WORKING MAN





「……ちょ、ちょっと待て! フリック、相手は……」
 男だ、と言いかけてマイクロトフはぐっと堪える。
 これだけ親身になってくれる友人の心労を増やすのは忍びない。大体、相手が男だと話したところで信じてもらえるものか。
「お前はのんびりしてるからな。相手が積極的だから面喰らってるんだろ」
「い、いや……、積極的というのも何か違うような……」
「アレだろ、ほら。ずっと追っかけてた立場が追っかけられるようになって、戸惑ったんだろ。ましてや嫌われてると思ってた相手なら尚更」
「それはそうかもしれんが、どうも……そう持っていくには状況が……」
 マイクロトフがどうにも素直に頷かないので、フリックも調子が狂ったらしい。最初は単に色恋に疎いからだと判断していたようだったが、本気でマイクロトフが首を捻っているのを見て取って、フリックも首を傾げ始めた。
「何か様子がおかしいな。お前、その子のことは好きなんだろう?」
「(その子?)……まあ、好きか嫌いかと言われれば当然好きだが……」
「そこからもうひとつぐっと来ないのか?」
「ぐっとと言われても……、うーん……」
 素直にフリックの言う事を考えてみる。……確かにカミューに好意は持っている、それはずっと前からだ。
 でも彼のように激しい欲求はない。一緒にいられるのは嬉しいが、それは普通の友人とだってそうかもしれない。
 そうだ、好きなのは二人でぼうっとくだらない話をしている時だ。いろんなことを隅に追いやって、大切じゃ無い話をぽつぽつ話す。ソファに座ってテレビを見ながら、登場したタレントについてあれこれ注文をつけたりする。明日の天気について話す。天井の染みについて話す。風の音について話す。
 意味のない話をただしているのが好きなのだ。そうして一緒にいられればいい。
 そのことをフリックに告げると、彼は呆れたような顔をした。
「何だ、もう夫婦みたいになってるんじゃないか」
「ふ……夫婦?」
「そうだろ、好きなのを通り越しちまったんだよ」
「そ、それは違うと思うのだが……!」
「照れるなよ。その人はお前が好きで、お前もその人が好き、それでいいじゃないか」
「しかし俺には向こうと違って性欲など……!」
 フリックがずるりとテーブルの上で肘を滑らせた。マイクロトフは出てしまった言葉を今更取り消す事も出来ず、自分の発した単語に真っ赤になる。
「……凄い女だな」
「……」
 何も言えない。これ以上言ってもボロが出るだけだ。
 やはりカミューを女と想定して話をすすめるのには無理があったのだ。彼はどこからどう見ても健康な男性で、考え方だって女性のように細かくは無いのだろう。
 だから行き詰まったら爆発してしまうのだ。発散する上手な方法を知らないのだ。そんな彼に、男女間でのマニュアルなど通用する訳が無い。もっとも、自分には使いこなせるはずも無いが。
 もう穴があったら入りたいような気分になっていたマイクロトフの前で、フリックは頬杖をついてじっと赤くなって小さくなっている友人を見つめていた。その目は何事か悟ったような、そんな色をしていた。
「……そうか。分かった」
「……何がだ」
「お前が戸惑ってる訳が分かったよ。まあ、俺の意見を押し付ける訳じゃ無いからな、一つの考えとして聞き流してくれよ。」
「……ああ。で、なにが分かったんだ」
「その子は飛び越えちまったんだよ」
「飛び越えた?」
 聞き返すマイクロトフに、フリックは2度ほど小さく頷いてみせた。
「お前はのんびりしてるから、今回もスタートは早くてもゆっくりゆっくり始まったんだろう。でもその子は自覚した途端にお前が一ヶ月かかるところを一日くらいで駆け上がっちまったのかもしれない。向こうが早すぎて、ついて行けなくてお前は困ってるんだよ。どうだ?」
「……」
 マイクロトフはテーブルを睨む。
 確かにカミューの変化は目まぐるしい程だった。ついこの前まで悪意が感じられた目が、今は酷く強烈な感情を込めて自分を見つめてくる。
 だけどその変化に一番戸惑ったのは他ならぬ彼自身だ。だからこそ直接的なぶつけかたをしてきたのだ。それは分かってる。分かってるから、分かってるくせに落ち着いた(ように見える)自分がもどかしいのだ。
「……半分は当たりかもしれない、フリック。でももう半分は分からないんだ」
「マイクロトフ」
「俺自身はどう思ってるのか分からない」
 たとえフリックの言う通り自分はゆっくり歩いていたとしても、カミューのいるところまで辿り着けるのだろうか?
 いや、もし辿り着いてしまったら、それからお互いはどうなってしまうのだろう?
「俺は本当に好きなんだろうか?」
「……いんじゃないか、無理して答えを出そうとしなくてもさ。」
 フリックはグラスの底に残っていた、氷が溶けてほとんど水になった液体をぐいっと飲み干して息をつく。
「お前がそんなふうに考える事自体が進歩だよ。それこそ仕事に影響が出るくらいその子の事が心配なんだろ? 今はそれでいいんじゃないか。一緒にいてやれよ。お前なりのやり方で俺はいいと思うよ。」
「……うん」
「ゆっくりのんびりのほうがさ、お前らしくて良いと思うよ、俺は。」
「……有難う、フリック」
 マイクロトフの言葉に、よせよとフリックが頭を掻く。
 マイクロトフはもう一度有難うと呟いた。話を聞いてくれたこと、真剣に考えてくれたこと、これからどうするかのヒントまで。
 カミューが好きなんだろうとフリックは言う。――それは自分では分からない。人を好きになると言うのはどういうことか、なんて次元から始めなければならない問題かもしれない。
 ならば親友の言う通り、ゆっくり時間をかけてみようか。カミューが自分を想ってくれるようにカミューを想うようになるのか、それは今のところさっぱり分からない。でも彼は確実に自分にとって特別で、一緒にいてもらいたい一人であることは間違い無いのだ。
 今のまま、少しづつ進めてみようか。どうなるかなんて頭に残さないで。
 どうにかなってから、その時考えるとしようか。
 ……どうにかなるのならば。






ゆっくりのんびりは私ですね……。
本のほうでは完結しましたので……
(こっちも早くしろ)