最悪だ。 最悪の日だ。 思えば朝から様子がおかしかった。 休日ごとに磨いていたフェラーリに10円キズがついているし、会社についたら毎度毎度絶妙なタイミングでエレベーターを逃して階段移動を強いられるし、その上部下が余計なミスを繰り返して後処理がこっちまで廻ってくるし。 ここでさっさと帰宅していれば良かったものを、ちょっとスッキリするか、なんて珍しく自分からあの女のところに出かけてしまった。 そうだ。これが何より間違っていたんだ。 これさえなければただの不運な日で済んだかもしれないのに、プライドまで傷つけられて最悪な日になってしまった。 おまけに苛々が収まらないままマンションを出て、人を轢き殺すところだった。 ここで轢いていたら最悪どころか人生も終わりだったが、それは何とか免れたもののやはり不運は続いていた…。 はあ、とため息をついて亜麻色の手触りが良さそうな髪を掻き上げ、カミューはちらりと自分のベッドを見やった。 ベッドの上には黒髪の生真面目そうな青年が気絶したまま横たわっている。 先程、轢く轢かないで口論になって、彼ははずみで後頭部をしこたま打ち付けたのだ。 放置しておこうかとも思ったが、彼ははっきり自分の顔を見ているし車のナンバーも覚えていないとも限らない。 慰謝料がどうとかも口走っていた。 仕方なしにひきずって助手席に乗せ、他に行くべき場所もないので自分のマンションに連れ帰ったのだった。 ベッドに運んでから早1時間。彼はまだ目を覚まさない。 「はあ…」 泣きたくなってきた。何が悲しくて見知らぬ男の寝顔を延々眺めていなければならないのか。 すでに空けたビールが3缶。 苛立っているせいか酔いも早い。 こいつ、蹴り起こしてやろうかなんて物騒な考えが浮かび始めた頃、 「う…うー…ん…」 男がもぞもぞと動き始めた。 彼は仰向けの状態から一度こちらを向く格好で寝返りを打ち、何か違和感でもあったのか、不審気に眉を寄せて目を擦る。 「…?…」 ぱちぱちと瞬きをして、-----カミューの顔が視界に入ったらしい。 「!?」 がばっと飛び起きる。が、すぐに後頭部を押さえて口唇を噛んだ。 どうやら打った部分がまだ痛むらしい(仰向けに寝かせたのは良くなかっただろうか?)。 「やあ」 カミューはこの上なく不機嫌な声で呟いた。 「ようやくお目覚めかい」 「こ…ここは…」 「私の部屋だよ。あのまま道路に放置しても良かったんだが、何かとうるさい理屈で裁判でも起こされちゃたまらないからね」 「な…!」 青年マイクロトフは大分置かれている状況を理解したのか、毛布をめくってベッドから降りた。 自分のすっかり皺になっているスーツを見て、また頭に血が昇る。 「背広くらい脱がしたらどうだ? このまま寝かせたら皺になることぐらい誰だって…」 「男の服を脱がす趣味はない」 平然と言われて、思わず拳を握るマイクロトフ。 「何だその言い草は! 大体お前があんな乱暴な運転をしなければこんなことには…!」 「ここまでつれてきてもらった礼もなしか? 私は助手席に男を乗せるのも嫌だったんだ! 置き去りにされなかっただけでも有り難く思え!」 言い方はともかく一理あると思ったらしく、口唇を噛んでマイクロトフは次の言葉をぐっと堪える。 暫くそのまま睨み合いを続けていたが、ふいに諦めた様子でマイクロトフが肩の力を抜いた。 「…ここはどこだ」 「中央区」 カミューの素っ気無い返事にマイクロトフがはあ、とため息をつく。 「道理で見なれないデカいマンションが多い訳だ…」 窓から眺める景色には長方形のマンションがあちらこちらに散らばっている。 この部屋だって少なくとも十階以上の高さなのだろう。地上がここからでは見えない。 どうやって帰ろうもとマイクロトフが頭を抱えていると、おもむろに立ち上がったカミューが一度キッチンへ消え、再び缶ビールを手にして戻って来た。 「ホラ」 マイクロトフにビールを手渡し、自分はむすっとしながら床に座り込む。 「いくら何でも帰るアシのない人間をむやみに追い出したりはしないよ。本当は今すぐ出てってホテルでも探してもらいたいけどね」 「最後が余計だぞ」 「宿を提供するんだぞ、私は」 ぐっと詰まるマイクロトフにジェスチャーでベッドに腰掛けるよう示したカミューは、自分用の新たなビールのプルタブを引いた。 静かな部屋にプシュッと小さな破裂音が響く。 マイクロトフも少し躊躇ったが、あまり選択の余地はなかったので結局はベッドに腰を下ろした。 |
やはり口の悪いカミューさん。
口どころか性格も悪そうです。
ようやく二人がマトモに会話し始めました。
最悪な日はまだまだ続いているようです。