WORKING MAN






 その朝はよく晴れていて、マイクロトフはいつもより早く目を覚ました。
 顔を洗って頭をすっきりさせ、朝食をしっかり摂る。普段通りの朝のスタイル。
 身支度を整え、時間に余裕を持って自室を出る。鍵はかけてからドアノブを回して確認して。
 何ら変わらない生活の一部分だった。



 会社に着けばまだ人も少なく、係長のフリードに朝の挨拶をしてからゆっくりと机上の整理を始める。
 もっとも、これもほぼ日課のようになってしまっているため今更整理するほど散らかっている場所などないのだが。
 あと20分もすればフリックがやって来る頃だ。それからアニタとバレリアの先輩コンビ。時間ギリギリに到着するのは今年入社したぱかりのシーナだろう……マイクロトフはそんなことを考えて、時間が過ぎるのを穏やかに待っていた。
 やがて予想とほぼ同じ時刻にフリックが現れ、思っていたのよりは少し早くアニタとバレリアが。シーナはやはりギリギリに飛び込んで来た。
 さして変わらない風景にマイクロトフは疑問も持たず、馴染んだまま彼らと言葉を交わす。



 昼になってシーナが話しかけて来た。
「マイクロトフさん、今夜暇?」
 マイクロトフは首を傾げた。シーナの誘いはロクなことがない……数カ月の付き合いでそれはよく理解しているため、即答することができなかった。
 テーブルを挟んで昼食を摂っていたフリックは、やれやれというように顔を歪める。
「今度はマイクロトフか? お前も飽きないなあ」
「フリックさんは来ないんだから黙っててよ。ね、マイクロトフさん予定ある? ないならさ……」
 相変わらず目上の人に対して口のきき方がなっていない。すでに二人は諦めているところなので、今更何も言わないのだが。
 どうやら午前中にフリックはすでに誘われていたらしい。やめとけ、と首を振る目の前の友人に、マイクロトフはシーナへの返事を用意しつつも聞いてみた。
「今夜何かあるのか?」
「すっごい楽しいこと」
「……やはりやめておこう」
「えー! 何でー!」
「お前が誘うということはどうせ合コンの類いだろう」
 ばれてる、とシーナは顔を歪めた。
「俺がそういうのは苦手だと知っているだろう」
「食わず嫌いなんだよ、マイクロトフさんは。彼女と別れたばっかりなんでしょ? いいじゃん」
 バカ、とフリックがシーナの頭を引っ叩く。痛てえ! とシーナは大袈裟な悲鳴を上げた。
 マイクロトフは苦笑した。もう随分気にならなくなっているのが自分でも不思議で可笑しかった。
「だってさ、女の子と楽しく騒いで飲むだけだぜ? 新しい出会いのチャンスでもあるんだし!」
「そういう出逢いに進展があるのかが疑問だな」
「メル友が恋人になる時代なんだからさ〜、会って話すから相手のことも分かるし、興味なかったらそれっきりにすればいいんだし、自由で手軽で現代的って感じ?」
 フリックがため息をつく。彼もこういう話にはあまりのってこないタイプだ。
 必死で口説くシーナの様子を見ると、どうやら人数集めに奔走しているようだ。彼の好みのタイプを考えると、静かで落ち着いた雰囲気というものは全く望めないだろう。マイクロトフは再度首を横に振る。
「そんな形のチャンスは求めていないんだ。他を当たってくれ」
「ちえ、折角いい話なのにさー。」
「いい加減にしろ、シーナ。あまりしつこいと残業回すぞ」
 フリックの一言でシーナはふてくされつつ退散していった。
「あいつはああゆうとこばっか元気だな」
「全くだ」
 マイクロトフはフリックと共に昼食を再開した。



 会社を出たのは昨日より20分ほど遅く、朝の天気とはうってかわって重たい夜空だった。
 少し肌寒さを感じながら地下鉄に乗り、帰るべき駅で降りる。迷うことなく帰路を辿り、頭で考えなくとも足が自宅への道を完全に覚えている。
「自由で手軽、か……」
 ぽつりと呟いた声は人影の少ない風景でいやに目立った。
 彼女と別れたばっかりなんでしょ。
 興味なかったらそれっきりにすればいいんだし。
 自分が一番難しいと思っていることを、やけに簡単に彼はこなすことができる。
 たとえば恋愛。前の彼女にフラれた時、これではつきあっているのかどうか分からないと言われた。
 彼女に関心がなかったわけではない。ただ、どうすればいいのか分からなかったので言われるがまま、後はいつも通りに振る舞っていただけなのだ。
 それから出逢い。率先して新しい人間に理想を求めることができない。相手がどんな人間かも分からないのに、出逢ってすぐに、もしくは出逢う前から何かを期待するだなんてどうしてできるのだろう?
 人に理想を抱くのはその人間と充分な付き合いがあってからだ。この人にならこんなことが期待できる、この人には……それが今まで一番自然な方法だと思っていた。
 だけどそれではのんびりしすぎているのだと、いろんな人に指摘をされた。自分は本当は思っている以上に受け身なのかもしれない。
 求めたら失うのが怖いのだろうか。……そうかもしれない。

 だからカミューに拒絶された時、あんなにショックを受けたのだ。

 マイクロトフはふっと笑った。
 いつもと同じ帰り道、思い出す人の顔が新しく増えた。
 何も変わらない日常で、新しい存在ができたのだ。
 彼は元気にしているだろうか。





ちょっと短いですがヤマの直前ということで。
もうちょっとカミューさんには哀れでいてもらいましょう……。
じわじわいかせてくださいな。