午後7時半。 そろそろか、と時計を覗く。 あの性格なら大幅に遅れてくることはないだろう。 (…なんだってこんなことしてるんだ私は) 飾りで咥えていた煙草の火を消して、ぼんやり窓の外を眺めた。 いつも仕事先で知り合った女性との待ち合わせに使っている、シンプルであまり人目につかない喫茶店。 ここくらいしか距離的に合格ラインがなかったとはいえ、もうこの店は使えないな。 まさか男と待ち合わせることになるとは。 くそ、気に入ってたのに。 (…あ) きょろきょろしながら横断歩道を渡ってくる、妙に背筋の伸びたシルエットを発見した。 この寒いのに1人だけ頭ひとつ飛び出ている。 間違い無いな。 案の定、その人物はこの店に入ってきた。 入り口先で視線を巡らせている彼に軽く右手で合図して、窓際の自分の位置を知らせてやる。 長身の彼が真直ぐ歩いてくる中、途中の席にちらほらと座っていた女性たちが目線を動かした。 …くそ、こういう扱いを受けるのは私だけだったはずなのに。 タイプが違うから、なお厄介だ。 「すまないな、待たせてしまったか」 「…いや、こんなとこだろうと思っていたよ。座れば?」 マイクロトフが正面に腰を下ろすと、ウェイトレスが傍らにやってくる。 「あ、…じゃあ彼と同じものを」 私は口に含みかけていたコーヒーを吹き出しそうになった。 「? どうかしたのか?」 「い、いや、…何でも」 …「彼と同じものを」… これは相手の女性が「今夜、いいわよ」の合意を示す時の合図でもある…一瞬焦ったじゃないか。 気を取り直して、懐から例の携帯を取り出した。 「ハイ」 ことん、とテーブルに固い感触。 「…すまない…」 流石に彼も面目ない様子だ。 「明らかに私が出たらまずそうな呼び出しは無視しておいたよ。…つまり君からの公衆電話にしか出ていない」 「あ、ああ。それでいい。すまん」 マイクロトフは携帯に手を伸ばし、着信と伝言内容をチェックし始めた。 その様子をどうでもよさそうに眺めてみる。 いちいちアクションが一生懸命で無駄な動きが多いな。 こういうタイプは努力しすぎて疎まれるんだよな。 私の下では使いたくないねえ… ウェイトレスが運んできたコーヒーにもしばらく気づかずに、手帳に何か書き込んだりメールを送ったり、一連の行動を終えてようやく一息ついたようだ。 「安心した?」 「ああ。携帯電話を携帯できないというのはもどかしいものだな」 にこっと笑う。 本気で言ってるのかそれともギャグなのか。 全く珍しいタイプだ。 部下にも欲しく無いが、取引先にも欲しく無いタイプだ。 利益と同じくらい感情優先する、尤も苦手なタイプだ。 「…とにかくこれで私の役目は終わったわけだね。もうこれきりにしてもらいたいものだ」 「…あ、ああ…携帯の件は本当に申し訳ないと思っている。しかし…」 ぴくり、と眉が反応した。 「しかし元はと言えばお前がいきなり掴み掛かってくるからだぞ。もう少し対応が違ったら、俺だってあの場で謝ったかもしれないのに…」 「…へえ、大分しおらしくなったじゃないか。君だってすぐにカッとなって食って掛かって来ただろう?」 「それは…、あの時は丁度機嫌が…」 そこまで言いかけて、はっと彼が瞬きをした。 「定期!」 おっと。私も忘れるところだった。 金輪際、が目的なのに余計なものが残ってはまた面倒なことになる。 「…これ、だね。確かに返したよ。」 定期を滑らせ、それを奪うように彼は懐に隠してしまった。 「…見ていないな?」 「見てないって。言っただろう?」 「本当だな?」 「…本当だよ。そんなに見られたく無いのならさっさと処分すればいいだろう?」 これはちょっと痛い一言だったようだが、ほっと胸をなで下ろす。 これで見たなんて言ったら怒り狂うかな。 多少の罪悪感はないでもないが、まあもう会わないんだし。 「…わかった。信用するぞ。」 …これは私にとって痛い一言だ。 全く、そんなに簡単に人を信用するもんじゃないよ。 大体昨日会ったばかりの人間をどうしてそう信じられるんだか。 携帯だって悪用されてないとは限らないんだし。 そんなことは露程も思っていないようだし。 …やっぱり苦手だな、このタイプは。 「…ではこれで失礼する。わざわざすまなかったな。」 マイクロトフは残っていたコーヒーを一気に飲み干して、かたんと立ち上がった拍子にレシートを手にした。 「いいよ、それくらい」 「いや、呼び出し賃だ。礼の代わりに払わせてくれ」 そうかい、と熱心に止めるでもなく彼を送りだし、無事に会計を済ませている姿を確認して、ふうっとため息をついた。 これは安堵かな。…疲れたんだろうな、ああいうのと話していて。 それにしても馬鹿単純な男だな。結局謝っていたのはほとんどあっちだったしな。 まあ、別に私は悪くないからいいんだけど… …と。 テーブルの上に、見覚えのあるものが。 黒い携帯。 「馬鹿っ…」 思わず派手に立ち上がって、店内の視線を一斉に浴びた。 慌てて腰を下ろしたが、…携帯を手に取る。間違い無い、あの馬鹿また忘れて…! 「冗談じゃないぞ…」 今度は流石に黙っていられない。 今ならまだ間に合うはずだ、とコートを手にしかけて、 ピピピッ 手の中の携帯が鳴いた。 あいつか? 気づいたのか。 「もしもし!?」 半ば怒りのこもった口調で乱暴に答えると、 『……、…もしもし?』 「え?」 …着信を確認しなかった。 女性の声だ。 |
カミューさん心の声。
嫌な男です。
仕事相手にまで手を出してるようです。
ちなみに煙草はそんなに吸わないようですが、
口寂しい時に咥えてるみたいです。