『起きたのか?』 ……誰だ? 寝惚けた問いかけに黒い頭が覗き込む。 『熱は大分下がったみたいだな』 ……お前こんなところで何やってるんだ。 当然のようにカミューの額に触れた彼に、カミューは当然の呟きを漏らす。 彼は全く気にしない様子で、何故か青いエプロンを身に付けていた。 『もう少しでできるから待っててくれ』 ……できるって何が? 『おかゆとみそ汁。お前が食いたいと言ったんだろう』 ……そうだっけ? 『洗濯も終わったぞ』 見上げるとベッドの頭上にまでたくさんの服が吊るされていた。 所持している服を全て洗ったのではないだろうか……カミューはぼんやりそれを眺めていた。 彼はカミューの目の前でお粥を作る。フライパンに米を敷いて水を注ぐ。 ……お前、いつ来たんだ。 『? おかしなことを聞くな』 彼は真面目にそう返答した。 ……おかしなことだっけ? ……ああ、そうか……おかしいのか…… なんだかそう言われるとおかしな質問だった気がしてきた。 別に当たり前のことだっただろうか。そうだったかもしれない。 彼の動かすフライパンの中で器用にお粥が完成していった。 そうか、当たり前のことだったか。 『ここからが仕上げだ。もう少し寝ていてくれ』 ……分かった、寝てるよ。 目を閉じた。 *** 目を開く。 なんだか部屋がシーンとしている。 それは酷く違和感を感じる景色だった。 カミューはゆっくり上半身を起こし、開き切ることに慣れていない目で辺りを見渡す。 「……マイクロトフ……?」 乾いた声は喉を鋭く引き攣らせ、カミューは痛みに唾を飲む。 買い物にでも行ったのだろうか。 ……何処かに出かけて…… 出かけて……、…… 「……、」 ちょっと待て。 頭上にぶら下がっていたはずの洗濯物はひとつもない。 人の気配のない室内。ヒーターの音だけが耳障りにならない程度に聞こえて来る。 どこかに靄がかかったような曖昧な記憶。辻褄の合わないストーリー。 (まさか、) まさか…… ――さっきのは夢。 「……!」 頭が一気に冴えた。 そのまま起こしていた上半身が再び枕に埋まった。 なんてことだ。なんてことだ。 なんて夢を見てしまったんだ。 いくら身体が弱っているからって、確かにお粥を食べたいと思ったからって、 (何もあんな形で出て来なくてもいいだろう……!) 不思議と治まっていた頭痛が再発しそうな勢いだった。 おまけに説明できない罪悪感。最早誰に対して感じているのか分からないが、自分1人のこの部屋で恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかった。 仰向けに倒れたまま額を探る。熱は確かに大分和らいだだろうか。 その代わり喉が強烈に痛い。少し動かすだけで切り裂かれるようだ。 そして胸の辺りが重苦しい。一度咳をしてしまうと数分呼吸ができないほど咳き込むことになりそうだった。 昨日に比べて症状は変わっているが、決してよい方向に進んでいるわけではなさそうだった。 カミューはため息をついて(ため息すら喉に響いた)、会社に電話するべく携帯を取る。枕元に置いたまま――こんなところに置いていたから変な夢を見たのかもしれない。 会社の番号を呼び出す前に、画面に表示された「着信あり」の表示に目を細める。 開いてみると会社からの番号。 「……」 カミューは恐る恐る時計を見た。 ――やってしまった。 短針は12の数字をやや過ぎていたところだった。 *** 昼食を終えたマイクロトフは、自動販売機コーナーで缶コーヒーのボタンを押した。 「あ……」 冷たいコーヒーのボタンを押してから、今日は温かいほうが良かったかな、と思い直す。しかしガタンという音と共に落ちて来た冷たい缶に、マイクロトフは遅い判断を後悔した。 まあいいか、とコーヒーを取り出すために屈んだ時、少し先の喫煙所から楽し気な男の声が聞こえて来た。 立ち上がって振り向くと、狭い喫煙所のスペースを煙でいっぱいにしながらシーナが携帯片手に談笑している。人に聞かれて困る話ではないのだろうが、なにもあんなに大きな声を出さなくても、とマイクロトフは呆れた目で彼を見た。 「じゃあまた日曜に! えっ? ないない、大丈夫だって! オッケー、じゃあね〜」 明るく電源を切ったシーナは、間髪入れずに次の番号を呼び出している。そして通話ボタンを押して耳に当て……数秒後、再び大きな声での会話が始まった。 マイクロトフは心底感心した――勿論いろいろな意味で。 様子から察するにどちらも女性だろう。昨日の合コンの相手だろうか、それとも別の誰かか、そんなことはマイクロトフには知る由もないが、彼の類い稀れな器用さはこんなところにばかり発揮されるのだな、とため息をつく。 この調子で仕事に集中すれば遅刻もミスも少なくなるだろうに。 (昼の間中ああやって連絡しているのだろうか?) マイクロトフは冷たい缶コーヒーを手の中で転がしながら、デスクに戻る道々考えた。 あんなふうに複数の女性をつなぎ止めておくためには、こまめな連絡が必要だと言うことは分かる。 しかし、どうして複数の相手とつきあいたいのかその理由が分からない。 (どの女性も特別に好きだから、ということではなさそうだ) 椅子に座ってコーヒーを開ける。口に含んで味を確かめる。 (適当に相手をするのにあんなふうに手間をかけるのか? やはり俺には分からんな) 少し甘い。次は隣のコーヒーにしよう。 マイクロトフはコーヒーを飲み飲み、静かに動く時計の針を眺めた。 『だから都合のいい女って言っただろう?』 いつかの彼の台詞。 (都合のいい、か。) 都合のいい楽な相手を見えない苦労でつないでいるのか。 『あの人、友達いないのよ。』 ――つまり、そういうことなのだろうな。 本気で相手を探さないのはきっと……1人になるのが怖いからだ。 きっと彼らはそういうタイプ。 では自分はどうだろう。 今はこのままで不自由は何もないが、いずれそれなりの年に誰かと結婚して家庭を作るのだろうか。 それはそれで構わない。寧ろきっとそうなる。 あまり人に期待していないのだ。だから適当につきあうこともできず、たった1人の恋人にフラれて立ち直れないこともない。 もしもこの価値観を変えてくれるようなそんな人が現れたら、きっとその人を大切にするのだろう。失ってから後悔しないように、毎日を一生懸命に生きるだろう。 けれどそれを待っているだけでは、たとえそんな人がいても自分の目の前には現れてくれないのだろうな。 (そのために必死になることもできない) コーヒーが空になった。 机の端に空き缶を置くと、時計は一時を指す。 午後からの仕事に集中する。 せめて彼にはそんな相手が現れるといい。 そうしたらきっと毎日が楽しくて仕方がなくなる。 たった1人の人で満足するような、そんな毎日。 |
うわっ恥ずかしい(私が)。
カミューさん恥ずかしいです。
ちなみに夢の中でマイクがフライパンでお粥作ってるのは、
カミューさんがお粥の作り方を知らないからです……。