(…ようやく帰ったか…) 閉められたドアにしっかりと鍵をかけると、改めて手の中の携帯を見直す。 着信履歴には、彼に見られてはいけない番号。 面倒だが、書け直さなければならない。 そのまま通話ボタンを押して、部屋に戻りながら2度のコールを聞く。 待ちかねていたように相手が出た。 「ああ…すいませんでした。今ちょっと取り込んでいたものだから」 先ほどまでマイクロトフが座っていた場所に腰を下ろして、微妙な温もりに顔を顰める。 「女…? とんでもない、友人が来ていたんですよ。おや、私を疑うのですか?」 飲みかけだった自分のビールもすっかりぬるくなってしまっている。口を湿らせるために含んだが、当然美味しくは感じられなかった。 「ええ…分かっていますよ。貴女の御都合のよろしい時に…。…大丈夫、心配しないでください…。…ええ、…ええ…。そんなことはありませんよ…」 口調とは裏腹に、あからさまに面倒な顔をして、ビールの中身を空にする。 美味しかったケーキの香りがすっかり消えてしまった。 「…そうですね、ええ…ではまた…。」 耳から携帯を離すや否や電源を切り、重苦しさからの解放にほうっとため息をつく。 全く、いろいろと煩い女だ…。 あまりにあっさりと信用されても拍子抜けだが、拒み続けられても味気ない。 彼女の態度はその2つを並べるならまさしく中間であったが、嫌な感じの中庸なのだった。 (どうも、自分をいつも中心に置いてくれないと嫌がるタイプの女だ。自分の利益か不利益になるかを執拗に見極めて、それで手元に置くかどうか決める…といった感じだな。) マイクロトフが切られた原因が分かる気がする。 そういう意味では彼は扱いにくい。 真面目過ぎるのだ。 (私なら絶対この系統とはつきあわないけどねー…) 変に気に入られて結婚とか迫られたら冗談じゃないし。 あいつに痛い目見せたら早めに手を切るようにしないと。 「あーあ…肩こっちゃったよ」 何気なく手を伸ばして、指に触れたビールの缶を取り上げて口に運ぶ。 やはりぬるくなった液体の感触にうんざりしながら、そういえばさっきビールを空にしたことを思い出した。 はっと口を離して見ると、 「…あいつの飲み残しじゃないか!」 うえ、と口を拭った。 畜生、あの馬鹿。中途半端に残していくな。 口直しにもう一切れケーキを切ろう…今度はもっと厚く切ってやる。 皿に寝かせたりしないで、きちんと立つくらいの厚さで切って食べてやる。 …それにしても本当に何しに来たんだあいつは?? *** 「苛々が顔に出てる」 静かな声で傍らに立った男を、軽く睨み付けてそれに答えた。 「…御忠告有難う。気をつけるよ」 口ではそう言ったが、他の人間は気づいている訳が無い。 この男はこういうことに聡いが、それをわざわざ口にするようなタイプではなかった。 「…それで何か用かいグレンシール。まさか世間話をしに来た訳じゃ無いだろう。」 シンプルだが着こなしの難しいスーツをさり気なく纏ったグレンシールは、普段の無表情よりは少しからかうような顔で封筒を差し出す。 「中の書類。らしくないミスがふたつ。上に渡る前に持って来てやったんだ、有り難く思え」 思わず複雑に眉を寄せた。 「…そう。それはどうも。君こそらしくないな、わざわざ教えてくれるとはね。」 「感謝している台詞とは思えないな」 「感謝してるよ、それでミスの場所は?」 「そこまで教える義理はない」 「…了解。まあ、君にしちゃマシな対応か…」 受け取った封の中にちらっと目を走らせる。 ミスの原因がなんとなく分かるような気がした。あいつに出逢った次の日にまとめたものだろう。 本当にらしくない、余程頭にきていたんだな。 ふと、デスクの脇にいるグレンシールがその場を立ち去っていないことに気がついた。 「…まだ何か用かい」 グレンシールは、一応仕事上の相棒ということになっていた。 プライベートではこれ程扱いにくく気の合わない人間もいないものだが、仕事に関することは流石に頭のきれる相手のほうがやりやすい。 向こうもそれが分かっているから、お互いに本音を知りつつ口には出さない、仕事でしか関わりのない“相棒”としてうまくやっていたものだ。 彼は人の事にカミュー以上に関心がない男で、来る者拒まず去る者追わずはカミューと同じ主義だったが、他人に対する愛想という点では決定的にタイプが違っていた。 そんな男だから、彼のほうから話しかけてきたことも、こうしてこちらの様子を伺いながら含みのある笑みを見せていることも奇妙で仕方がないのだった。 「珍しいと思って。不機嫌そうだから」 「そういう君は随分御機嫌みたいだな。楽しくて仕方ない顔をしてるよ」 グレンシールは嫌味にも動じず、喉の音でくっと笑った。 ますます気味が悪くなる。こんなに機嫌のいいこの男を見るのは初めてだ。 「女か?」 「…まあ、そんなとこじゃないかな」 「本当に? お前がね。」 「私がそれで不機嫌になっているのは悪いことか? 自分から聞いたくせに。」 「悪くはないが面白い」 「…随分絡むじゃないかグレンシール。何かいいことでもあったのか?」 とうとう堪らずに、くるりと椅子を回転させて(カミューにとって)無気味な笑いを見せているグレンシールと向き合った。 やたらと楽し気なその様子に、新しく女でもできたのかなと想像してみる。 しかしそれくらいで今さら喜ぶ男ではあるまいし。こいつだって不自由は全くしていないはずだ。 (理由が分からないから気持ちが悪いな) 「用が無いならそうやって目の前でにやにやするのはやめてくれないかな。見ての通り私は苛々してる。君がそう指摘したんだろう」 「情けない男だな。女なら身体で黙らせるのが一番だ」 「…そう簡単にいく相手ならとっくにそうしてる」 知らないと思って好き勝手言ってくれる。 確かに間に女は挟まっているが、根源は正真正銘の男だ。 カラダの話し合いなんて気味が悪い…私はそういう冗談は好きじゃない。 もういい加減グレンシールを追い払おうとした時、携帯が静かに震えた。 着信を見て、少し迷ったが、仕方なく通話ボタンを押す。 「…もしもし。……、…ああ、別に…。…そうだな…ああ、構わないよ。じゃあ8時に」 簡潔に電源を切る私に、グレンシールはなおもからかい調子でにやりと笑う。 「料理の旨い女?」 「残念、今日は外で飲むよ」 「じゃあ金回りの良い女か。精々頑張れよ」 ようやく満足したのか、上機嫌のまま背を向けた男の後ろ姿を不審気に眺めていた。 本当に何かあったのだろうか…。 まあ、私には関係のないことだが…それにしても夢見が悪そうだ…。 “男”でイライラするのはあいつだけにしてもらいたいものだ…。 「…ミュー…カミュー!」 はっとして瞬きをする。 左でハンドルを握っている女の香水の臭いが鼻につく。 「…ああ、なんだい…」 「なんだい、じゃないわよ。さっきから呼んでるのにぼーとして。珍しいわね、考え事?」 「…まあそんなとこかな…」 「いいけど。…着いたわよ、降りて」 促されて、やれやれと車を降りた。 どうも最近はずっとこんな感じだ。調子を狂わされてしまっている。 誰に、なんて口に出すと腹が立つから考えたくも無いけれど。 こんなふうに飲みに出るのも久しぶりだから、適当に腹を満たして体力を使って後はぐっすり眠れるだろう。 いつも通りのリズムを取り戻したい。それこそ、ふいうちなんて食らわないような。 いきなりケーキを持って現れるような、予測不可能な男のことを考えずにいられる生活に戻れたらいいのに。 こうして適当な女と会って飲んで寝て、それだけで1日が終わるのだったらどんなに楽だったか。 |
ああ、もうすっごい中途半端で申し訳ないです。
こんなおかしなところで切るハメになろうとは…!
カミューさんよりもグレンシールが怖いです…
グレン登場は初ですー。
ほんとはグレンにも設定があるのですが脱線する訳に行かないので謎に。
一応機嫌がよいのも理由がありますが…(お察しの通りかと)
それにしても相変わらず亀より遅くてごめんなさい…。亀にも失礼。