WORKING MAN





 この場合の受け入れるとは何だろう。
 マイクロトフは真剣に考えた。







「あっ……と」
 マイクロトフは小さな声を上げ、それからそっと辺りを見渡す。
 周りの社員達は特に気にした様子などなく、マイクロトフはふうとパソコンのモニタに向き直る。
 何の事はない、ただのタイプミスだった。しかし朝からずっと続いている、小さな打ち間違いがひっきりなしに。
 それは仕事とは別のことを考えているせいだ――マイクロトフは原因も分かっていた。
 これでもカミューよりはマシなのだろう。彼は仕事がほとんど手につかず、仕事をしているフリをしているとまで言っていた。そんなことをマイクロトフに言えるようになっただけ彼も随分落ち着いたのだろうけれど……。
 勿論考えているのはカミューのことだった。あれから多少は時間が経って、友人としての関係はかなり進展したと言えるだろう。
 だがカミューは時折恨みがましい視線を寄越してぶつぶつと文句を言ってくる。そんな時はマイクロトフの訳の分からない理屈で彼を説得し、宥めるのだった。
 数日電話だけで済ませるとカミューは思い出したように頼り無い事を言ってくる。その度に心配になって様子を見に行ったりすると、案外元気だったりするものだ。狙いすましたように電話になると心細い様を伝えてくるようになったので、今ではほぼ毎日彼の家に通う有り様だ。
 仕事が終わってカミューの家に向かい、簡単な食事を作ってやる。たまにカミューがお粗末な(と言っては失礼だが)夕食を用意してくれていることもある。そんな時は何だか嬉しくなって、翌日の夕食は割と手の込んだものを作るようにしたものだ。
 しばらく自分の家で夜に食事をしていないと気づいたのは、洗い物の回数が減ったからだった。いつもは夕飯の支度を終えて食事をした後、少し疲れた日は翌朝出勤前に軽く済ませていたものが、今は帰宅してからの1回のみに留まっている。それも朝食に使用した食器程度なので大した量では無い。鍋や皿を多く使うような料理はカミューの家で作る事が多くなってしまったから、マイクロトフが愛用していた鍋敷きや鍋掴みは自室から持って行った。ちょっとした調味料もカミューの部屋に買って置いた。
 食事を終えるとカミューと普通に話をする。テレビをつけっ放しにして、別に見ている訳では無いが音が途切れた時の妙な間を防ぐためのもの。ソファに座ってコーヒーやら紅茶やらを飲みながら、時間が過ぎるまで、時に終電ギリギリまで。
 どんなに遅くなっても泊まる事はなかった。ただでさえカミューが不安定な状態なのに、いい加減な事をすることはできなかった。彼がどれだけ引き留めるような素振りを見せても、気づかないフリをして靴を履く。毎日毎日。
 そんな時間を続けて、最近は仕事をしながらでも彼の事を考えるようになった。これからどうすべきなのか、全く答えの出ない未来――そんな非現実的なものではない、将来について何をしていても常にマイクロトフの頭の中を占める問題となっていた。
 率直に言って、カミューと一緒にいるのは好きなのだ。好きで無ければ毎日地下鉄に乗って彼の家になど通わない。
 だが彼は辛そうに悲しそうに、自分の想いは純粋では無いと打ち明けてくれた。つまり肉欲を挟む問題なのだ。実際今まで男に対して丸っきり興味のなかったカミューが、信じ難いが自分に反応しているのだ。我ながら恥ずかしいが、避けて通れることではない。寧ろここが一番の難関なのだ。
 このままカミューと一緒にいれば、いつか彼にも限界が来るのだろう。ついこの前の時のように、理性を失って今度こそカミューの言う「酷い事」をしてしまうのかもしれない。
 ならば自分はどうするべきか?
 ……ここでいつも迷路にはまるのだった。
 実は案外答えは簡単な事を知っていた。黒か白なのだ。
 だけどそれはあまりにも難しい決断だった。





 帰り支度を整えていると、鞄の中で携帯が震える感触があった。
 取り出して見るみると、画面には新着メールのマークがある。メールはカミューからだった。残業で遅くなると書かれた文に、マイクロトフは今日は彼の家に立ち寄らないのだと理解した。
 それならば仕方ないと、予定していたルートを変更する。寄る予定だったスーパーをキャンセルして、自宅に戻って余り物で何かを作るとしよう。マイクロトフは新たに立てた予定に向けて支度を始めたが、その後ろにフリックがやって来た事によって更なる変更が必要になった。
「よお、今日は早く帰らないのか?」
 フリックがこう言っているのは、最近はマイクロトフがカミューのところに寄るためになるべく早く会社を出ているためだろう。マイクロトフは頷いた。
「ああ、予定がなくなったんでな」
「そうか? ならどっか行かないか。最近お前全然捕まらないんだもんな」
「そうだな……、ああ、久しぶりだし、いいぞ。すまんな、付き合いが悪くて」
「そっか、じゃあちょっと待っててくれ。こいつをシーナに押し付けてから行くよ」
 フリックはひらひらとフロッピーを振って見せて、意味ありげに笑ってマイクロトフに背中を向ける。離れたシーナの席からえー、今日デートなのにー! という辺りを憚らない声が聞こえて来た。やっぱりな、とマイクロトフも肩を竦めながら、それでも笑ってしまった。





ちょっと短いですが展開上ここで切る……。
話に困るとすぐにフリックを出すのはもう駄目ですか……。