WORKING MAN






「大体な、女性は男に求めることが多過ぎる」
「……うん」
「言わないで理解することなんて無理だと思わないか?」
「……はいはい」
 いつしか相槌のみになったカミューを無視して、すっかりアルコールを体内に取り入れてしまったマイクロトフの口がひっきりなしに動いている。
 まだ発音はしっかりしているが、これで酔い潰れたらどうすればいいのだろう。カミューはますます下降を辿る体調をずっと堪え続けていた。
 いっそのこと潰れてくれれば、カミューも休めたかもしれない。もしくはさっさと満足して、帰ってくれれば良いのだ。
(結果として私が引き留めたみたいなものだしな)
 ――さっき気がついたが、何もここに連れて来ることはなかったんだ。
 カミューはため息をついた。自分の息も疎ましいほどに気分が悪い。
 早く横になりたいのだが、やけに楽しそうに愚痴を続けるマイクロトフを見ていると追い出そうという気にならない。
「一緒にいると疲れることのほうが多いのだ。そう思うだろ、カミュー」
「それはマイクロトフがお子様だからだろ……」
 まさに子供をあやすような口調で(苦痛に耐えているせいなだけかもしれないが)カミューがそう言うと、途端にマイクロトフがきっと目を据わらせた。
「カミューはいつも知ったような口をきくが、俺はそんなに子供じゃないぞ。お前はすぐ俺を馬鹿にする」
 攻撃の鉾先を女性からカミューに変えたマイクロトフにちょっと驚きつつも、カミューはどこか懐かしさを感じていた。
 そうだ、初めて逢った時のマイクロトフが丁度こんな感じだったのだ。
 お酒のおかげで少し饒舌になって、物おじしないでカミューを真直ぐ見返して……だから腹が立って仕方なかった。カミューは何故だかしみじみ思い出す。
(これじゃ今は腹が立ってないみたいじゃないか)
 熱で頭が回らないのかもしれない。いつもの自分ならとっくに追い出しているはずだ。
 そう言い聞かせて、カミューはできるだけ平静を保ってみせた。
「子供っぽいよ、こうやって絡むとこもね」
「なんだと」
「マイクロトフとは経験の数が違うから」
 言葉少なに簡潔に、口を開くのが辛いのにカミューは会話を途切れさせるのを良しとしなかった。
(どうしてだろう)
 放っておけばいいのにできない。
 女にちょっかい出そうなんて思わなければ。
 いや、最初に轢き殺しかけた時、連れてこなければ良かったんだ。
 ――どんどん、どんどんおかしくなる。
「偉そうに言うな。俺だって経験くらいある」
 カミューは顔を上げた。
 自分でも驚くほど呆けた顔だったに違いない。
 その表情にマイクロトフは意表をついたことを素直に喜び、少し照れくさそうに上目遣いになった。
 カミューはしばらく呆然としていたが、やがて不自然な間を誤魔化すように渇いた笑いを漏らす。
「何を自慢げに言うかと思ったら」
「あ、また笑ったな。」
「手をつなぐ程度は経験のうちに入らないんだよ」
「そんなの俺だって分かってる! まさかお前、俺が童貞だと思ってるのか!」
 がん、と頭を殴られた感覚だった。
 ついに頭痛まで始まったのか、と認識するにはずっと直接的で一瞬の痛みだった。
 カミューは頭にそっと触れた。――何かぶつかったのではないか。
「変な顔してるな。やっぱ童貞だと思ってたな」
「……、だって、結婚するまでは誠実な関係でいたいって……言ってたじゃないか」
(何言ってるんだ私は)
 誰がどう性体験をしていようと関係ないし、興味もないだろう?
 頭が分裂したようだった。いろいろな声が聞こえる。じっとりうなじに脂汗が滲んでいるが、マイクロトフは気づいていない。
 ああ、どうにかなってしまうんじゃないだろうか。
 頭を抱えて蹲ってしまいたかった。しかしそんなカミューの目の前のマイクロトフは、得意げに話を続けるのだ。
「俺だってそう思っているが、あの時は……事故みたいなものだったのだ」
「事故って?」
 よせばいいのに相槌は即座に入る。マイクロトフは酔っているせいでカミューの呼吸の荒さに気づいていない。
「高校生の時……近所に住んでいた年上の女性に」
「声をかけられてそのまま?」
「何で分かるんだ……って、どうして怒ってるんだ」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってない」
 ――何故私が腹を立てなきゃならない……
 今時笑ってしまうほど単純で真直ぐで、頭が固くてドジで要領が悪くて。
 だから純粋で他の人間とは違う生き物だと、勝手にそう思っていたから?
 そんな男でも欲に溺れたことがあるという事実に腹が立つのか。
 いいや、これは単純な動揺だ。
 自分の知らない彼の姿に動揺したのだ。
 自分の造り上げたマイクロトフというイメージに、外れたものがあるのが許せないのだ。
 彼の事を何も知らない癖に?
(――いや、それも違う!)
 誰かが頭の中で怒鳴り声を張り上げた。
 割れそうだ――



 お前は嫉妬してるんだよ。

 だれに?



 そのきょとんと半開きなままの膨らんだ口唇を、アルコールが染みて少し湿った辛い口唇を、


 ……その口唇は酷く甘かった。








長かった……。