We are the BOYS






 午前中の筆記試験の後、昼を挟んで体力測定が行われた。
 特に何かの訓練を受けていた訳ではなかったが、幼い頃から厳しいグラスランドの大地で育ってきたカミューの運動能力は高かった。体調も良く、恐らくかなり上位だろう成績で最後の測定を終えると、次に控える模擬試合の前にしばしの休息を取ることにした。
 広いロックアックスの中庭、カミューはグラスランドとは違う石造りの匂いに興味を惹かれていた。
 空を飛ぶ鳥の姿が故郷と違う。抜けるような青空ではないけれど、澄んで引き締まった青だ。カミューはこの街が好きになれそうな気がしていた。
 カミューは庭の奥、視界に掠めた人影に振り向いた。漆黒の髪。もしや、と思って後を追うと、やはりそれは少年マイクロトフだった。
 相変わらず独りきりで、地面を見ながらきつく結んだ口唇をぴくりとも動かさない。眉間に寄った険しい皺も変化はなかった。
「……あの」
 カミューは思わず声をかけると、マイクロトフは過剰すぎる反応でびくりと振り向いた。
 その態度に驚きながら、カミューはなるべく表情を和らげようと笑顔を見せる。
「昨日会ったよね。覚えてない?」
「……」
「私はカミューって言うんだ。よろしく」
 手を差し出すが、マイクロトフはカミューを睨んだまま身体を凍り付かせていた。
 カミューは少々困ってしまった。全身でカミューを拒む少年の小さな気迫が、個人に向けられたものではなくあらゆるものに対して攻撃していることが分かったからだ。
「君、マイクロトフって言うんだよね? さっき他の子が話して……」
「気安く俺の名前を呼ぶな」
 カミューの言葉を途中で遮り、マイクロトフが最初に発したのはやはり拒絶の言葉だった。
 カミューは内心がっかりしたが、それがどこか苦笑めいたものであることも分かっていた。マイクロトフの目は攻撃的だが、その中に寂しさが潜んでいることを理解していたからだ。
 グラスランドの厳しい大地は、少年達の心にほんの少し大人びたものを要求していた。周囲の人々の心に秘められた思いを読み取り、共に生きるための道を探すこと、それが知らぬ間に身についている場所。
「ごめん、気に触ったなら謝るよ」
 カミューはマイクロトフに宿る悲しい光の招待を知りたくて、自分の警戒心を極限まで下げた。敵ではないことのアピールだが、彼はそれを跳ね返す殺気をぶつけてきた。
「お前は何が目的だ? この後の試合で俺を出場させなくするつもりか。」
「私はそんなつもりはないよ」
「誰に言われた。お前、ここの人間じゃないな。異国の者が俺に何の用だ」
 異国の者と呼ばれたことに落胆がないわけではなかったが、そこで反発すればマイクロトフは心を閉ざしたままだろう。カミューは自分の育った世界への誇りを胸の中だけに新たに、表情を変えなかった。
「私は誰にも何も言われていない。自分の意志で君に話し掛けただけだよ」
「では街の連中が何か言っているのを聞いたんだろう。俺なんかと話しているのを見られたらお前も余所もの扱いされるぞ」
「他所ものなのは本当だから構わないよ。私は私だからね」
 マイクロトフがはっとする。その瞬間をカミューは確かに目に焼きつけた。
 差し出したままの手をどうしたものか迷ったが、マイクロトフが一歩後ずさりしたのを認めて仕方なく降ろした。マイクロトフはあからさまな憎悪を剥き出しにして、もう一歩下がるとそのまま背を向けて走り出して行った。
 カミューは昨日に引き続き彼の背中を見送って、ため息を漏らす。
 これは相当時間がかかりそうだ。寂しい少年に興味を覚えた自分を認めながら、これからのことを考えていた。恐らく彼も自分も合格の切符を手にするだろう。しかし団体生活に馴染めない者は……
「……」
 できることなら力になってあげたいな。カミューはもう見えなくなったマイクロトフの駆け出した方向を見つめて呟いた。






 模擬試合は一試合5分制限、ランダムに指名された少年が1対1で剣を交える。多いもので5回も試合を行う少年もいれば、早い段階で実力を見限られて2度ほどの対戦で終わってしまう少年もいた。
 カミューはすでに5回剣を振るっていた。そろそろ終わりだろうかと自分でも気を抜いていた頃、再びカミューの名が呼ばれる声を聞いて立ち上がる。
 そしてその相手となる少年の名前にはっとした。
「カミュー、マイクロトフ、前へ!」
 マイクロトフも同じくカミューの名に反応したようだ。
 先ほど名乗ったのは正解だったのか裏目に出たのかカミューには判断がつかなかったが、一度剣をとって向かい合えば真剣勝負が始まる。今目の前にいる少年は、倒すべき相手となった。
 何度かマイクロトフの試合を見たが、荒削りの中に確かな闘志を叩き付けてくる彼の剣は他を圧倒していた。しかし周りで薄汚く噂されるような単純に乱暴な剣ではない。明らかに憎悪を向けて来た昨日や先ほどの様子とは違った、純粋な戦いでの闘気だった。カミューには覚えのある、実戦での気迫。それが小さなマイクロトフには完成されていないまま露出されている。
 簡単には勝たせてもらえそうにない。カミューは柄を握る手に力を込める。
 彼の目が色を変えた。――これは戦闘だ。
 カミューの全身が総毛立った。


 剣の線は酷く直線的。
 力も申し分ない。スピードも悪くない。
 足りないとしたら経験。次を読む予測能力。
 剣を交わすのではなく、ねじ伏せようとする狭い視野。
 歪んだ心がなければ、恐らく剣を叩き落とされていたのは自分だった。
 ――カミューは彼の鼻先に剣を突き付け、決して余裕とは言えない荒い息でマイクロトフを見下ろした。
 時間は制限のギリギリ10秒前。危ないところだった。
「それまで!」
 わっと歓声が上がる。明らかに喜びを含んだ他人の声。カミューはそれらを耳から遮断し、尻をついて地面を睨んだままのマイクロトフを見つめた。剣から離れた右手の指先が、身体を支えて震えていた。
「……マイクロトフ」
 カミューはマイクロトフへ手を差し出した。マイクロトフは視界に入ったのだろうカミューの手を払うと、少し離れたところで転がっている剣を掴んで駆け出して行った。
 カミューは何度目かの彼の背中を見て、目を細めた。……彼の悔しさは単純に負けたことへの怒り。何故負けたのか今の彼にはきっと分からない。
 あのままではいけない、カミューは痺れた自分の手首を握りしめた。
 あのままでは彼は駄目になる。この圧倒的な力のやり場がないまま。








 合格者は予想を下回る人数だった。騎士という肩書きへの憧れのみでは簡単に道は拓かない。それは長い旅の末にロックアックスに辿り着いたカミューからの視点だった。
 当初の目的を果たしたカミューは、まずは一日の疲れを落として愛剣を磨く。明日からは城下の寮で暮らすことになる。新しい生活への期待で少々興奮気味だったカミューはすぐにはベッドに入らずに、部屋を出て宿屋のホールで休息をとることにした。
「あら、お疲れさま、小さな騎士さん。何か飲む?」
 ホールで給仕をしていたお下げ髪の女性が、カミューの小さな姿を見てにっこり微笑みかけた。
 昨晩食事の時に入団試験を受けることを伝えていた女性だ。笑顔で宿に帰ってきたカミューに、一番におめでとうと祝福の言葉をくれたのだ。
 カミューは彼女の申し出を素直に受け、出されたホットミルクに口をつける。まだ真夜中には程遠い時間のためか、ホールは大人達が溢れて随分騒がしい空間となっていた。
 そんな大人を観察するように見ているカミューに、女性は手製だと言うクッキーを置いて行く。
「明日から入寮なのね。頑張ってね」
「有り難うございます。立派な騎士になれるよう頑張ります」
 にこ、と可愛らしく笑うカミューに女性も微笑みを返す。
「でも凄いわね。今年は凄い倍率だったって聞いたわ。強いのね、あなたは」
「運も良かったんです。私より強い人もたくさんいました」
「まあ、でもあの子にも勝ったんでしょう。あの子がここらでは一番強いのよ」
 カミューは意味ありげに瞬きをしたが、それは彼女は気がつかなかっただろう。
「……あの子とは?」
「マイクロトフっていう子と戦ったでしょう。あの子は今まで誰にも負けたことがないのよ。みんなあなたが勝って喜んでるわ」
 カミューは顔を上げ、無垢というには大人すぎる女性の目を見た。悪気が見当たらないのが悲しかった。
「何故私が勝つと喜ぶのですか?」
「ああ、あなたは知らないのね。あの子はここの厄介物なのよ」
「……」
「先代の青騎士団長の息子ということになってるけど、母親の素性がね……。あなたには少し難しい話ね。」
「……すいません、おかわりをいただけますか。」
「ええ、いいわよ。ちょっと待っていて頂戴」
 女性がいなくなると、カミューは堪え切れなかったように長く深いため息を落とす。
 草原の民である自分達は、産まれた命は皆平等であると教えられた。それが何てくだらない。
 カミューは彼の真直ぐな剣を、何故叩き落とすことが出来たのかその理由が分かった。マイクロトフの表面と中身が違う、彼は自分を剣に活かし切れていないのだ。
 明日から始まる生活、同じく入寮することになるマイクロトフにもうすでに興味が溢れそうだった。
 彼と話してみたい、彼の心の中を見てみたい。憎しみよりも遥かに印象深い悲しみの色をなくしてあげたい。
 カミュー11歳、初めて故郷を離れた春だった。







子まいはいじめられっこです……。
そしてどうしても子かみが純粋に見えません……。