え!」 「俺は性欲処理の道具じゃ無い」 この言葉にはカミューも反省したようで、がっくりと頭を垂れてしまった。暗闇でも分かるそのポーズに、マイクロトフはいつもこう素直ならいいのにとため息をつく。 つきあうなんて考えもしなかった出逢ったばかりの頃、自分を馬鹿にしながら女性との関係を誇らし気に自慢していたのは何処のどいつだ……マイクロトフは目の前の、感情の塊と化したカミューにそっと手を伸ばした。 カミューの頭に触れる。柔らかい髪、ここを触るのは好きだ。 「……頼むから、ゆっくりしてくれ。本当に辛いんだ」 「……うん、ごめん」 「本当にゆっくりだぞ」 「分かった……、ごめんね……」 仕切り直しとでも言うように、カミューは暗闇でマイクロトフの口唇を探す。自らの口唇がマイクロトフの頬に触れ、徐々にずれて口唇に辿り着いた頃、また取り戻しかけていた理性が吹っ飛びそうになるのを必死で堪えた。 優しく、優しく、刺激を与え過ぎないように。 今まで培って来た技術も経験も全く役に立たない。童貞の時のように、いやそれよりももっと不自然な“優しい愛撫”を施しながら、カミューは愛する人とのセックスの意味を悟った。 これが快楽というものか。 マイクロトフはカミューの下で歯を食いしばり、快楽とは程遠い表情をしているが、それでもいつかすんなり受け入れてもらえる日はくるのだろうか―― マイクロトフの身体を気遣っていたのは最初の間だけだった。カミューの身体が快感に震えた時、最早彼は何も考えられなくなっていた。 * 薄いカーテンは太陽が昇りつつあることを如実に表わしていた。 空気はやや冷え、耳を済ましても物音ひとつ聞こえて来ない。ほぼ館の全体が眠りについているのだろう、それでも2人は薄闇――すでに薄明かりというべきか、お互いの顔の表情も分かる明るさの中目を開いていた。 身体だけは無性に気怠い。汗がべたついて気持ちが悪いが、起き上がるのも億劫で2人は長いことそうしていた。 カミューはぎこちなくマイクロトフを抱き寄せ、マイクロトフもぎこちなく抱き寄せられる。お互いに体格のせいか慣れていない動作だ。 「……ごめん」 もう何度目になるのか、思い出してはカミューは謝る。 「もういい……」 マイクロトフも同じ言葉を返す。 どうやらカミューは途中で我を忘れたことを謝罪しているようだ。マイクロトフとしてはそう何度も繰り返されると、夕べのことを思い出して恥ずかしくなるだけなのだが。 確かに後半はかなり辛かったが、その頃になると意識も麻痺してマイクロトフ自身何がなんだか分からなくなっている。 残念ながらはっきりした快感というものは2度目のセックスでも得られることはなかった。しかし最初にマイクロトフを気遣ってくれたカミューの優しい手は覚えているので、それでいいことにしようとマイクロトフは再度カミューに「もういい」と告げた。 「お前のことを考えていないわけじゃないんだけど、つい訳が分からなくなって……」 「だから、もう気にするなと言っているだろう。あまり言わないでくれ、恥ずかしいから」 「……私のこと嫌いになってない?」 「……、大丈夫だから心配するな……」 全くこの男はどうしてこんなにいろいろな顔を持つのか。 マイクロトフは苦笑して、一週間振りの人肌にことりと頭を乗せた。 「マイクロトフ、私……汗臭く無い?」 そして思いきりムードをぶち壊される。 「別に……、今は気にならないが」 「温泉もう開いてるっけ? 入りたいなあ……」 「……まだだろう。せめてあと2、3時間……」 「私まだ温泉入ってないんだよなあ。どうだった……っ、て、あっ!」 カミューが飛び起きる。つられてマイクロトフも飛び起きた。 「な、何だ!」 「マイクロトフ、お前頭打ってないのか!」 がばっとカミューはマイクロトフの頭を抱え、後頭部を撫でさすった。咄嗟のことに抵抗できなかったマイクロトフは、何がなんだか訳が分からず頭をぐしゃぐしゃにされ、ようやく解放された時には目の前がチカチカしていた。 「頭って、何のことだ……?」 「私の会社の人が、2人連れの若い男が露天風呂で転んだのを見たって……」 あ、とマイクロトフは手を叩く。 「それはフリックだ。俺は傍にいただけで……」 そしてはっとした。 ――酔ったフリックをあのまま放置してしまった。 今頃になって気づいても敢然に手後れだが、彼はどうしたのだろう……マイクロトフは心の中でフリックに謝罪した。 一方カミューは、マイクロトフに何の傷もないことを知るとほっと息をついた――が、 (……ということは……) オウランとエミリアはマイクロトフのフルヌードを見たのだろうか? 友人が頭を打って倒れたのを助けるのに、いちいち身体を隠したりしている暇はないだろう。まさか自分でさえ明るいところでははっきり見ていないマイクロトフの全裸を、彼女達は見たというのか。 「ああっ、こんなとこなら私も露天風呂に入っていればよかった!」 「な、なんだいきなり」 「マイクロトフ、私に生まれたままの姿を見せてくれ!」 「わあっ、何をするこの馬鹿ー!」 突然毛布をめくったカミューの脳天に、振り上げたマイクロトフの踵が直撃する。 カミューは物も言わず布団に崩れた。 *** 翌朝、カミューはやけにすっきりした顔で(何故か頭を擦りながら)温泉饅頭5箱を購入していた。 グレンシールはそれを受け取ると早速自分の荷物に詰めていた――結局大量の饅頭をどうするのかは聞いていない。 昨日までカミューにべったりだったニナは何があったのか、 「運命の出会いだったわ……」 を連発して同じ日に旅館に泊まっていたもうひとつの団体の周りをうろついている。 ビクトールを初めオウラン、エミリア達は全員酷い二日酔いに悩まされていた。 マイクロトフは一週間振りの腰の痛みに顔を顰めながらも、少しは改善された(?)カミューとの関係に内心ほっとしていた。 フリックは吐いた頃から記憶がほとんど抜け落ちているらしく、気がついたら見知らぬ女の子に追いかけ回されているんだとうんざりしている。 シーナは収穫がないとふてくされ、アニタとバレリアは電車の中で爆睡し、無事に旅が終わったことを心から喜んでいるフリードの姿が涙ぐましかった。 旅館を出る時、ふたつの団体が擦れ違った。 カミューはマイクロトフを、マイクロトフはカミューを探して、お互いの顔を見つけて視線を送った――また後で。 “着いたら電話する” 今となっては酷く頼り無い言葉だが、電話に頼らずとも何とか前進できるだろう。 ゆっくり、時間をかけて。 |
はい、お疲れさまでした……(汗)
リーマン番外、つきあいはじめてから一週間後の2人です。
連載並みに長くなってしまって一番焦ったのは本人でした……。
これを企画に持ってきていいのかな、と思いつつもえいと限定公開。
大事な話っぽいのですがここでしか出さないので、読んで下さった方はリーマン本編が終わったら
また読み返していただけると楽しさ倍増?(ゼロに何をかけてもゼロよー・笑)
メンバーが多過ぎたのが敗因でしょうかね。
また、グレンシールのなぞの行動に興味がある方はこちらへ。