WORKING MAN





「お前の知り合いか?」
 戻ってきたフリックは、思いきり訝し気な表情をしてすでにいなくなった彼女の残像を目で追っていたようだった。マイクロトフは答えに迷ったが、間違いではないので一応頷く。
「何か迫力あるねーちゃんだったなあ……」
 この言葉には強く頭を縦に振って。
 それから座り直したフリックとほんの少しだけ飲みを再開したが、どうも調子が狂ってしまい、二人はそれで解散することにした。
「すまん、フリック。また今度ゆっくり……」
「ああ、今度こそな」
 実感のこもった台詞に謝るというよりは苦笑してしまったが、友人の気遣いに感謝しながらマイクロトフは帰路についた。

 それにしても、先ほどの電話は何だったのだろう。
 そんなことを考えながら、自分のアパートがもう目の前というところまで来た時、マイクロトフは予期しなかったものを見つけてぎょっとした。
 アパートの傍に車が停まっている。――派手な赤のボディ。
(……まさか)
 そんな馬鹿な、という声と、ああやっぱり、という声のふたつが頭に囁きかける。
 もうひとつ、ただの似た車であってほしいという願いも存在していたのだが、アパートの階段を上って自分の部屋の前まで来た時、昨日会ったばかりの男の姿を認めて願いなど一瞬で掻き消されてしまった。
 微かに開いた口唇が「どうやって……」と動く。
 それを察知したのか、不機嫌な顔でマイクロトフの部屋の前に居座っていたカミューは疑問に答えてみせた。まるで恨み言を呟くように。
「昨日この近くまで送ってきたからね。この辺りのアパートを大体探せば律儀なお前の部屋なんかすぐ分かる」
 カミューは部屋のドアの横に掲げられた表札を指差す。周りの部屋にほとんど表札が見られない中、マイクロトフは御丁寧に自分の名前をドアの外に出していた。
「いや、そうではなくて……」
 マイクロトフは狼狽しながらカミューに尋ねようとする。
「そうじゃない? 私は自力で探したぞ、昨日後をつけたりなんかしていない!」
「そうじゃない、何でここにいるんだ?」
「だから表札を……」
「違う、ここにいる理由だ。“どうして”、ここにいるんだ?」
 カミューははっとした。
 まるで呆れたようにカミューを見ているマイクロトフに、カミューも顔を曇らせる。
「別に……、お前が来てくれたことは構わないんだが。さっきの電話は何だったのだ?」
 少し会話を通じさせようとマイクロトフが持ち出した話題だが、その途端カミューがまた不機嫌な顔になった。
「そのせいだ! だから私がここまで来るハメになったんじゃないか!」
「だ、だから?」
「誰か女がいただろう」
 マイクロトフの目がぎくりと揺らめいた。それを見逃さなかったらしいカミューの目はさらに影を深くする。
「やっぱり女がいたんだな」
「そ、そんな、言い方が悪いぞ」
 まさかカミューの元恋人がいたのだとも言えず、マイクロトフは何故こんなにカミューが怒っているのか分からないまま必死で言い訳をしようとする。
 カミューは聞く耳を持たないようで、マイクロトフが彼をなだめようとすればするほどそれが空回りしていくのがありありと分かった。
「この前彼女と別れたばかりのくせに! 結婚までは清い交際を、なんて言ってたのは誰だ!」
「ちょ、ちょっと待て! 何だか話がずれてるぞ! 大体彼女は偶然あっただけで、俺とは何の関係も……」
 そこでマイクロトフは口を閉じる。
 ついカミューに釣られて大声を出してしまったが、ここは仮にも集合アパートの玄関前――こんな時間に、近所迷惑この上ない。
 決断を渋ったが、仕方なく鞄から鍵を取り出して目の前のドアに差し込んだ。横目でカミューを見ながら、入れと合図をする。よく分からないが、カミューが怒っているならその理由を聞こうと思ったのだ。外でぎゃーぎゃーと騒ぎ合うよりは座って話した方が落ち着くだろう。
 ところがカミューは困ったような怒ったような複雑な表情を浮かべて、どうにも中に入ろうとしない。
「カミュー? 入らないのか」
「い、いや……、今日は、いいよ」
 マイクロトフはぽかんと口を開けた。
 この男は何を言ってるんだろう? ――自分から尋ねてきて、何事か怒鳴り散らした挙げ句部屋に入るのは嫌だと言う。
「何言ってるんだ? 俺に言いたいことがあるんだろう、話なら中で聞く」
「な、中はいい」
「そりゃ、俺の部屋はお前のところのように広くはないが……」
「広さを言ってるんじゃない。……今日は、もう帰る」
 くるりと背中を向けたカミューに、思わずマイクロトフはその後を追う。慌ててカミューの腕を掴むと、彼はぎょっとした顔で振り返った。
「カミュー! 何だと言うんだ、どうして怒ってるんだ?」
「お、怒ってるわけじゃ……」
「怒ってるだろう。俺が女性といたのは何か問題があるのか?」
「も、もういいんだ、気が済んだから」
「俺の気は済んでいないぞ!」
 カミューは言葉に詰まり、宙を泳いでいる目が意図的にマイクロトフから逸れた。
 今度はマイクロトフが食い下がる番だった。
「カミュー、俺に言いたいことがあるんだろう? さっきの電話は何だったんだ? どうしてここまで来た?」
「ど、どうしてと言われても……」
「どうしてだ」
 カミューは恐る恐るといったふうにマイクロトフを見る。目を見て、何故かごくりと生唾を飲んだのが分かった。マイクロトフも息を殺してカミューの反応を待った。
 開け放されたままのマイクロトフの部屋のドア、不思議な時間が流れた。カミューはぎこちなく口唇を開き、引っ掛かったように言葉を落とす。
「それは……私が」
「カミューが?」
「お前を」
「俺を?」
「……、――……」
「……」
「……、……、……」
 その時、マイクロトフは我が目を疑った。
 カミューの首が徐々に赤く染まって行くのだ。赤は首を上って行き、耳を染めて顔に到達しようという頃、カミューはマイクロトフの腕を振り解いて走り出した。
「か、カミュー!」
「また電話する!」
 カミューはこちらを振り返らず、足音けたたましく階段を駆け降りていった。それから少しして車のエンジン音が耳に届き、急激に加速した赤の車体が曲り角に消えていくのを確かめるのがやっとだった。
 残されたマイクロトフは、ただ呆然としているしかなかった。
 彼の言い分はひとつも分からなかった。それはもう驚く程に訳の分からないことをまくしたて、そのままいなくなってしまった。
 マイクロトフは困ったが、それでもまあいいか、という思いがあるのも確かだった。
 カミューは電話をすると言った。なら、それを待てばいいのだろう。
 そしてカミューに尋ねれば良いのだ。

『あの言葉の続きは?』



 それが引き金。






ああもう話ぐちゃぐちゃ……。
書きたいことの近くを掠ったような感じでいらいら……。
本にする時まとめようーと自分の首を締めてみる……(笑)