WORKING MAN






 新しい友人ができた。





「最近調子いいな。何かいいことでもあったのか?」
 フリックの声にマイクロトフは振り向いた。丁度企画書に一発OKが出て、意気揚々と戻ってきたところだった。
 振り向いた顔も笑顔になっているマイクロトフに、思わずフリックも笑ってしまう。
「妙に機嫌のいい日が続いてるじゃないか。新しい彼女でもできたのかよ」
「そんなのではないが……」
 マイクロトフは苦笑した。
 他愛のない、彼に友人と認めてもらえたというだけのこと。きっと彼にとっても大したことではないに違いない。
 しかし自分にとっては特別なことだ――マイクロトフは自然と綻ぶ顔をどうすることもできない。
 嫌われていた相手が少しでも自分のことを認めてくれたのだ。
 そりゃあ多少は気を使ってくれたのに違いないが、本当に嫌だと思ったらカミューの性格だ、そうはっきり言うだろう。
 あれから大分進歩したのだ。
(また時期を見て会いに行ってみよう)
 やはり彼には事前に連絡を入れたほうがいい。あの日も彼女の一人と会っていたのかもしれないのだし。
(もう少し親しくなったら、女性との付き合い方について少し注意したほうがいいな)
 いつか彼に本当に大切な人ができた時、きっと後悔するだろうから。
 合鍵はすっかり渡すタイミングを逃してしまった。
 これは反省すべき点だ。彼女が自分に託したのだから、あの時ドジをやらずにすぐに渡さなければならなかったものを。
 今からでは却って渡しにくくなってしまった。きっと変な顔をされる。また機嫌を損ねるかもしれない。
(今度こそタイミングを見計らって渡すのがいいな)
 尤も自分はそのタイミングを計るのが下手なのだが……
 何かぶつぶつと考えているマイクロトフに、フリックはやや不思議そうに首を傾げた。
「まあいいや。そういやこの前の埋め合わせもしてもらってないな。今日暇なら飲みに行かないか?」
 フリックの誘いを断る理由はなかった。マイクロトフも頷く。
「ああ、つきあおう」




 ***





 初めて“友人”ができた。





 カミューは夕べからずっと複雑な表情をしていた。
 苛々しているような、落ち着きがないような、それでいて腹立たしい気持ちがあるという訳ではなく、とにかく複雑な様子なのである。
 そんな微妙な雰囲気が周りにも伝わるのだろうか、今日はいつも何かと理由をつけて群がってくる女達が近寄ってこなかった。普段の態度との違いが癪に障りつつも、どこかせいせいした気分は否めない。
 それというのも全てあいつのせいだ――思い出してカミューは綺麗な顔を顰める。
 今時オトモダチになりましょうだなんて、あんなずれたことを言うから調子が狂うのだ。小学生だってあんなおかしな会話をするものか。
 とにかく何かにつけて疲れる男だ。
 こっちは対処のしようがないではないか。
 仕事なんか頭には言ってくるわけがない。カミューは本日の仕事状況を思い出し肩を落とす。
 あれではグレンシールに難癖がつけられそうだ。明日一番で修正を加えなければ。
 そうしてぼんやりと時間が過ぎた。やることもなく時計の音だけがコチコチと耳に触る。
(……)
 普段はこの時間、何をしていたっけ……
 何処かの女のところにでもいたのだろうか。
 それとも誰かと飲みに……
「……」
 こんなに退屈だっただろうか。
 夜を家で過ごすことは当たり前だが初めてではない。しかしこんなにやることがないとはどうしたことだろう。
 まだまだ夜更けまでには時間がある。真直ぐマンションに帰ってきたのは失敗だっただろうか。
 誰かを誘おうかとも思ったが、面倒だ。
 テーブルの上の携帯。今日はまだ誰からもコールがない。
 そういえば最近女からの電話が減っている気がする。……随分ほったらかしにしていたのが多いからな。
 女はもうどうでもいい……疲れるだけだから。
(……退屈だ)
『友達になってもよいだろうか』
 具体的にどうしろというんだ。友達だって言うのなら何をしたらよいのだ。
 昨日そう言ったばかりなのに、今日はもう連絡がないのだろうか。
 友達なら電話くらい寄越すものではないのか。……いや、男同士なんだからそんなにしょっちゅう連絡するものではないのだろうか。
 女なら「友達」と言った次の日には恋人気取りだ。――別にあいつに恋人気取ってもらいたいわけではないけれど。
 時計を見る。まだ夜は長い。
 電話をくれたら出てやってもいい。少し話すくらいなら構わない。
 何処かに飲みに行くくらいならつきあってもいいだろう。あいつの話を聞いているのは疲れるけれど、今の退屈な時間よりはちょっとましかもしれない。
 まだ夜は長い。もう少しなら待ってやってもいい。





「マイクロトフ、落としたぞ」
 フリックが差し出した黒い塊、マイクロトフの携帯電話。
「あ、すまない」
「酔ったのか? しっかりしろよ」
 マイクロトフは携帯を受け取りポケットに収める。
 足取りがふらついているわけではないが、少し頭がぼんやりしてきた……やはり多少酔ったのだろう。
「今日は気持ちよく飲めたからな」
「最近落ち込んでたもんな。まあ、悩みが解消したみたいだからよかったじゃないか」
「ああ、これで仕事のミスも減るぞ」
 どうだか、とフリックは笑う。マイクロトフも笑った。
「そろそろ行くか。このまま飲んでたらお前が潰れそうだ」
「うん……そうだな、明日も仕事だしな……」
 マイクロトフとフリックは立ち上がり、互いに財布を取り出す。なんのかんのと譲り合いながら、店を出て言った。


 カミューは今頃何をしているだろう。
 帰り道、マイクロトフはぼんやり新しい友人の事を考えた。
 彼の事だからまたデートだろうか……
 大変だな。
 くすりとマイクロトフは笑い、暖まった身体で冷たい風をものともせず、地下鉄の駅まで道のりを歩いた。
 月が大きく低い位地で明るい輝きを放っていた。






カミューさん、貴方の考えているのは友人じゃないです……
と言ってやりたい。哀れだ。