(…どうしよう…。) 皿の上のケーキをかきまわしながら、マイクロトフは次の言葉を必死で探していた。 本当なら、用事を済ませてさっさと帰るつもりだったのだ。 いくらなんでも3日連続で尋ねてきてしまったのだし、あまりしつこくても余計に嫌われてしまうと思ったから。 だから、中に入れと勧められた時も咄嗟に断ろうとした。 しかし… (肝心の鍵を置いてくるなんて…) 鞄の内ポケットに確かに入れていた。それが分かっていたから会社を出てそのまま真直ぐここへ来たのだ。 …入れていた。昼飯時に同じく内ポケットに入っていた財布を取り出して、一旦邪魔にならない様鍵を出しすまでは…。 (あの時机の脇に置いたままだ…) それに気づいたのはカミューと向き合ってから。 彼が「入れ」と言った瞬間、思い出して青くなった。 断るタイミングを外して靴を脱ぎ、更に断れなくてケーキまでいただいてしまっている。 何をやっているのだ、俺は…。 カミューのために買ってきたケーキを、どうして俺まで食べているのだ。 しかもこれはカミューの好物なのだ。手渡してさっさと帰るべきだったものを、こんな気まで使わせてしまって… 「…それで、何の用だい」 ぎくっとなる。 実は合鍵を返しに来たが忘れて…なんて言えない。 ただでさえ忘れ物のせいで彼をどれだけ不機嫌にさせているか。 「…そ、それは…」 ええと、どうやってごまかせばいいだろう。 「…その、め、迷惑をかけたお詫びに、と…」 カミューぴく、と肩を揺らす。 背中を向けているのでこちらから表情は見えないが…きっと変な顔をしているに違いない。 ああ、俺は何をおかしなことを言っているのだ。 「…お詫び、ね。」 ふうっとため息混じりにカミューがそう呟いた。 やれやれ、といったその感じにいちいちどきどきする。 これでは全く逆効果だ。大体こんな訪問の後で、次に合鍵を返す時はどんな顔をしてやって来ればいいのだ。 「…それで手みやげ持参ってわけだ。君も相当暇なんだな」 嫌味たっぷりな言い回しだったので、さぞ呆れられたのだろうと思っていた。 しかし、ふと振り向いたカミューの顔は、思ったよりは刺々しくないものだった。 (……) ケーキが効いたのだろうか… (は、そんな失礼な言い方を…) それではまるでカミューが物に釣られているようではないか。 しかし、前程の悪意は感じられない。それなら、少しでも溝を埋めるように何か話をしてみるべきだろう。 そうだ、大体自分は彼の事を何一つ知らないのだ。まずはその隙間を… 「か、カミューは何の仕事をしているのだ」 「は?」 「いや、だから、仕事は…」 カミューの眉間に皺が寄る。 しまった、まずい質問だっただろうか。 「…別に普通のサラリーマンだよ。」 「そうか…」 …会話が終わってしまった。 これではいけない…。何か、もう少し… 「…い、いい部屋に住んでいるのだな」 「…そうかい」 「ああ、綺麗だし…広くて…」 「汚くて狭い所に女の子連れ込みたくないからね」 「……、…そうか…。」 やはり…カミューは俺が嫌いなのだろうか…。 返答に困る返事ばかりを寄越すなんて…好意を持たれていないことは分かっているが、一方的な会話では辛くて仕方がない…。 「…君は」 「え」 顔を上げた。ちょっとアクションはオーバー気味だったかもしれない。 「君は、どういうとこに住んでるんだ? 確か北区のほうだったよな。」 「あ、ああ…! その、小さくて…そんなに綺麗じゃないところだが…」 「北区は家賃も安いしな」 「…そうだな…」 話しかけてくれたと思えば、こんな言葉か…。 会話が進まない…。 居心地が悪い。 緊張して手のひらが冷たい。 「…そういうところに女の子連れていったら、幻滅されないのかい」 「え…」 「女の子、そういうとこ気にするだろう」 「いや…、女性は、連れて行ったことがないから…」 カミューがまたおかしな顔をした。 また変なことを言っただろうか。 「連れて行ったことない? だってつきあってる子はいたんだろう」 「ま、まあ…一応…」 なんだか嫌な方向に話題が動いているな。 「そうしたら家に来たいって言わないかい?」 「しかし、家は狭いし男臭いし、女性を招くようなところではないから…」 「でも君は彼女の家に入ったことあるんだろう。前の話ではそんな感じに聞こえたけど」 「な、何度かは…しかし、遅くまでいることはないし、送って行ったついでにほんの少し上がるとかそのくらいだぞ。長居はしないように心掛けて…」 そこまで言うとカミューががくりと頭を垂れた。 気分でも悪くなったのかと思って驚いたが、その後ゆらりと顔を持ち上げたカミューの表情を見て、そうではないのだなと理解した。 「なるほど…カノジョに振られた訳が分かるよ…今さらながら」 思わず余計なお世話だと怒鳴りたくなったが、ぐっと我慢する。 こじれさせる為にきたわけではないのだ、押さえなくては。 「…で、前の彼女のことはどうなったの? まだ未練が?」 …押さえたいのだが、彼は平気でそんなことを言う。 わざと怒らせようとしているとしか思えない。 でも、ここで立ち上がってしまったら… (…未練…未練か…) 「…そうかもしれない」 そう口に出して、ふうっと息をつくと、少し肩の力が抜けた気がする。 「確かに、まだ未練は残っているかもしれない…。しかし、こうなってしまったということは俺は彼女に相応しい男ではなかったのだろうし、彼女も新しく傍にいる男性とうまくやっているのならそれが一番良いのだろう。仕方のないことだと思っている…」 「仕方ない、ねえ。その程度で済ませられるのなら、君も案外彼女のことは別に本気じゃなかったんじゃないか?」 「そんな…」 そんなことは、と言おうとしてはっとした。 その程度。…今俺が言ったのは、“その程度”のことなのだろうか? 彼女に別れを告げられて哀しかった。しかし、縋り付いて止めようとは思わなかった。 他につきあっている男性がいると聞かされても、呆然として怒ることさえできなかった。 「…ま、私には関係ないけどね。」 カミューは空になった皿をテーブルに置いた。 ことん、と乾いた音が静かな室内に響く。 「…あのさ、見るに耐えないからそれ食べちゃってくれる?」 「あ」 確かに手元の皿には、ケーキが無惨にぐちゃぐちゃになっている。 好物をこんなふうにされてはいい気分はしないだろう。慌てて口の中に残骸を詰め込んだ。 その時、何処からか無機質な電子音が聞こえた。 「?」 カミューはおもむろにポケットに手を突っ込んで、そこから携帯電話を取り出した。瞬間、音が大きくなって思わず眉を寄せる。 「……」 着信表示を見ているのだろうかミューは、渋い表情をしてこちらに向き直った。 「…ちょっとごめん」 彼は立ち上がってキッチンのほうへ消えて行く。向こうで何かぼそぼそと話しているが、内容までは分からなかったし聞くつもりもなかった。 ひょっとしたらまた女性の1人からかもしれない。御苦労なことだ… 「悪いけど急用が入ったんだ。もう帰ってくれないかな」 一旦電話を切ったらしいカミューがひょいと顔を出した。 「そ、そうか、すまない。長居をしてしまった」 立ち上がって鞄を手にとる。 ビールは飲みかけだったがどうしようもないのでそのままにしておいた。申し訳ないが、カミューが捨ててくれるだろう。 戸口まで送ってくれるはずもなく(今までの態度を考えると当たり前だが)、靴を履き終えると無性に空しくなった。 結局自分は何をしに来たのだろう…。 今度はもう少し間を置いて尋ねて来ることにしよう。そして、忘れ物だけは絶対にしないように… 「まだいたの?」 カミューが携帯を持ったまま不審気にこちらを覗いている。 「す、すまない、今出て行く」 まるで追い立てられるように、ドアを潜った。 閉まった扉から待ち構えていたように鍵のかかる音がして、また少し辛くなった。 帰る道々、ぼんやりと先ほどのケーキの後味を思い出していた。 美味しいケーキではあったが、ビールとあわせるのはよくないな…。 今度尋ねて行く時は、紅茶も添えて行ったほうが良さそうだ…。 洋梨のブランデーケーキと、合鍵を持って。 |
やはりボケ続ける青。
最早この人のボケなくしては
話が続きません。