昼に少し感傷的になっていたせいだろうか。 久しぶりに携帯が震えた時、酷く動揺した。 帰り支度を始めてすぐ、とうに登録からは消してしまったので番号のみの着信。 最初は誰だか分からなかったが、見覚えのある数字にやがて気づいた。 恐らく切れる1コール前、何故だか異様に緊張して通話ボタンを押したのだった。 *** すっかり真夜中になってしまって、街灯も少ない道は人通りがそれなりでもやはり淋しかった。 一人歩くマイクロトフは遠目で見ると会社帰りのサラリーマンだが、その髪はしっとりと湿り、薄暗闇では分からないが左頬が少し赤い。 月が隠れた曇り夜空、もうすぐ雨が降り出しそうだった。 何であんなこと言ってしまったのか。 久方ぶりにかけて来た彼女、今更連絡を寄越すくらいだから何かあったのだろう。 そう思って会うのは最後にしようと決めた。 冷静に話を聞こうと思っていたのに、気づいたら余計なことをたくさん口走っていた。 まず水を顔にぶっかけられた。 席を立つ彼女を追うと引っ叩かれた。 同じ店に居合わせた人たちは見ないフリをしてくれていた。 気を使ってくれたウェイトレスが渡してくれたタオルで顔と髪を拭って、支払いを済ませて店を出るとすでに彼女の姿はなく。 ……今度こそ本当に最後だったんだな、と、ぼんやり考えていた。 電話の時はあんなに緊張したのに、実際に目の前にすると少し落ち着いた。 改めて、彼女は少し綺麗になったと思った。そして以前からこんな目で自分を見ていたのかと今頃気づいた。 ああ、初めから少しも愛されてはいなかったのだ。それが分かると、心は妙に落ち着いていたのに口ばかりが先に出て…… あんなことを言うつもりではなかったのに、ついに彼女も堪え切れなくなったらしい。 ――貴方の幸せは私には関係ない。 マイクロトフは少し笑った。 言ってくれるものだ。 あんなに気性の激しい女性だとは知らなかった。 あれなら、大丈夫。きっと彼女もさっきのことはなかったように、明日から新しい道を歩くのだろう。 そしてこれで自分もふっきれた。 店を出た直後、呆けたまま手にした携帯で思わず彼に電話をかけそうになった。 コールを1度鳴らしてから、慌てて電源を切ってしまった――おかしく思われていないといいが。 こんなことでいちいち相談していては彼もたまったものじゃないだろう。 明日は土曜、次の日は日曜。月曜を迎える頃には何事も変わりなくやれるはずだ。 まだ少し思い出したら、フリックを誘って呑みにでも行こう。 『君も俺を幸せにはできない』 驚いた。こんなことが言えるのだ。 俺は幸せになりたいのだろうか――マイクロトフは微苦笑を浮かべて一人歩く。 最寄りの駅まであと数分。だけどもう少し歩いてもいい。 雨が降りそうだが、そんなことはどうでも良かった。 ふっきれたけど、やっぱり傷ついた。 *** 先ほどふいに携帯が鳴って、すぐに止まって1時間。 かけ直してくる気配は見られない……。 カミューは痛む頭を押さえて、携帯とのにらめっこを続けていた。 会社に謝りの電話を入れて、開きなおって午後はずっと寝ていた。そのせいか体調は少し楽になったような気がするが、喉の痛みは多少和らいだ程度だ。 明日は土曜だし、このまま週明けまでずっと休んでいれば案外あっさり治るものかもしれない。 そう思ってごろごろと寝こけていたところに突然のコールだ。 (……何だ、この半端なワンコールは……) 見ると着信はマイクロトフ。途端に表情が渋くなったが、少しくらいなら相手をしてやってもいいと思ってその後の動向を待っていた。 ところがそれからどれだけ経っても再び携帯が鳴ることはなく、かけ直すべきかどうかも判断しかねて1時間になった。 時刻はもうすぐ9時になる。まさか眠ってしまったなんてことはないだろう。 急ぎの用事ではないということなのだろうか。なら何故1度だけ鳴らしたのか。 かけ直して欲しいのだろうか? かけ直して欲しくないのだろうか? (ああ、なんでこんなことで悩まなきゃならないんだ……!) 夕べは気分の悪い夢を見た直後だっていうのに。まだ身体だって治っていないのに。 じくじくと脳を蝕む鈍痛は、決して体調不良のせいだけではないはずだ。 カミューは痛む頭を押さえて、携帯とのにらめっこを更に続けた。 とうとう我慢できなくなって、着信履歴を使って通話ボタンを押す。 3度ばかりコールを待って、それから控え目に『もしもし…?』と低い声。 「……もしもし」 とりあえずカミューはそう答えて(喉が焼けるようだ)、マイクロトフの出方を待った。すると向こうも同じように考えていたのか、しばし沈黙が続く。 カミューはため息ひとつ。 「さっき、かけて来ただろ。何か用?」 『……あ、いや……用という訳ではなかったのだ。すまない』 謝られても、と言い返そうとして、彼の言葉の後ろから聴こえて来る景色の音に耳を澄ませた。 「マイクロトフ……今何処にいるんだ?」 『え? いや、ちょっと外に……』 「誰かと一緒?」 『いや、一人だ……』 「……何やってるんだい」 『何をやってるわけでもないのだが……』 ふとぱちぱちと音がして、カミューは部屋の窓辺に寄った。暗闇に雨が降り出したようだった。 「マイクロトフ、雨が降って来たぞ。お前、雨は防げるのか……」 『……ああ、本当だ……降ってきたな』 苛々する。 「降って来たな、じゃないだろ。そこは何処だ?」 『うん……』 苛々して落ち着かなくなる。 「うんじゃない、何処だって聞いてるんだ」 『大丈夫だ、もう少ししたら帰るから……』 ついにカミューは痛む喉をものともせずに怒鳴り声を張り上げた。 電話の向こうのマイクロトフの驚いた顔が容易に浮かぶほどに。 「ごまかすなっ、今何処にいる!」 |
一番ふっきれてないのは私か……。
いい加減展開がしつこいといわれそうで申し訳ないのですが、
やっとこそ次から動きます。
長かったなここまで来るのに……。
ついに30の大台に乗ってしまいました、がくり。