しかしカミューとて常にマイクロトフの近くにいる訳ではなかった。 「おい、めかけのこ」 マイクロトフは咄嗟に立ち止まってしまった。――その言葉が自分を指しているのだと自覚している身体が恨めしい。 人気のない廊下、振り向くと見なれた少年達だ。いつも率先してマイクロトフに何かと悪態をつく、いわゆるガキ大将の少々しつこい類いだった。彼等は何かと理由をつけてマイクロトフに酷い言葉を投げかける。街の大人が彼を厄介物と称することを、子供は純粋に受け止めてしまうのだ。 マイクロトフは返事をしなかった。ただ目だけは彼等から逸らさずに鋭さを増した。 「お前、最近グラスランドのばんぞくと一緒にいるよな」 マイクロトフの眉がぴくりと上がった。 「グラスランドのやつらはやばんだから、近よると俺たちも品がなくなるって父さんが言ってたぞ」 「そうだ、めかけのことばんぞくでお似合いだ」 「お前ら、騎士団なんかやめちまえ」 「やめちまえ」 マイクロトフをにやにやと囲む少年達は、いつものようにマイクロトフが爆発して暴れるものだと思っていたのだろう。マイクロトフの抵抗を覚悟しつつからかっている節があった。ところがマイクロトフはじっと中央にいる少年を睨むだけで、きつく結んだ口唇を開こうとはしない。 それを都合良く受け取った少年達は、より一層悪罵を投げ付け始めた。言い返さないのは怯えているからかもしれない。普段と反応の違うマイクロトフを、もっともっとやり込めてやろうと声も大きくなる。 突然、マイクロトフの目に強烈な力がこもった。一瞬彼らは息をひゅっと飲み込んだ。 「……俺にたいする言葉なら俺だけが怒ればいい。しかし関係のないやつにたいするぶじょくの言葉はだまっているわけにはいかない。てっかいしろ」 少年はマイクロトフが何を言っているのか分からなかったのか、初めは微かな怯えと驚きの表情をしていたが、マイクロトフがカミューを庇ったのだと判断すると一気に反撃の色を見せた。 「ばんぞくをかばう気か! お前達は二人とも騎士団の厄介物だ!」 「だまれ。だまれ。」 「ここから出て行け! 厄介物!」 「だまれ!」 少年は目を見開いた。首を動かさずに黒目だけで喉元を見つめた――剣先が突き付けられていた。 マイクロトフは確かな殺気を身体中から発していた。それは気がついていない間にしばらく見ることのなかった、敵意を剥き出しにしたマイクロトフの怒りだった。 いきなり剣を向けられた彼は、突然の事に当然驚きで動けなかったようだが、すぐに後退りをして自分も剣の柄に手をかけた。焦ったのは他の少年達だ。彼らがここで一悶着やらかせば、しかも模造とは言え剣を持ち出したなんてことになったら、自分達もとばっちりのお咎めを食らうかもしれない。慌てて主犯格の少年を止めにかかる。 「おい、やばいよ」 「もういいよ、こんなやつほっとこうぜ」 火花を散らす二人の間に割って入ろうとするが、腰の引けた少年達では話にならない。 マイクロトフの目は本気だった。そして向かい合う少年も、伊達にリーダー格を気取っていないのかそれに本気で応えようとしていた。 その時、廊下の奥から足音と話声が響いて来た。――大人の声。 マイクロトフは素早く剣を鞘に収めた。一歩下がった少年は悔しそうに口唇を噛む。 「今夜裏庭の杉の木の前に来い。12時ちょうどだ。逃げたら許さない」 少年の言葉にマイクロトフは頷いた。 そうして彼らはその場を離れた。目だけを爛々を輝かせて。 *** 子供の口というのは決して重々しいものではない。 カミューも微かなツテから伝わった噂に珍しく血相を変えていた。 マイクロトフが決闘をするらしい。冗談半分、もう半分は子供の間の秘め事として着々と広まりつつあった。騎士団の上層部に知れたらただ事ではない話題にも関わらず、だ。 時刻は午前0時、場所は裏庭。そこまで知れ渡っているのは何もカミューにだけではない。 私闘は厳禁、だとえそれが正式に騎士としての立場にない少年達であっても同じこと。子供のふざけた遊びだなんて通用する訳がない。 しかもそれに自分の名が関わっているなら尚更じっとしていられるものか。 カミューはずっと走っていた。宿舎中で姿の見えないマイクロトフを探し続けた。 マイクロトフは誰にも見つからない納屋の奥で、模造剣を磨いていた。 殴り合いで怒りを発散できるものならそれで良かった。しかしそれだけでは済まされないこともある。 正々堂々勝負を受けて、そして勝たねばならないのだ。 マイクロトフは緩やかに煌めく先の潰れた剣を眺めて、ひとつ長いため息をついた。そして立ち上がり、納屋の出口に目を向けて――固まった。 そこには月の光を背に受けて、逆光で顔の見えない少年が息を切らして立っていた。 マイクロトフは口の中で彼の名前を呟いた。 カミューは荒い呼吸のまま、納屋へと足を踏み入れた。 「こんなところにいたのか……。マイクロトフ。どうりで見つからないわけだ」 「……そこをどけ」 「どかない。どけばお前はその剣を持って出かけてしまう」 「俺の意地がかかってる。そこをどけ、カミュー」 カミューは複雑に苦笑いを浮かべた。それすら逆光でマイクロトフにはよく見えなかったのだが。 「初めて私の名前を呼んでくれたね。うれしいけど、私はどかない。どうしても行くと言うなら」 カミューはマイクロトフから目を逸らさずに、その腰に下げた鞘からすらりと剣を引き抜いた。 暗い納屋の中で互いの剣が光る錯覚が見えた。 「私を倒してから行け」 「どけ、カミュー!」 マイクロトフが剣を向けた、そしてカミューも剣先を遠いマイクロトフの眉間に合わせた。 二人の足が地を蹴った。 |
ちび対決。