一度呼吸を整えて、気持ちを落ち着けるフリをして、そうしてチャイムに指を当てる。 ぐっと押し込むとドアの向こうへ響く音が微かに聴こえて来た。 集合玄関の呼び鈴とは音が違う。カミューもこれで気付いただろう。 マイクロトフはしばらく反応を待ち、頃合いを見てもう一度チャイムを押した。 次に間が空けば合鍵を使おうと本気で考えていた。鍵を握りしめる手に力を込めた時、ドア一枚隔てた部屋の中から物音を感じた。 決して薄くはないドアを通して音が聴こえると言うことはカミューはこのドアのすぐ前に来ているのだ。小さなガラスの覗き穴からこちらを見ているかもしれないのだ――マイクロトフはそのつもりで、姿勢を正した。 やがて、ドアが静かに静かに、ゆっくりと開いた。……チェーンはついたままだったが。 「カミュー」 マイクロトフは少し安心して思わず声を漏らす。 「……何しに来たんだ。来るなって言ったろう」 「話し合いにきたんだ。ちゃんとお前の話を聞きたい」 「話すことはあれで終わりだよ。もうやめるって言っただろう、頼むから私を苦しめないでくれ」 「苦しめる? それなら尚更だ。俺だっていろいろ……」 「……何?」 マイクロトフははっと口を噤む。やや気不味気に一度ドアの隙間から目を逸らしたが、すぐに表情を元に戻した。 「とにかく、帰ってくれ」 閉じかかるドアに、マイクロトフは開き直りとも取れる態度を取り始めた。 「……では入れてくれるまでここにいる」 「……勝手にすればいいだろう」 「動かないからな」 そう言うとマイクロトフは本当にその場に座り込み始めた。 いつかカミューの部屋の前で部屋の主が戻ってくるのを待っていた時とは裏腹に、堂々と腰を降ろしてまるで切腹を覚悟した武士のようでもあった。 その様子を小さな穴から覗いていたのか、閉じようとしたドアがほんの少しの隙間を残して動きを止めた。 お互いにとって長かったのか短かったのか分からないが、しばらく時間が経った後、ため息と共にチェーンが外される音をマイクロトフは聞いた。 顔を上げると、ふてくされたような表情のカミューがそこにいた。髪が少し乱れて疲れて見えたが、マイクロトフは立ち上がって笑顔を見せる。 「カミュー、……有難う」 「言っとくけど、私は話すことなんか何もないよ」 「いいんだ、俺が勝手に話す」 「……入れよ」 突き放すようなカミューの口調が少し震えていた。怒りのためか何なのか分からないが、カミューの後に続いて部屋の中に入ったマイクロトフの背中でドアが閉まる音、その瞬間カミューの肩がびくりと震えるのを確かに見た。 進められたソファにマイクロトフは腰を降ろし、そこから随分離れたところに同じく腰を降ろすカミューに首を傾げた。 「どうしてそんなに離れるんだ?」 「このほうがいいんだよ。お前のためにも」 「?」 とにかく、と一度座りかけたカミューは再び腰を上げ、そしてそのまま動きを止めた。 「……酒以外ろくなものがないから、何も出せないけど」 「いや、いい。気を使わないでくれ」 「……」 カミューはもう一度座り直す。落ち着かない様子なのは気のせいではないだろう。 そんなカミューをマイクロトフは少し細めた目で見ながら、しっかりした口調で話し始める。 「……カミュー、それで話と言うのは……」 「さっき電話で言ったままだ、もう話すことは……」 「それもあるが、もうひとつあるんだ。」 カミューが訝し気にマイクロトフに首を向けた。 「前、俺の部屋に来た時に何か言いかけただろう。」 その言葉が終わるか終わらないか、カミューは突然咽せ始めた。 「……大丈夫か?」 「そ、そんな……私は何も言いかけてなんか……」 「いや、言いかけた。『私が、お前を』の後だ」 「そこまで覚えてるなよ!」 咄嗟にカミューは怒鳴るように声を大きくしたが、すぐに気まずそうに視線を泳がせる。 マイクロトフはじっとカミューの言葉を待っていた。 「それは……、何でもないんだ、言葉を間違えた」 「何の言葉と間違えたんだ?」 「――何でもいいだろう。もう忘れた、何て言いたかったか……」 「思い出してくれ。……ずっと気になってたんだ」 カミューは思わず引きずられるようにマイクロトフを見て、そこでごくりと唾を飲み込んだ。喉が上下して、それから大きく息を吐き出して、その目線を落としてカミューは項垂れるように頭を下げた。 「……あのさ、マイクロトフ。正直に言うよ。私はお前が苦手で、……嫌いだったよ。一緒にいると苛々してしょうがなかった」 「……うん」 「でも、最近はそうでもなかったんだ。毒気を抜かれた感じで、どんどん平気になっていったんだ……」 「うん」 「……それで」 「それで?」 「……」 「……」 「……それで、終わりだ」 「訳が分からないぞ」 「放っといてくれよ! とにかく私の話はここまでだ」 そっぽを向くカミューに、マイクロトフは少し考えるそぶりを見せた。 天井を見て、床を見て、困ったような複雑な顔の後、ふうっとため息のような深呼吸をして立ち上がり、その気配に怯えたようなカミューの前まで歩いて行く。 「カミュー……」 「な、……何」 座ったままのカミューを見下ろすように、マイクロトフの表情は不安げにゆらゆら揺れて、そのマイクロトフを見上げるカミューにもそれが移ったように、彼もまた不安そうに息を飲んだ。 「カミュー、……カミュー、俺の事が好きなのか?」 「なっ……」 その瞬間、段階すら飛び越えてカミューの顔が朱に染まった。耳の先まで熱を持ったように赤が走った様を見て、マイクロトフは目を丸くし、……それから肩の力を抜いて、ふいに笑った。 「なんだ、そうなのか。……もっと早く聞けばよかった、……そうか……」 カミューが目を丸くする番だった。 何か言おうとするが声が出ない。喉を両手で絞められたように呼吸すらうまく出来なくて、なのに目の前のあっけらかんとした想い人の様子に頭をぶん殴られたようなショックを受けて。 『好きなのか?』 ――そんな、そんな簡単に。 この狂いそうな時間がたった一言で…… カミューの頭の中で何かが切れた。 |
不自然に二人の視点が混ざった文も、
本にする時わければいいやとか思い始めた……(笑)