「勝手に入ってすまなかった」 そう言って再びカミューが潜っている寝室に現れた彼の手には、温かな湯気を立てたおかゆが乗っていた。 『悪いとは思ったが、様子がおかしかったから……合鍵はすぐ返すつもりだった。だがいつも忘れてしまって……本当にすまない』 マイクロトフは真面目な顔で昔の女から預かった鍵を差し出した。 ストレートに頭を下げられると逆に責めることなんてできないものだ。 大体マイクロトフが来なかったら今頃どうなっていたか分からない。途中から完全に意識がなくなっていたのだ。 そして目が覚めたら。 (夢見は最悪だ) 腰から下をベッドに突っ込んだまま、カミューはおかゆを空にした。 まだ全身が怠くて頭も重かったが、昨日と違って不思議と食欲があった。食い気の訪れは体調が良好に向かっている証拠だろう。 それもそのはず、適当な格好でベッドに倒れてから一晩にして完全な病人対応のセッティングが整っていた。 着替えは完了、氷も用意され、目が覚めたら胃に優しいおかゆ。 (変なとこマメな奴だよな) そのくせ抜けてる。 まさか合鍵を預かってるなんて思わなかった。不法侵入されたのだ。 でも怒る気にはなれない。 自分は呆れているのだろうか。それとも目覚めが悪かったせいでタイミングを逃しただけだろうか。 いや、まだ熱があるからだ――カミューは頭をぐしゃぐしゃと掻き毟った。 でなければあんなこと言うはずがないのだ。 当の本人は晴れ晴れとした顔で帰っていった。自分と同じシャンプーの香りを靡かせて。 ――渡すのが遅くなってすまなかった。 これで確かに返すから。預かっていた鍵。 ――……いや ――え? ――いいよ、持ってて。 ――しかし…… ――今看病に来てくれる人もいないから。まだ体も本調子じゃないし。 『もうしばらく預かってくれてていいよ。また中でのたれ死にかけるのはごめんだから』 彼は答える代わりに笑った。苦笑いにも見えた。 どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。 *** 夢を見る。 今日も夢を見る。 相変わらず最悪の目覚めでベッドから身体を起こしたカミュー、その表情はすこぶる冴えない。 体調はおおかた治った。熱はあれから二日で完全に引き、咳も喉の痛みも今では消えている。 しかし圧倒的な全身の重さが根強く残っていた。 風邪のせいじゃない。カミューはそれに気付かないフリを続けていた。 身体が怠く胸が苦しい。イライラして落ち着かない。 思ってもいないことを口走り、毎晩同じ夢を見る。 あれから一週間。 マイクロトフは職場で一息つこうと、椅子に座ったまま上半身を伸ばした。 カミューの鍵を預かって、とりあえずその翌日も様子を見に行った。大分身体が治っていたとはいえ、放っておいたら悪化するに決まってる。ロクな食事はしないし――マイクロトフはその日のことを思い出した。 大事を取ってもう一日休みをもらったらしいカミューは、顔色は良くなっていたがまだ微熱があった。 前日作ったおかゆの残りを確認し、ついでに味噌汁も作ってやった。カミューはにこりともしなかったが口調は嬉しそうだった。 口元でぶつぶつ言いながらも追い出そうとしないカミューがなぜだか可愛らしく見えた。 (きっと病気で心細くなったんだな) 鍵をそのまま持ってろと言われるとは思わなかったが、本調子になるまでは預かっていていいのかもしれない。またあんなふうに倒れられては様子を見に行くことも鍵なしでは難しい。 今のところ様子を見に行ったのが2回、電話を数回。あれから鍵はまだ使われてはいないが、一応、というタテマエの元にもうしばらく手放す気はない。 ――なんだか嬉しいんだ。 カミューに頼られているようで。 |
これが合鍵をここまで引っ張った理由でした……。
道理で不自然にマイクがぼけるわけだよ、と思って下さったでしょうか。
ようやくオフライン本のBABY ACTIONへ2度目のリンクが近付きました。
読んで下さった方は「ああ、もうすぐあの辺りね」と思っていただければ。
こんな様子で赤がへたれていたわけです。