帰宅してからスーツを脱いで、さてシャワーでも浴びるかなんて思った瞬間にチャイムが鳴った時はまさかと思ったが。 流石にそれはないだろうと浮かんだ考えを否定して、いつもの声色でそれに応えた。 途端に声が低くなった。 何だって言うんだ。 何だかんだと押し切られて、結局ロックをあけるハメになった。 この後エレベーターに乗ってここまでやってくるのだろう。 これで3日連続だぞ。 あのボケ…もといマイクロトフに会うのは。 再びチャイムが鳴る。 嫌だなあと思いつつも、渋々ドアを開けに行った。 開けたら、いるのだ。黒い頭の一癖も二癖もあるヤツが。 思いきり乱暴にドアを開いたら、その向こうで鈍い音と呻き声がした。 「ああごめん、ぶつかった?」 さして悪いとも思っていないような口調でそう言うと、彼は額を押さえながら無理に笑ってみせる。 「いや、大丈夫だ…」 これはかなり痛かったな。まあ、手加減しないで開けたからね。 このまま戸口で何の用か聞こうとして、ふと彼が持っているものに目をとめる。 (…プルミエル・アムールの袋だ…) 見慣れたシックな紙袋に『premieres amours』のロゴ。 大きさからしてブランデー・ケーキかも。 手みやげ付きとは、やるじゃないか。 暫く食べてなかったしなあ(買って来てくれる人間がいなかったから)…。 「ま、立ち話もなんだから入れば?」 うまく乗せられたかも。 でもまあ久々のケーキだし、好物だから良しとするか。 それにしても、よくこんなぼけっとした男があんなオシャレな店知ってたなあ。 「座れば」 「あ、ああ…」 よそよそしく辺りを見渡す彼に、何を今さらとちょっとまた不機嫌になる。 やってきたのは3度目。中に入ったのは2度目。 しかも会ったばかりの男だぞ。そこらで声かけてくる女だって一発目から部屋ってことはないのに。 「あ、これ…つまらないものだが…」 差し出す紙袋を待ってましたと言わんばかりに受け取る。 「悪いね」 つまらないものだと。つまらなくなんかないぞ。美味しいんだから。 さては何も知らずに適当に買ってきたな。馬鹿だな、全く。 本当はこれで帰ってもらってもよかったのだが、先程勧めたソファにちゃっかり座られてしまったので言い出せなくなった。 …やっぱり戸口で貰うだけ貰えばよかったかな…。 ケーキの袋をとりあえずキッチンに持っていって、はたと悩む。 (…あいつも食べる気だろうか) 高い割にあんまり大きくないからなあ、これ。2人で分けちゃったらすぐなくなるぞ。 …別に2人で分けなくてもいいか。気持ち悪いことを考えてしまった。 ちょっと小腹もすいたことだし、ほんのちょっっっとだけ切ってくれてやるか。まさか1人で目の前で食べる訳にもいかないし…そういう報復はカッコ悪いしな…。 まあ、着々と予定通りに進んでいることだし。 袋から出て来た幾分過剰包装気味の箱を取り出し、久しぶりの姿に少し顔が綻んだ。 しばらくあの女が買ってこなかったから、随分と御無沙汰だったじゃないか。 ええと飲み物…紅茶は切れてたな。1ヶ月前に紅茶好きの女と別れてから補充してなかったか…もう2、3缶置いていきゃよかったのに。 冷蔵庫から無造作にビールを2缶取り出して、ソファできょろきょろしている彼に声をかけた。 「ほら」 「え」 振り向くと同時に缶を投げてやった。 …くそ、うまく受けたな。頭を狙ったのに。 「飲み物それしかないから我慢してくれるかい」 「い、いや、俺は…」 「断られると嫌味っぽく聞こえるけど」 「…では、これだけ…」 恐る恐る、といった様子でビールの缶を両手で持つのを見て、一体こいつは何しに来たのだろうと眉を寄せる。 連日やってくるなんてどういうつもりだ。 箱から出したケーキに、備え付けの小さなナイフでそっと切れ目を入れる。…このくらい。いやもうちょっと薄くてもいいか? でも薄過ぎても皿に立たないな。寝かせりゃいいか。 貧相なケーキが乗った皿を運んでソファの前のガラステーブルに置くと、マイクロトフき慌てて首と両手を振った。 「いや、これは! 気を使わないでくれ」 なんだと、こっちは気を使ってやったんだぞ。ここまで置かれて断るかフツー。 「私に1人で食べろってのかい。君こそ気を使ってくれよ」 「あ、いや、その…」 好物を分けて(すっごい薄いけど)やったんだから有り難く思え。 隣り合ってソファに座るのも気分が悪いので、そのまま床に腰を下ろした。 さりげなく目を合わせない位置。 最悪な取り合わせとは思いつつ、ビールを開けてケーキにフォークを刺す。 …うん、味も変わらずだな。このしっとり加減がここならではだよなあ。 私が食べはじめるのを見て諦めたのか、マイクロトフも皿に手を伸ばした。 フォークと皿が擦れる音。口に運んで動かす音。息をつく音。 (…ヤロー2人で何をやってるんだ…) こんなふうに無言でケーキを突きあうなんて。 しかもビールだぞ。後味の風味が一気にビールで消されちゃうじゃないか。こいつ、紅茶もセットで買ってきてくれればよかったのに。 「…旨いな」 彼がぽつりと呟いた。 「…うん。結構有名な店だけど」 「……、そうなのか。たくさん種類があったので迷って…」 「無難にプレーン?」 「…洋梨やみかんのブランデーもあったのだが…」 「…洋梨のが好きだったな。」 「そ、そうだったか…。すまない、今度はそれを」 …今度? 今度って何だ、おい。 手みやげ付きでのほほんと尋ねてくるような間柄ではないはずだぞ? ケーキだけ置いてってくれるなら別だけど。 「…それで、何の用だい」 「…そ、それは…」 何故だかマイクロトフは口籠る。 フォークが皿を擦る音が聞こえる…ああ、そんなに掻き回すな。ぐちゃぐちゃにして食べるケーキじゃないんだぞ。 思わず目線を彼に向けて、その異様な姿に言葉が出なくなった。 恐らく会社帰りそのままなのだろう、ブルーグレーのスーツのままでちんまりとソファに腰掛け、似合わないケーキを手に持ってフォークで突いている。 俯きがちで困ったように眉を寄せながら、崩れたケーキとにらめっこ… (…ほんとに何しに来たんだ??) こんな状況、夢にだって出てくるものか。 今から報復しようと思ってるヤツと、好物のケーキを並んで食べてるなんて。 ケーキの味が変わらず美味しいのが、救いだけど。 |
久々カミューさん。
あんたほんと簡単に餌付けされてるよ…
ネは単純なのでしょう…。
ちなみにこのケーキのモデルは函館にある五島軒さんがモデル。
おいしかったなあ、洋梨のブランデーケーキ…