We are the BOYS






 そうして夜を迎えた。
 カミューは歴史の授業の時間も基礎体力作りの時間も、マイクロトフのことを考えながら器用に頭と身体を動かしていた。夕食が過ぎて短い自由時間が来るまであっという間だった。
 入浴後、マイクロトフに「めかけの子」と言い放った少年を遠目に見つけたカミューは、彼にもまた哀れみの視線を向けた。彼は恐らく知らないのだ、その言葉がどれだけ惨いものか。彼等もまた大人達の考え無しの行動を刷り込まれたにすぎない。
 マイクロトフの母親はどうしていたのだろうか。息子に対する悪罵は両親の耳に届いていないはずがない……
(……)
 そんなことをずっと考えていたせいか、カミューは少し遠く離れた故郷が懐かしくなった。父親は今日も荷を運んで隣街へ向かったのだろうか、母親は暖炉でスープを温めているだろうか。軽いホームシックなのだな、とカミューは笑った。自分は今まで幸せに育ててもらった、だからこそ大切な家族を思い出すだけで嬉しくて幸せになる。
 草原の夜はそんな空だろうか、カミューはこっそり禁止されている屋上への階段に足をかけた。空はつながっている。遠く離れた星空の下で、家族を想うのもまだ許されるだろう……カミューは胸をわくわくさせながら駆け上がる足音を響かせた。
 嬉しいけど、淋しい。
 マイクロトフにはまだ淋しさしかないのだろう……。
 カミューは屋上のドアを開けた。
 広がる闇の分厚いカーテンに鏤められた、大小の輝きが飛び込んでくるはずだった。
 しかしカミューの目が捕らえたのは、故郷に繋がる星空ではなく、その空の下でぽつりと石ころのように座り込んでいる漆黒のシルエットだった。
 夜の闇より仄かに明るい黒の目が、ドアの開く音を察知してこちらを振り向いた。
 カミューは驚いてドアを開けたまま立ち尽くした。振り返った少年の顔が涙を堪えたように引き攣れていたからだろうか。
 マイクロトフはすぐに表情を鋭く尖らせ、顎を引いてカミューを睨み付けた。
「なにしに来た!」
 まるでマイクロトフがここに居るのを見計らってきたとでも言うような、カミューを詰問する口調だった。
「ごめん、君がいるなんて知らなかった」
 カミューは誤魔化しでも何でもなく本心からそう言った。まさか先客がいて、それがマイクロトフだったとは。
 驚いたが、……カミューは少し嬉しくなった。
 にこりと破顔したカミューは、殺気めいたオーラを飛ばすマイクロトフに構わず近付いた。
「こっちに来るな!」
「でもせっかく来たから少しだけ。話そうよ、ね」
 カミューがにこにことマイクロトフの隣まで来ると、彼は小動物が跳ねるようにぴょんと立ち上がった。
「ことわる」
「そんなこと言わないでさ」
 マイクロトフはカミューを無視して屋上から出る扉に向かっているようだ。カミューは笑顔を苦笑いに変えたが、それ以上マイクロトフを誘おうとはしなかった。
 悪いことをしてしまった。きっとここは彼の秘密の場所だったのだろう。
 自分が来たことでマイクロトフはもうここには来ないかもしれない――そう思うと申し訳なさに切なくなる。
 カミューは空を見上げた。故郷の空よりも高いところにあるような気がした。
「ああ……」
 ため息まじりの声が意図せず漏れた。
 ここに来てから、まじまじと星空を眺めることななかったのだ。描かれた星座はカミューの知らないものがひしめいて――
「見たことのない空だ」
 呟きは独り言に留めるつもりだった。ところが、
「当たり前だ。ここはグラスランドじゃない」
 背中に届いた声は凛として、それでも角の柔らかいものに聞こえたのは都合の良い錯覚なのだろうか。
 カミューが振り向くと、むすっとした擬音が良く似合うマイクロトフが少し離れたところで立っていた。こちらを向いて、むくれたような口唇を少々尖らせた顔。カミューはどうしたらこの時間を延ばすことができるだろうと、言葉を探した。迂闊なことを言って彼を帰らせたくなかった。
「私がグラスランドから来たこと、知ってたんだ」
「お前の頭はめだつ」
「私のこと、覚えててくれてたんだ。嬉しいな」
「忘れるものか。今度はお前を叩きのめしてやる」
 どうやらマイクロトフは入団試験の模擬試合のことを言っているようだ。それでもいいや、とカミューは小さく笑う。
「うん、また試合をしよう」
「……」
「……私は何かおかしなこと言ったかな」
「お前、へんなやつだ」
 マイクロトフのむくれた表情は変わらないが、相手を確かめるような目には異変が表れていた。
 全てのものを敵と判断していた彼が、自分は何者だろうと品定めのクッションを引いたのだ。カミューははやる気持ちを押さえるのが辛かった。
 もう少し、もっと話してみたい。彼の心からちゃんとした意志を引っぱりだしたい。
「変かな」
「どうして俺に話しかけるんだ」
「話したいからだよ」
「そんな理由はみとめんぞ。なにをたくらんでる」
「企んでない、友達になりたいんだ」
 マイクロトフが奇怪なものを見るような目つきに変わった。
「どうしてだ。お前だって他のやつらがなんて言ってるか知ってるんだろ」
「あんなのは何の意味もないことだよ。私はマイクロトフと友達になりたいから君に話しかけるんだよ」
 カミューは言葉をひとつひとつ発音して、なるべくゆっくりマイクロトフに伝えた。マイクロトフはまだ不審な視線を寄越すだけだった。
 どれだけの間、こうして人を疑わざるを得なかったのだろう。マイクロトフは誰かを信じられないのではない、信じるのがきっと怖いのだ。
 どうしたら信じてくれるかな。カミューは素早く思考を回転させた。
「……ここの星も、見たことはないけどすごくきれいだ。あそこに見える一等星、私の故郷で見える星に似てる。角度が違うからきっと他の星なんだろうね」
「――」
「よく眠る前にあの星は勇敢なる騎士が空に昇ったものだと聞かされた。私のふるさとの伝説だ。」
「騎士……」
「昔とてもとても強い騎士がいた。彼の剣は重くて大きくて、その騎士以外の人間は持ち上げることもできなかった。そのため彼は周りから恐れられ、いつも一人ぼっちだった」
 カミューはマイクロトフが口を挟む暇もないほど、次々と言葉を紡いでいった。急ぎ過ぎず間を開けず、呆れたように口を小さく開けていたマイクロトフがやがて話に聞き入ることを期待して、カミューは故郷の物語を語り続けた。






この辺りは一発書きなぐってろくに見直しもしてないです……。
展開に無理が出て来たのもいつものことですな……。