「丁度良かったわ。こっちに来て」 彼女は特に臆する様子もなく、にっこり微笑むとマイクロトフを手招きした。 マイクロトフは、そこで初めて彼女の正面に座っている男に気づく。 彼はマイクロトフに背中を向けていた状態からこちらを振り向いて、嫌悪感むき出しの眼差しをこちらに向けて来た。 それだけで、マイクロトフはタイミングの悪さを自覚する。 彼女は全く気にしていないようだが、彼のほうは冗談じゃないという表情をしている。 …自ずとどういう話をしていたか判ってくるようなものだ。 おずおずと進み出たマイクロトフの腕を無理矢理引っ張り、座ったままの彼女は誇らし気に男に笑ってみせた。 「可愛いでしょ。今お気に入りなの」 マイクロトフは唖然と彼女を見下ろした。 彼女は腕をマイクロトフに絡めたまま、男と正面から向かい合っている。 男はしばらく彼女を睨み付けていたが、やがて乱暴に立ち上がった。 「ああ、分かったよ! 望み通りこれで終わりにしてやるよ。手間を取らせて悪かったな!」 そう残して鞄とコートをひっ掴む彼に、彼女はやんわりと制止の声をかける。 「待って」 彼は複雑な表情で振り返った。 「これお願い。」 彼女が笑顔で差し出したこのテーブルのレシートに、彼は耳まで真っ赤になってそれを奪い取った。 最後のひと睨みを残し、大股でレジへ向かう男の背中をマイクロトフは呆然と見ていた…。 「座ったら?」 「え?」 彼女の腕がするりと抜ける。 「空いたわよ」 「…はあ…」 空けた、というのが正しい気がしたが、人目も気になるのでマイクロトフは男が座っていた後に腰を下ろした。 「あ、あの…お邪魔だったのでは…」 「そう見えた? 助かったわ有難う。しつこいのは苦手なの」 「……」 やはり予感は的中していたようだ。 どうも自分も別れ話に一役かってしまったらしい。肩を丸めたマイクロトフは、ふいにはっと顔を上げた。 「何?」 「う…」 どうもこの女性に正面切って向かれると弱い。今まであまり話したことがないタイプだからだろうか。 「その…先程の男性は…」 「…まさかほんとにどういう状況だったか判らないって言うんじゃないでしょうね」 「い、いや! そ、それは判るが…しかし、貴方はおとといカミューと…」 「それがどうかしたの?」 「ど、どうかと言うか…い、今の方は…カミューと、その、…別れる原因になった方では…?」 「そうだけど?」 「…いや、別に…」 そんなに堂々とされると、彼女がしているのは全く当たり前のようなことに思えてくる。 そう言えばカミューも自分の考えが信じられないといった感じだった。 ひょっとして、おかしいのは自分のほうなのだろうか。こんな…複数とのつきあいを簡単に始めたり、簡単に終わらせたりすることは今時珍しくないのだろうか。 …いや、そんなはずない。そんなことはつきあう相手に対してやはり失礼だ…。 「で。何の用? 私を見つけて来たんでしょう」 「あ…ま、まあそうなのだが…」 「何? はっきりしないのって嫌いなの。」 仕方なく、マイクロトフは俯きがちに(正面を向く勇気がなかったようだ)言葉を探した。 「…貴方から預かった、カミューの…部屋の鍵なんだが…か、返すことができなくて…」 「何で?」 途端に彼女の目に凄みが増す。情けないが、マイクロトフは一瞬ゾッとしてしまった。 「たかが鍵を返すだけじゃない。この前会わなかったの? それとも忘れたってんじゃないでしょうね?」 「い、いや…実は、忘れてしまって…」 彼女は暫し沈黙した後、おもむろにポーチから煙草を取り出した。 はっきりと嫌悪を顔に出すマイクロトフを見て、また彼女は睨みをきかせる。 「悪い?」 「…いいや…」 これは個人の嗜好の自由だ。自分がとやかく言う必要はない。 しかし、将来子供を育てる女性がこんなふうに煙草を吸ってもいいものか…よく見たら灰皿にも吸い殻がたくさん溜まってるじゃないか…百害あって一利なしだというのに… 「何ぶつぶつ言ってるのよ」 「あ、い、いや」 「別に忘れただけなんでしょ? だったらいつでもいいから返しといてよ。そんなことでいちいち頭でも下げに来たの?」 ふうっとマイクロトフの顔に煙りが届く。思わず顔を顰めてしまいそうになったが、また失礼に思われるかとマイクロトフは我慢した。 「…それが…、…貴方の言った通りなんです」 「…何が」 マイクロトフはきゅっと両の拳に力を入れた。 「どうも、俺は…カミューに嫌われているらしくて…」 「……」 「実は、カミューとはおととい会ったばかりなのです」 「…それ、友達って言う? 普通」 「やはり言わないでしょうか」 「多分ね。で、何だってあったばかりの男の家にやって来たのか知らないけど、別に気にすることないんじゃないの? あの人は男なら皆嫌いだから」 「は、しかし…」 ここでマイクロトフは視線に気がついた。見ると、ウェイトレスがじっと注文を待っている。 いつからいたのか、マイクロトフは真っ赤になって慌てた。 「コーヒーでいいわ。で。」 彼女が素早く追い払い、またマイクロトフに向き直る。 今ので緊張が増したのか、マイクロトフはウェイトレスが置いて行ったであろう水をぐっと一気に飲み干した。 彼女が唖然と目を開く。 勢い良くコップを置いたマイクロトフは、それを握りしめたまま続けた。 「嫌われているというより、憎まれている感じなのです」 「物騒な言葉ねえ。考え過ぎだと思うわよ…」 「しかし、あんな冷たい目を…」 「あんたが思ってるほど彼って他人に関心持たないわよ。会ったばっかりの他人に余計な感情持つような面倒なことしないと思うけど。」 「でも、あれは…」 「しかし、とかでも、とかどうもはっきりしないわね! 大体なんだってそんなにがっかりしてるの? 彼と何かあったわけ?」 「……」 マイクロトフは肩を落とした。 自分はがっかりしているのか。少なくともそんなふうに見えるのか。 …そうだな、そうかもしれない。自分が思っていた反応があまりにも返ってこないものだから、きっと落胆しているのだ。 マイクロトフはぽつぽつとカミューと出逢ったいきさつを話し始めた。 彼女は最初は普通に聞いていたが、やがて俯きがちになり、その肩がぴくぴくと震え出した。最後のほうには口元を手で被ってしまっている。 「あ、あの…」 堪え切れずに彼女は吹き出した。 「…信じらんない、あのカミューにそんなこと言うなんて…おっかしい、残念、見たかった」 「そ、そんなにおかしいことを言っているでしょうか?」 「言ってるわ、その聖人君子みたいな口調も相乗効果よ。素で言ってるなんて、ほんっとバカみたい」 「バ…」 流石に正面きってバカ呼ばわりされたのは初めてだ。 マイクロトフはまた耳まで赤くなり、ちょうどその時ウェイトレスが運んで来たコーヒーを思わず一気飲みしようとした。 「あちっ」 ぱっと手を話してしまいそうだったところをギリギリで堪え、火傷した舌を冷やそうとコップの水を探すが、先程自分で飲んでしまったので当然空である。 涙目になってウェイトレスに水のお代わりをする姿を見て、彼女はお腹を抱えて笑っていた。 「よーく分かったわ、ほんとにバカなのね。…でもいいわ。気にいったわ。カミューに不似合いすぎて逆にぴったりなのかもね。」 「…そうれひょうか」 「ちょっと待って」 彼女はごそごそとバッグを探ると、手帳を取り出してそのうちの一枚をピッと破りとった。 そこにさらさらと何か書いて、ふいにマイクロトフに突き出す。 「…これは…?」 そこには簡単なアドレスと、店の名前らしきものが走り書きされていた。 「あの人好き嫌い激しくて、甘いものとか嫌いなんだけど、そこのブランデーケーキだけは大好物なの。まずは餌付けしてみたら? 手みやげくらいないと懐かないわよ、あれは」 「…ケーキ。」 「割とオシャレな店だから男の人でもおかしくないわよ」 「…有り難うございます…。」 紙をまじまじと見つめているマイクロトフに、彼女はまたぷっと吹き出した。 「あんたと仲良くなったらすっごい面白そう。今のとこまっったく想像つかないわね。カミューが男とつるんでるなんて…」 「……」 激励されているのかその逆なのか、マイクロトフの目がじっとり重くなる。 「…でも」 ふいに彼女が真顔になった。 「…あの人、友達いないのよ。」 「……、…判りました。」 口に出してからマイクロトフははっとした。 何が「判りました」なのだろう。 しかし彼女は(今まで見た中では)優しく笑って、 「健闘を祈ってあげる。あたしが教えたこと、内緒よ。」 「あ、は、はい…」 マイクロトフが挨拶するかしないかのうちに、立ち上がって席を立とうとした。 マイクロトフは慌てて頭を下げて、彼女の背中に声をかける。 「あの、…すまない、俺は…貴方のことを外見だけで判断していたようだ…」 追って来た言葉に彼女は首を微かに振り返らせただけで、 「外見通りの女よ、私は。」 そう言って(よく見えはしなかったが、多分)笑うとコツコツとハイヒールの音を響かせて去って行った。 マイクロトフは彼女がいなくなって、ふうっと肩の力を抜く。 また、どっと疲れが襲ってきた。…しかし嫌な感じではなかった。 いつのまにかキツい香水の香りも気にならなくなっていた。そう言えば、彼女は途中から煙草を消していたっけ… 「…あ」 テーブルのレシートがなくなっている。 …しまった。女性に払わせてしまった… (…どうしてこう抜けているのだ、俺は…) せめて貰ったメモだけはなくすまいと、しっかり財布の中にしまいこんだ。 |
ちょっと長かったかな…(汗)
やけに都合良く話が進んでるのは見のがしてください…
彼女出張りすぎですね…。