WORKING MAN





 フリックが連れて来てくれた店はマイクロトフには初めてのところだった。彼が言うには何度か来て雰囲気が気に入っているのだそうだ。マイクロトフが知らない内に、フリックもまた誰かといろいろなところに出かけていたのだろう。改めて、ここ最近の自分の動向を振り返った。カミューの部屋しか記憶が無かった。
「今度こそそうだろう? うまくいってるのか?」
 久しぶりに外で飲む酒の味に少々気分が良くなっていたマイクロトフは、素のままで何が、とフリックに聞き返す。
「前とはタイプが違うみたいだな。お前随分マメにやってるみたいだけど、あんまりのめり込むなよ」
「? だから、何が」
「あんまり係長の胃を苛めるなよ。お前はすぐ仕事に影響出るからな。」
「何の事を言ってるのか分からん」
 マイクロトフが本当に困った顔をしたので、フリックも眉間に小さな皺を寄せた。
「おい、とぼけるなよ。今度は当たりだろう?」
「フリック、はっきり言え」
「女」
「?」
「いるんだろ? 俺にまで隠すなよ」
 ようやくマイクロトフはフリックのどこか含みのある口調を理解した。
 前にもこんな話をしたはずだ。この友人は一度自分が失恋してからというもの、新しい春を自分以上に期待してくれている男である。面倒見が良く心配性の親友をがっかりさせるのは悪いが、マイクロトフがマメに通っているのは女性の家などではない。
 そう告げようとして、マイクロトフはふと思い留まった。
 ……今度こそフリックに相談してみようか。
 勿論カミューが男だということは伏せておく。そういうことに丸きり免疫のなさそうな友人は卒倒してしまうかもしれないからだ。
 かなり迷って、そんなマイクロトフの様子を見てフリックが神妙な顔つきになってしまった。しかも何か困っているなら俺で良ければ相談に乗るぞ、なんてとどめを刺されてしまったものだから、マイクロトフもとうとう決心してしまった。
「……実は、どうしたらいいか分からなくて困っているんだ」
「うん」
「その……何処から説明したらいいか」
「ゆっくりでいいよ、俺は今日は時間あるからな」
 フリックの気遣いにマイクロトフは感謝した。
 そうして、少しずつ少しずつ思い出しながら、カミューとの時間を話していった。


 出会いはひょんなことからだった。最初はお互い罵りあった(という表現は男女間ではあまり似合わないので、言い争いをした程度に収めておいた)。
 それから彼の良い部分を少しずつ見つけて、彼と親しくなりたいと思うようになった。その時は向こうがうんざりするくらいしつこかったのではないかと自分では思う。
 けれど、時間が経つにつれてだんだん対応が柔らかくなった。あまりあからさまな嫌悪も向けられないようになった。そのことは単純に嬉しくて、素直に顔に出していたように思う。
 きっかけは彼の風邪だったように思う。いわゆる不法侵入だが、彼の看病をしてずっと距離が縮まったのだ。彼が目に見えてそれまでと違う態度を取り始めたのも、今思えばあれが境だった気がする。……最初のキスもこの時だった(これは言うのにちょっと躊躇ったが、隠す事もできなかったのでごまかしながら話した)。
 それから、彼の不思議な行動が始まったのだ。急に電話をしてきて、うっかり眠ってしまった時のキス(これはさすがに伏せておいた。だってとてもじゃないが口に出来ない)。それまでと確実に様子の違う彼に、自分ははっきり動揺した。動揺しているのを悟られないようにしたが、彼は予測もつかないところで現れたりしたものだ。まるで待ち伏せしているかのように。
 ……待ち伏せ。ひょっとしたらそうだったのかもしれない。でもその時はまさかそうとは気づかず、結局カミューの車で自宅傍まで送ってもらったのだ。
 その後に来た電話は今から思うと本当に分かりやすかった。電話越しに女の声が聞こえたからと、はっきり住所も知らない自分の部屋の前まで押し掛けて来ていたのだ。あの時は驚いた。赤くなったカミューの肌にも驚いた。――彼でもあんな顔をするのだ。
 その後は自分でも薄々辿り着いた結論に至る。そうなのかな、そうなのかなと伺っていた答えが当たりだった時は、何だ、良かった、なんて間抜けな事を言ったから彼が怒ったのだ。
 彼にとっては一生物の一大事だったに違い無い。それなのに自分の反応はどうして全く薄かった。自分でも申し訳ないくらい、ひとつの決着がついてそれだけで満足してしまったのだ。
 後は……、後はこの通りだ。ここに来るまでの例の「確かめよう」もフリックには告げる事ができなかった。フリックには、その人が自分に好意を持ってくれていて、自分も確かに好意はあるがどうも実感が沸かないというように伝えるようにした。うまく伝わったかは別として。
 フリックの助言のような相槌を挟みながら、マイクロトフの長い長い説明が終わった。 フリックはうんうんと聞いて、時折内容を噛み砕くように考えた素振りを見せていたが、マイクロトフが話終わると「何だ、そんなことか」とあっさり言い放った。
「そんなこと?」
「ああ。お前に自覚がないだけだろ?」
「自覚とは?」
「恋愛感情の」
 マイクロトフはきょとんと瞬きをする。フリックの言っている意味が分からなかった。
「前の彼女とお前がつきあってる時、これで本当に大丈夫かなって正直思ってたんだ。お前、彼女よりも俺とか他の友達の優先するし、普通の友達と変わらないような接し方してるっぽかったもんな」
「その前の、恋愛感情って何だ、フリック」
「だから、お前が分かって無いだけで、その相手よりもずっと前からお前が先に惚れてたんだろう? それが恋愛感情だって言ってるんだよ」
「え?」
 マイクロトフは疑問系の声を出して、文として文字として音としてフリックの言葉を反芻させた。
「……え?」
 もう一度、この呟きはフリックと言うよりは自分に対してのものだっただろうか……。
 マイクロトフは開けた口を閉じる事が出来ず、呆然とフリックを見ていた。テーブルを挟んで正面に座るフリックは、何かを悟ったような落ち着いたような、マイクロトフを見守るように穏やかな表情をしていた。
 握っていたグラスが汗をかいていた。氷はとうに溶けていた。






ちょっと前にフリックの相談を断わっていたシーンがありましたが、
その時はその時今は今ということで……(ヤケ)