WORKING MAN





 目の前で乱雑に閉じられたドアを見つめて、マイクロトフはしばらく呆然と立ち尽くしていた。
 一方的な切断に、先程の女性の言葉が浮かんでくる。
『カミューの嫌いそうなタイプ』
(……)
 判ってはいるのだ。どう考えても彼は自分に好感を持っていないことぐらい。
 なのに思わず口を出してしまった。
 親しい人間にさえ悪いクセだと忠告されるこの性格が、会ったばかりの彼にまで被害を及ぼすとは。
(…帰ろう…)
 携帯は戻って来たのだ。このまま突っ立っている訳にもいくまい。
 マイクロトフは重い足取りでエレベーターに乗り込んだ。


 いつものように乗り継ぎを繰り返し、ようやく自宅に辿り着いた頃には、身体がぐったりと疲れていた。
 今日は早く休もう、とマイクロトフはコートを脱いでハンガーに手を伸ばそうとした時、ちゃり、と妙な音がした。
「?」
 覚えのない音にコートを見る。
 軽く振ってみた。
 ちゃりん。
 やはりコートから音がする。
「…? ----あっ!」
 マイクロトフはコートのポケットに手を突っ込んだ。
 左----違う、右だ。
 右のポケットから出した手の中に、女性に預けられた合鍵があった。
「しまった…」
 カミューの部屋の合鍵だ。返すのをすっかり忘れてしまった。
 途端に、全身がどっと重くなった。
 なんて馬鹿なのだろう。“また”やってしまった…。
(どうしようか…)
 今からでは遅い。帰る頃には終電が行ってしまう。
 では明日? 郵便受けにでも落としておこうか?
 ----いや、不用心だ。部屋の鍵なのだ、もしものことがあってはいけない。では…
「……」
 直接届ける、という結論を出すのを躊躇っていることは、自分でもよく判った。
 今日のように眼前でドアを閉められるのが怖いのだ。 …嫌なのだ。
 どうやら、彼に必ずしも不快感を持っている訳ではないらしい。
 だからこそ自分をあからさまに拒絶されるのが怖いのだろう。
(…しかしそれは理由になるまい。)
 これは大切なものなのだから、預かった以上彼に返さなければならない義務がある。
 きちんと手渡すべきだ。
 明日…いや、昨日の今日でまた追い返されるかも…しかし自分がこれを長いこと持っていては彼もいい気分がしないだろう。
 明日、仕事帰りにまた寄るとしよう…。
 そうきめると、マイクロトフは後は何も考えないように早々に眠りについた。
 何か、得体の知れない夢を見た。





「…何だ、お前何かあったのか?」
 会社についてすぐにフリックが呆れた顔をしてこちらを見た。
 マイクロトフは眉間に皺を寄せながら、何も答えることができなかった。
 原因は判っている。目の下の激しいクマだ。
 眠ったはずなのに、朝起きるとこうなっていたのだ。
 よほど夢見が悪かったのだろうか、流石に自分でもげんなりした。
 どうやら合鍵の事が想像以上に気になっているらしい。考えまいとするから尚更なのだろうか。
 鞄の小さな内ポケット、中にはカミューの部屋の合鍵。
(返してしまえば、ここまで気にすることもないだろう…。)
 嫌なことがあったからといって、夢にまで見るようなタイプではなかったはずなのだが。
 それくらいに、あの閉ざされたドアの向こうの冷たい笑顔がショックだったのだろうか。
 確かに、あそこまで(穏やかではありながら)あからさまに嫌悪を見せつけられた記憶はあまりない…。
 返してしまえば、それでいい。
 彼も望んでいるように、この不思議なつながりを終わらせることができる…。




 相変わらず重い気分のまま、書類をまとめて帰り支度をしていると、フリックが声をかけて来た。
「よお、怠そうだな。この後つきあわないか? 新しい店見つけたんだよ」
 ひょっとしたら、色恋事と勘違いしているのかもしれない。
 昨日誤解されたままだったから、それも仕方がないと言えばそうかもしれないが…
 面倒見のいいフリックのことだ、自分を気遣ってくれているのだろう。
 このまま真っ直ぐカミューのマンションに向かったとしても、彼の帰り昨日と同じくらいなら随分待ちぼうけをくわされる。
 せっかくなので、フリックの誘いにのることにした。
 外の風は空が暗くなると共に一段と冷たくなっていた。肩を竦ませて歩くフリックの隣を、どこがぼうっとした表情でマイクロトフが並ぶ。
「お前、なんでも真面目にやりすぎてんじゃないのか? たまには適当ってのを覚えたほうがいいぜ。」
「適当か…そうかもしれないな」
 実はいまいちフリックの言葉が耳に入っていなかったのだが、それこそ適当に話を合わせておいた。
 彼はすっかり自分が恋人とうまくいっていないのだと思い込んでいるらしい。
 今までのことを説明したほうが良いのかもしれなかったが、そうなると彼の存在も話さねばならなくなる。
 彼に冷たくあしらわれた事実を口にするのは、やはりどうしても嫌だった。
 ひょっとすると、自分なりのプライドだったのかもしれない。
 フリックは相変わらず自分のことを生真面目すぎると助言している。
 なんだか申し訳ないような気持ちになった。
「ここの先にいい店が出来たんだ。まだ2、3回しか行ってないんだが…」
 指差すフリックにそうか、と相槌を打とうとして、ふと繁華街の入り口にある喫茶店が目に入った。
 思わず立ち止まり、ガラスのウィンドウ越しに全身が映っている窓際の席の女性を凝視した。
(…あれは)
「どうした、マイクロトフ…」
「フリックすまない! 今日はパスだ!」
「え? お、おい、いきなりどうしたんだよ!」
 フリックの声を背中に受けつつ、喫茶店へと駆け込む。
 暖かい店内に入ってすぐに店員が「いらっしゃいませ」と声をかけるが、マイクロトフはきょろきょろと窓際の席に目を走らせた。
(…いた)
 息を弾ませたままその席に近付くと、こちらを向いて座っていた彼女がふとマイクロトフに気づいた。
「…あら」
 彼女は少し驚いたような表情で、咥えていた煙草を口唇から離した。
 長く色素の薄い髪に濃いめの化粧。間違い無く昨日の女性だった。





うわー予定通り進まぬー!
ちなみに次回もマイク視点です。
マイク気にしすぎです。結構ショックだったみたいです。
個人的にはドタキャンされたフリックが哀れです。