WORKING MAN





「ここ最近入ったバーテンが可愛いのよ」
「へえ」
 赤い口唇がせわしなく動くのをどうでもよさそうに眺めていた。
 食欲と性欲と睡眠欲と、それだけ満たすことができれば相手も選ばないなんて、人間は物事の基準が曖昧で不規則だ。
 尤も誰が相手でも同じことだから今さら考え直す気もないけれど。
 女の後ろから店のドアを潜り、落ち着いた店内の雰囲気にまずまずの合格点を与えた。
 客層も悪くない…と思いかけた瞬間だった。
 カウンターに座っている1人の男、できることなら見間違えたかったがそうはいかないのがパターンである。
 思わず足を止めた私に、女が振り返った。
「カミュー?」
 その声が原因かは分からないが、おもむろに男がきょとんと顔を上げた。
 お互いの視線がものの見事にぶつかった。
 切りそろえた前髪の下の意志強固な眉、…間違いない、彼だ。
「あ…」
 マイクロトフは少し驚いた顔をしたが、周りを憚ったか、軽く会釈をするにとどまった。
 私も仕方なく頷く程度に頭を下げる。
「知り合い?」
「…そんなとこだよ」
 彼から離れたカウンターに席を取る。
「ちょっとカワイイ感じじゃない?」
「そう思うなら声をかけてあげるといい。オモチャにするには生真面目すぎるけど」
「何それ?」
 女は可笑しそうに笑った。
 気分は一気に急降下だ。早々に店を出たくなった。
 あいつを轢き殺しかけて丸3日。こうも毎日顔をあわせるなんておかしい。偶然にも程がある。
 まさか私を付け回してるんじゃないだろうな。…想像いたら気味が悪くなった。
 適当にアルコールを流し込もうと思っていたのに、気づけば軽めのものばかり注文していた。気分まですっかり冷めてしまっただろうか。
 今日はもうこのまま帰りたくなってきた。
「ちょっと待ってて」
 女が席を立つ。
 遠ざかるヒールの音が耳障りで、グラスを持ったまま眉を顰めた。
 今までどんな会話をしていただろうか。
 それなりに沈黙もなく女が話しかけ、適当に相槌を返す。
 それに慣れ切った自分と女。全くもって非生産的。
(…いい酒を使ってるな)
 空のグラスを置いたままにすることを避けた。
 口淋しいと生温いビールの味を思い出す。
 カタン。
 女がいたのとは逆隣から、椅子の脚が音を立てた。
 反射的に振り向くと、やや気まずそうな表情の彼が立っていた。
 うんざりもしたが、妙に納得もした。知り合い…と呼べるのかどうかは置いておいて、顔見知りに会って会釈だけで済ませるタイプではないだろう。
「やあ」
 仕方なく声をかける。彼は少し戸惑ったようだった。
 私が特に動じないでいると、マイクロトフはやがて引いた椅子に浅く腰をかけた。
 長居する気ではなさそうだ…。
「その、すぐ戻るから」
 私が様子を伺ったのを気にしたのか、言い訳するようにそう口にする。
「ああ」
 受け入れるでも突き放すでもなく返事をする。
 流石に声が露骨すぎたかもしれない。グレンシールの言葉を思い出して向かっ腹が立った。
「こういう店も来るんだな、君は」
「え…」
「1人?」
「あ…ああ、実は姉が…この店の経営者で」
 なんだって。…ああ、とんでもない店を選んでくれた。
 もうここには2度と来ないだろう。悪くなかっただけに惜しい。
 そこまで会話を交わすと、彼はまた夕べの夜のように黙り込んだ。
 このパターンは苦手だ…昨日の状況を繰り返す前に、また私が先に口を開いた。
「…昨日はケーキをどうも」
「あ…いや…」
「で、何の用だったんだい」
「え、その…」
「まさか本当にケーキだけ届けに来たってんじゃないだろう」
「…迷惑だっただろうか」
 思わず彼の顔をまじまじと見た。
 どうしてこう頓珍漢な答えが帰ってくるのか。それともはぐらかそうとしているのか。
「…まあ、突然で驚いたけど。せめて事前連絡くらいは欲しいな」
「すまない、お前の連絡先は知らないんだ」
 …そうだったか。そうだ、私が勝手にこいつの携帯番号をチェックしていたんだったっけ。
 しかし改めて教えるなんて冗談じゃない。
「メールアドレスなら知っているが…それで連絡したほうが良かっただろうか?」
 …本気で言ってるのか?
 あれは非常手段だ。余計な会話をしたくなかったからだ。
 大体事前にメールでやりとりをしてプライベートの約束を取り付けるなんて、そんな無気味なこと男同士でできるか。
「あれは会社のものだから…勤務中しかチェックできないから、遠慮するよ」
「そうか…不謹慎だな」
 ここでまた会話が途切れた。
 こうなると女の帰りが待ち遠しくなる。
 何だってああ手洗いが長いんだ。どうせ厚化粧を更に塗りたくっているんだろう。
 せめてバーテンが気づいて声をかけてくれればいいものを、一向にやってくる気配がない。
 とにかく何か理由をつけて追い払おうと言葉を考えていると、マイクロトフがぽつりと呟いた。
「礼を…言おうと思って」
「え?」
 店の音楽のせいでよく聞こえなかった…聞き流す余裕もなく聞き返した。
「礼を言いたいんだ」
 生真面目な彼は御丁寧にそう繰り返した。
 当然我が耳を疑った。





うわー、また中途半端でごめんなさい。
長さがおかしかったので一話予定を区切ってしまいました。
偶然を必然にして下さい。
でないと話が成り立たないのです(爆)