「お前、また何かあったのか?」 眉間に皺を寄せてストレートに尋ねたフリックに、マイクロトフはぐっと言葉に詰まる。 「べ、別に」 「嘘つけ。なら何で毎日飲みに誘うんだ」 相変わらず真直ぐ自宅に帰るのが嫌で、今日もさりげなくフリックを誘ったつもりだった。そう思っていたのはマイクロトフ本人だけで、不自然さはありありと現れていたらしい。それまで誘われなければ寄り道をするなんて行動を取らなかったマイクロトフなのだから、当たり前なのだけれど。 「女のことならあんまり力にはなれないが、相談には乗るぞ」 「い、いや……本当に何も」 男の相談なんて口が裂けてもできない――。マイクロトフは申し訳無さそうに上目遣いでフリックを見た。 このリアリストの友人には到底理解できるまい。 自分だって理解と言う点では怪しいのだから……。 「……、あんまりいろんなこと溜め込むなよ。まあいいや、今日は何もないからつきあうよ」 「すまん、フリック」 「いいよ。前から行こうって言ってなかなか連れてけなかったとこ連れてってやるよ。」 マイクロトフはフリックの心遣いに感謝した。この友人は他人に対してお人好しすぎるところがある。そこがマイクロトフは友として誇りなのだが、そのせいでフリック自身が様々な不幸を呼んでいることは本人もマイクロトフもあまり分かってはいないようだ。 フリックに連れられ、マイクロトフは見知らぬ道に少し安心していた。初めて見る景色は、視角からマイクロトフの心を奪う。ややこしいことを考えずに済む。 「社員旅行のバスがさ、なかなか捕まらなくて。この時期はどこもいっぱいだって言われちまってさ」 フリックはため息をつきながらヤケ酒のようにグラスを煽る。いつもの彼の愚痴はマイクロトフも聞き慣れているので、特別に扱うことなくそうかと相槌を打つ。 「大体面倒なことは全部俺に押し付けてよ、あいつら注文だけうるさいんだもんな」 「バスが取れなくても仕方ないだろう、俺は歩いても平気だが」 「そう言ってくれるのは残念なことにお前だけだと思うぜ、マイクロトフ……。」 確かに、と社内メンバーの顔を想像してマイクロトフは苦笑した。 フリックはグラスの残りを一気に流し込み、新しく注文をする。マイクロトフは先ほどからスローペースでアルコールを舐めていた。 別に酔いたい訳ではないのだ。少し一人になる時間を伸ばしたいだけで…… ふと、フリックが妙な顔をしてマイクロトフを見た。何だ、と言おうとして、マイクロトフは自分の傍に影が落ちたことに気付く。 振り向くと、すぐ隣に女性が立っていた。 「――……あ」 間の抜けた声で女性をしげしげと見つめてしまい、彼女は無遠慮にマイクロトフをじろりと睨みつけた。 何故かどっと冷や汗が吹き出して、マイクロトフは困ったようにフリックを見てしまった。フリックは不思議そうにマイクロトフに『誰だ?』と視線で尋ねてくる。 誰だ、と言われるとマイクロトフも答えるのが難しい。 カミューと親しく(この表現は微妙だと分かっているが)なるきっかけを作ってくれた、カミューの元の恋人。名前すら知らない女性なのだ。 「久しぶりね」 「あ、は、はい……」 「何で敬語な訳?」 「あ、いえ、別に……」 今は会いたくない人だった。マイクロトフは助けを求めるようにもう一度フリックを見ようとしたが、彼女が先にフリックを横目で捕らえる。 フリックはびくっと硬直すると、反射的だったのか席から立ち上がってしまった。所在を自分から失って、フリックは狼狽えながら椅子を引いた。 「ちょ、ちょっと便所行ってくるよ」 「フリック……」 マイクロトフの懇願するような眼差しを避けるように逃げるように、フリックはそそくさとその場からいなくなった。 フリックがいなくなると、彼女は開いた席にどんと腰を降ろす。マイクロトフは観念した。 「元気そうね」 「はあ」 「あれからどうなの?」 「どう……とは」 「決まってるでしょ。」 取り出した煙草を咥えてしまった彼女はその後の言葉を省略したが、寧ろはっきり言ってくれたほうが……とマイクロトフは複雑な表情を浮かべた。その顔を悪い方に受け取ったのか、彼女も複雑の色を見せる。 「何よ、やっぱりダメだったの? あの人」 「い、いえ……駄目という訳では」 「じゃあ何よ、はっきり言いなさいよ」 「その……、友達になりました」 彼女の目が訝し気に歪む。悪いことをしているわけでもないのに、マイクロトフの身体が小さくなる。 「友達って……」 「……友達です」 「あの人が同意したの?」 「まあ、一応……」 「今日から友達です、って?」 「そんな感じです」 呆れた彼女の口からは言葉ではなく煙が漏れていた。 「……ほんとにケーキ買っていったの?」 「え、は、はい」 「それでどういうふうにオトモダチまで持っていったのよ」 威圧的な女性の態度は、マイクロトフをしどろもどろにさせるのに充分だった。 途切れ途切れにどもりながら、簡単に事の経緯を話し始める。マイクロトフはなるべく余計なことは言わないつもりで話していたが、彼女の表情からしてその試みは失敗だったと言えるかもしれない。 「じゃあ、あの人と電話のやり取りとかしてたりするわけ?」 電話。単語にどきりとする。――マイクロトフは一瞬言葉に詰まりつつ、頷いた。 「あの人が男に電話ねえ……」 彼女が呟いた瞬間だった。胸ポケットに入れていた携帯が震え出したのだ。 マイクロトフは慌てて携帯を取り出し、その着信画面を見て眉を垂らした。そして思わず彼女を見てしまう。 「……何? ひょっとして」 「……」 「カミューから?」 頷かずとも、マイクロトフの態度は雄弁だった。 困っていると、彼女は「出なさいよ」とマイクロトフを促す。マイクロトフは仕方なく携帯を耳に当てた。 しばしの沈黙の後、焦ったような声が返ってくる。 『も、もしも、し』 「……もしもし?」 やはりカミューだ。彼女に目で合図をしてみせた。 彼女とは言えば、驚きが勝って(笑)を堪えているようだった。そんな態度を取られるとますます困ってしまう――マイクロトフは動揺を気づかれないように声を押さえた。 『元気?』 昨日会ったばかりなのに、カミューはおかしなことを聞いてくる。でも声には出さないように。 「ああ……。元気だ」 その返答に彼女がぶっと吹き出した。カミューに聞こえないように、マイクロトフは携帯を少し手のひらで覆う。 『昨日、ちゃんと帰れたかなって……』 「あそこからすぐ近くだから大丈夫だ。5分もかからなかったぞ」 彼女はとうとう声を立てて笑い始めた。堪えきれなかった堰が溢れたようで、お腹を抱えて笑っている。 少し静かにしてもらおうとマイクロトフが身ぶりで伝えようとした時、 ……ツ――……ツー…… 「あれ?」 着信画面を見る。通話が切れている。 間違ってどこか押してしまった訳ではない。カミューがうっかり電源を押してしまったのだろうかとしばらく様子を伺ってみたが、まるきり反応がなかった。 「あはははは、初めて見たわ! あの人が男に電話するの!」 「少し静かにして下さい、声が聞こえなかったんです」 「しょうがないじゃないの、こんなおかしいこと滅多にないわ」 彼女は目元にうっすら浮かんだ涙を拭き取り、すっと立ち上がった。マイクロトフは糸のついた人形のようにその動きを顔ごと追う。 「楽しかったわ。あの人も元気そうだし、あんたも変わらず面白いし、もう充分よ」 「あ……あの」 「もう何処で会っても声をかけないわ。バイバイ」 颯爽と通り抜けた彼女にそれ以上声をつなげることができなかった。 ……彼女はカミューのことを心配していたのかもしれない。 マイクロトフは何故か旨が苦しくなって、熱の冷めてきた携帯電話を握りしめる。 切られた電話。 様子を見計らっていたらしいフリックが戻ってくるまで、マイクロトフは噛んだ口唇をそのままにしていた。 |
カミューが電話をする前のマイク。
どうも私はオリキャラに名前をつけるのが苦手です。
某兄と同じく不自然ですが見ないフリ……。
社員旅行の顛末は限定SSの通りです。
フリックが不幸なのはどの話も一緒……。