WORKING MAN





「あのバカ…」
 カミューは1人きりになった部屋の中でポツリと呟いた。
 すでに陽は昇っており、電車も動き出している時間である。
 カミューの手の中には地味な黒のパスケース。中には御丁寧に電車の定期が入っている。
 思い起こす事、数十分前。


 騒々しい声で目を覚ました。
 誰かが1人で何か喋っている。気怠い目を開けて見ると、見知らぬ青年-----いや夕べ最悪な対面をした例の男だが、彼が携帯電話相手に朝っぱらから大声で会話していたのだ。
 夜中呑み続けた上に朝の弱いカミューは、早速不機嫌になった。
 カミューが起き出してきたのと同時に携帯を切ったマイクロトフは、当たり前のような顔で「おはよう」と声をかけた。
「…おはよう…。」
 地の底から響くような声を出してみたが、マイクロトフはけろりとして身の回りの支度を整えている。
「世話になったな。会社もあるからそろそろ出て行こうと思ったところだ」
「そうかい…それは有り難い」
「それからお前、普段何を食っているんだ? あの冷蔵庫酒しか入ってないぞ」
「余計なお世話だよ…人の家の冷蔵庫勝手に開けないでくれるかい…?」
 ふ、と不思議な匂いにカミューはキッチンを振り返る。
「材料が少なかったからロクなものは作れなかったが、とりあえず宿代の代わりだ。」
 一通り用意された朝食に、カミューはへえーと物珍し気に覗き込む。
「意外に器用なんだな」
「味は保障しないぞ」
 マイクロトフはそう言って少し表情を和らげた。
 お、とカミューは笑うと案外子供っぽくなる青年に目を止めた。夕べは仏頂面しか拝めていなかったので尚更である。
「それから悪いと思ったんだが、シャワーも借りさせてもらった」
「…シャワー…」
 本当だ、確かにこの男の髪から自分と同じ香りがする。カミューは思わず顔を顰めた。
 ちょっと気味が悪くなったが、使ってしまったものは仕方がない。
「…まあ、いいけどね…。…君、北区に住んでるのか?」
「ああそうだが…って、おいこら!」
 マイクロトフの鞄の外ポケットから、勝手にパスケースを抜き出して駅の名前を確認しているカミューに、マイクロトフが慌てて取り上げようとする。
「何だよいいだろう? 今時好きな女の写真が入ってるわけでもないだろうに」
 その言葉にマイクロトフがぴたっと動きを止めた。
 数秒置いて真っ赤になる彼を見て、カミューは心底呆然とする。
「まさか…本当に…」
 なんてレトロな人間だ。こうなるともう稀少価値だ。
「ま、まあいいけどね。100人に1人くらいそういうのがいても」
「うるさい…」
「それより時間、いいのかい?」
「ああっ!」
 壁にかかっているデザイン重視の時計を見やって、マイクロトフは真っ青になった。
 鞄を乱暴に掴み玄関に走って、昨夜カミューが適当に脱がせて散らかったままの靴に足を押し込む。
「では世話になった!」
 それだけ残すと彼は怒濤のようにドアを開け、その向こうに消えて行った。
「世話って…、あいつ昨日のいきさつ忘れたのか…?」
 台風の去った後で思わず呟いたカミューは、ふと、自分の手の中にあるパスケースに気付いた。
 慌ててドアを開けて見渡すが、すでにマイクロトフの姿はない。


「…おいおい…」
 これ、取り返しにくるかな。
 できれば二度と会いたくなかったのだが…
 定期の日付けを見ると期限は4日後。これくらいなら諦めて新しいものを買い直すかもしれない。
 そうだといいなあと思いつつ居間へ戻ると、テーブルの上に見慣れない黒い塊があった。
 シンプルなスタイルの携帯電話。
「…バカか本当に…!」
 カミューは確実にもう一度会わねばならない青年を思ってがっくり肩を落とす。
 そういえば、と再び定期を見直し、
「…マイクロトフ…か」
 一晩中一緒にいながら名前すらも知らないままだった。
 このままキレイにいなくなってくれればそれで構わなかったというのに…。
 そして悪戯心から、ちらりとパスケースの更に中を覗いてみる。
 現れた写真は御丁寧にケースよりひと回り小さいサイズにカットされていて、彼の性格から妙に納得してしまった。
「ふうん…こういうタイプねえ…」
 映っている女性は大人しそうで素朴な美人だ。
 このタイプに浮気されたとあっては、世程酷かったのだろう、彼の鈍感さとは。
「ま、私の好みじゃないけどね。」
 カミューはそう言って元通りに写真をしまっておいた。





ようやくカミューさんがマイクの名前を確認しました。
それにしてもカミューさんは手癖も悪いようです。
マイクはマイクでボケすぎです。
この人たちって進展あるのかしら…
(一応赤青のはずだが…)