WORKING MAN






「……ごちそうさま」
 なんとも不思議な空気から脱出すべく、食事を終えて少しもしないうちに頭を下げた。
 マイクロトフもお粗末様でした、と礼をし返し、はたと顔をあげた二人の目がかっちり出会う。
(……いかん)
 カミューは複雑な表情をごまかすために立ち上がり、さっきまでは思いもしなかったというのにガタガタと食器を片付け始めた。それに倣ってマイクロトフも茶碗と皿を重ね始める。
 二人はしばらく黙々と食器を台所に運び、さてそこでどうするかと再びお見合い状態になる。
「……洗うよ」
 カミューは数年ぶりに台所の中央に立った。食事まで用意させて後片付けだなんて、まるで群がって来た女と同じ扱いじゃないか……先程まで片づけもしていって欲しい、なんて考えていたというのにどうしてしまったのか自分は。
「いや、俺が作ったのだから」
 するとマイクロトフがずいとカミューを押し退け、たまった食器に手を伸ばそうとした。
 その行為にむっときて、カミューもマイクロトフを押し返す。
「いいよ、作らせたんだし」
 マイクロトフも負けじとカミューを押し返した。
「しかし勝手に台所を使ったのだから」
「気を使ってくれたんだろう」
「汚したのは俺だ」
「黙って食わせてもらったんじゃ私だって格好つかないだろ」
 二人は奇妙な押し問答を始め、どちらも引かずに不毛な時間が流れていった。
 これではますます格好が悪いと、カミューは一旦力を抜く。
「……じゃあ、お前はお茶の用意してくれよ。私が後片付けするから」
「お茶って…」
「食後のデザート」
 カミューはそう言うととんっとマイクロトフの肩を押した。思わず後ずさりしたマイクロトフがいなくなった空間を陣取り、水道の蛇口に手を伸ばす。
 最近は食器を使った食事を自室ですることがなかったため、洗い用のスポンジもすでに干涸びているようなものだ。面倒な作業だと思う。しかしこのまま彼に任せっぱなしになることが無性に恥ずかしく感じられた。
 マイクロトフは少し戸惑っていたようだが、新たに役目を与えられたとあっては動かない訳にもいかなかったらしい。先程カミューがお湯を用意していたので、紅茶の缶を開けて入れ始める。ケーキはすでに切ってあったのでそのまま皿へ。
 当然マイクロトフの準備のほうが早く終わってしまい、彼は手持ち無沙汰でカミューを待つこととなった。先ほどと状況は違えども構図が同じになる。マイクロトフはそわそわとつまらないテレビに視線を向けていた。
 カミューはようやく食器を洗い終わると(それでも大した量はなかったのだが)、手を綺麗に洗って洗剤を落とす。すでにセッティングされたテーブルに苦笑いを浮かべてしまった。
 再びテーブルに向かい合って、今度はケーキを男同士で食えというのか。呆れを通り越してなんだか可笑しくなってきた。
「その、すまん、片付けを任せて……」
「……いいよ。食べようか?」
「あ、いや俺は……」
「でもお前の分も用意してあるじゃないか」
「あ!」
 無意識だったのだろうか。ティーカップとケーキ皿がふたつずつ用意されていたテーブル上にマイクロトフは絶句していた。
 カミューはますます可笑しくなる。そういえば会った時から挙動不審だったのだ、この男は。
「いいから、食べよう。前に買ってきてくれたやつより美味しいから」
「う……」
「食べよう」
 カミューが席に着くとマイクロトフも大人しくなった。入れたての紅茶を口に含んで、やはりビールよりも断然相性がいいことを実感しながらケーキを頬張る。
 久しぶりの味は舌にじわりとブランデーの香りが残る、苦味と甘味のバランスが癖になりそうだった。
 こういうのも悪くない……カミューは不覚にもそんなことを考え、慌てて頭の中で消した。
 もうこんなのはごめんだ。形だけそう思ってから、……やっぱりたまにならいいか、と訂正し直す。
(……どうかしてるのかな)
 だんだん気にならなくなる。今まで苛々していた原因が別なところへ移って行く――彼の行動から自分の思考へと。
「……マイクロトフ」
 気づいたら彼の名前を呟いていた。マイクロトフがきょとんと顔を上げる。今まで熱心に食べていたところを見ると、ケーキが口に合ったのだろう。
「その……」
 カミューは口籠った。特に用があったわけではない。
「……前に、感謝してるって」
 とりあえず言葉をつなげようとする。マイクロトフが不思議そうな顔をした。
「私に感謝してるって……言ってたよな」
 苦し紛れに続いた文は収拾がつかなくなり、カミューは自分が何を言っているのか分からなくなった。しかしマイクロトフはいつものように尋ねられたことをきっちり考えているようで、ああ、と頷いてみせた。
「言った。お前には感謝している」
「……今も?」
「……ああ、今もだ」
 真直ぐこちらを見て返事を返すマイクロトフに、カミューは身体のどこかがちくちくと引っかかるのを感じていた。
 むず痒いとというか、彼の反応はいちいちくすぐったい。そう、くすぐったいのだ。何にでも一生懸命になるものだから、端から見ていて何とかしたくなってしまうのだ。
 だから今もこんなふうに引きずり回されているに違いない――カミューは紅茶で口の中を湿らせた。
 マイクロトフは質問の意図が分からなかったのか、まだよく分からない顔をしている。口唇の端にケーキの食べカスがついている……カミューはそんなことが無性に気になって仕方がなかった。
 何故か悶々とした空気のままケーキを食べ終え、再び二人は向かい合ってごちそうさま、と頭を下げる。
 また洗い物ができたか、とカミューが立ち上がろうとすると、マイクロトフが意を決したように口を開いた。
「か、カミュー」
 カミューは振り返って首を傾げてみせる。
 そういえば名前を呼ばれたのは久しぶりだ。カミューはまたくすぐったい感触に恥ずかしくなった。
「その、ひとつ……頼みがあるのだが」
「頼み?」
「もし……迷惑じゃなければ、……友達になってもよいだろうか」
 カミューはぱかんと口を開けた。
 直球は変化球より時にずっとタチが悪い。
 あまりのストレートさに、カミューは思わず穴があったら入りたくなった……恥ずかしい思いをするのは自分ではなくマイクロトフのはずだというのに。
 駄目だろうか、と眉を垂らすこの男になんと反応していいのか分からない。こんな相手初めてだ。予測のつかないことばかりで、これだから調子は狂いっぱなしなのだ――……
「……いいよ」
 それは上の空のまま呟かれた。自分の言葉の意味はよく分かっていなかったが、マイクロトフがその瞬間ぱっと顔を明るくさせたのを見て、ああ、この男と友達になったのだ……とカミューはぼんやり認識した。
 機械的に紅茶を飲み干した。少し温くなった液体が喉を通り、この奇妙な光景を酷く現実的にさせていた。





苦しいかな……苦しいかな……(泣)
なんか一人称がめちゃくちゃになってきてます(汗)
い、いつになったら恋人に……