WORKING MAN





「か、カミュー……」
 一歩下がる。
「何」
 一歩近付く。
 今まで血走って濁っていたカミューの目は、いつしかその奥に確かに意志を持つ光を覗かせていた。
 マイクロトフは頭が危機を訴えるのを感じていたが、彼の異様な迫力に圧倒されてその後の行動が伴わない。
 更に一歩下がった時、足にソファの角が当たった。少しバランスを崩してソファに手をつく。見上げたカミューの影を背負った禍々しい雰囲気に、思わず乾いた口唇を舐める。
 目がマズイ――マイクロトフは慌てて叫んだ。
「か、カミュー!」
「何」
「確かめるって……何を」
「……」
 カミューはすぐには答えず、ソファに当たっている腕と腰で身体のバランスを必死に堪えているマイクロトフに今一歩近付いた。
「……お前も分からないんだろ、丁度いいじゃないか」
「だから何が……」
「私は今でも男相手にこんなふうになるなんて納得がいかないし認めたくないんだ。だから、どこまで身体が要求するのか確かめるんだよ」
「よ、要求?」
「夢の中では●●●や×××や△△△にさえも興奮したが、生身の身体でも本当にそうなるのか……」
「な、生々しいことを言うな!」
 マイクロトフはカミューが真顔で呟く単語に両耳から湯気でも吹きそうな勢いで怒鳴った。
 しかしカミューは真剣そのもので顔色ひとつ変えず、更にマイクロトフに近付いた――ソファにかけているマイクロトフの手にがしっと自分の手を重ねると、顔をぐいと寄せる。
「いいか、駄目だと思ったら私を殴ってでも引き剥がせ。私が駄目だと思ったらそれはそれでいい。はっきりさせようじゃないか」
「お、おい……」
「いいな、駄目だったら力ずくでとめろよ。……でないと何するか保証しない」
 カミューの最後の言葉は荒く吐き出した息に混じり、マイクロトフも今まで呼吸を忘れていたかのように不器用に息をついた。
 近付くカミューの顔に、反射的にマイクロトフは腰を引く。重さの均衡が崩れてベッドに背中をついたマイクロトフは、相変わらず表情の変わらないカミューがベッドに膝をかけるのを見た。咄嗟に右手を突っ張って上半身を起こすが、カミューの腕は力を入れた右の肩をぐっと掴む。
 関節からかくりと折れてしまいそうだったが、不自然な体勢のままマイクロトフは耐えた。ここで転がってしまったら取り返しのつかない結果になるような気がしたのだ。
 カミューはそのままマイクロトフの肩口に顔を寄せ、首の辺りに彼の息がかかる。耳を掠った空気の流れにぞくりとマイクロトフは首を竦ませた。
(駄目だったらとめろと言われても……!)
 何がどう駄目だと判断すればいいのだ――マイクロトフはぐっと目を瞑って意識が回転するのを感じ、いけないと目を開く。
 駄目だと思わなかったらどうすればいいのだ。もしとめなかったらどこまでいってしまうのか――
 少し考えて身震いがした。……自分は立場的にとてもマズイほうにいるのではないか。
 確かにカミューが自分を好きだと言っても不快な感じはしなかったし、自分で言ったように寧ろ嬉しいと思ったものだが、それがここまで果たして繋がっているのだろうか。大体キスが嫌じゃなかったとしてもこの国の外では挨拶代わりに口づけを交わす人間が星の数程いる。役者だって映画の中で恋人以外の相手と口唇を重ねるではないか――
(だが俺は役者ではない!)
 おまけにアドリブもきかない鈍感男だ。
 カミューの息がやたら荒い。女性を口説くんだったらこんな餓えた獣のようなにじり寄り方はしないだろうに、可哀想にマイクロトフにさえ分かる程今の彼には余裕がない。
 ――駄目だったら力ずくで――
 カミューの言葉は本当なのだ、とマイクロトフは息を飲んだ。“これ”は多少のことでは剥がれないだろう……
「うあっ」
 背中をふいに弄られて、間の抜けた声が漏れる。肩甲骨の辺りはくすぐったくて弱いのだ。
 両肩が跳ね上がると共に、カミューが首に口唇を寄せたのが分かった。頭に血が昇る。
「か、カミュー……っ」
「……もうここで駄目か……?」
 恨みがましいカミューの声には何かの念がこもっているようだった。昇った血が一気に引いたマイクロトフは、迫力に呑まれてつい首を横に振る。ぎょろりとそれを確認したカミューの目は、また伏せられてマイクロトフの首から下に落ちた。
 呪い殺されそうだ……マイクロトフはこの展開に導いた自分の言動を後悔しつつあった。彼にこうされるのが嫌だと言うよりは、人に非ずといったカミューが恐ろしくてならない。
 彼の口唇と共にざらりとした顎の感触が首の肌をなぞって行く。まるで猫の舌が這っているようだ……マイクロトフは実家の隣の家で飼っている人懐っこいポチという猫のことを思い出した。
 そう言えばポチもカミューのような亜麻色の毛をしていた。何故猫なのにポチという名前なのか……大体犬はポチ、猫はタマという名前の基準はいつ誰が決めたのだろう。自分としては猫といえばミケのほうがすぐに思い付くのだが、三毛猫ではないとこの名前は認められないものなのか……
 目の前の大きな猫がシャツのボタンをひとつ外しにかかったことに気づき、マイクロトフはどうでも良い考えを頭から飛ばした。覗いた鎖骨は力の入った両肩のせいでくっきり窪みを作っている。カミューはその盛り上がった骨の形にちゅ、と口唇を当ててから噛み付いた。
「わうっ」
 マイクロトフはまたおかしな声を上げた。
 そう言えば初めての時も年上の女性にほとんどいいようにされてしまった記憶が蘇ってきた。あの時も自分はほぼ何もできなかったのだが、彼女の時とは微妙に感触が違う……何と言うか、柔らかさが足りないと言うかごつごつしてるというか男臭いというか妖気を感じるというか……
「ひあっ」
「……」
「むうっ」
「……あまり色気のない声を出さないでくれ……萎えるだろう」
「そ、それならそれでいいと言ったのはお前だろう!」
「ところがどっこいちっとも萎えやしないんだ。ああもう情けないのを通り越して可笑しくなってきたよ。」
 引きつった無気味な笑いを上目遣いでマイクロトフに見せ、カミューはまたひとつシャツのボタンに手をかける。





半端なところでとめた……。
でもようやくギャグらしくなってきてちょっとほっとしてます……(笑)