(やれやれ…) 店を出て寒空の下をとぼとぼ歩き、しばらく経った頃にようやくため息が出た。 これは安堵だろうか。…緊張していたのかもしれない。 やはり自分とは雰囲気が全く違う人間と一緒にいるのは、少なからず疲れるのだろう。 …しかしそれもこれで終わりだ。 向こうはもう二度と会いたく無い口振りだったし… (定期も戻ってきたのだし…) 「……」 戻って来て良かったのか悪かったのか。 でも、自分で何とかしなければ…。 はあ。 結局のところ、まだ未練が残っているのだ。 なんて情けない姿だろう。…ひょっとしたら、彼女もこのような自分の様子を見越していたのだろうか。 地下鉄のホームに出て、時間を確認しようと携帯を取り出した。 …気持ちだけは。 「?」 あれ…ポケットに入れたと思ったのに。 鞄にしまってしまったのだろうか? 「……」 …ない。ないぞ。 おかしいな、確かに渡されたはずだ。 受け取って、メッセージを確認して、それから… (…置いてきた!?) また俺は…! 何処を探してもない。…またやってしまったのだ。 今度こそ怒っているだろう。今のうちに戻ったらまだ間に合うだろうか。 いや、それよりも先に電話をかけて。 慌てて公衆電話に飛びついて、自分の番号をプッシュ。 数秒と経たないうちに、話し中のツー、ツーという音が聴こえて来た。 「あれ…?」 番号を間違えただろうか。もう一度。 …やはり話し中だ。 自分の携帯が他人によって話し中になっているのは気分がよくなかったが、ここではどうしようもない。 戻るべきか。 そんなに時間は経っていない。とはいえ、1人きりで長々と喫茶店にいるとは限らない。 おまけに電話は話し中。 「…どうしたものか…」 暫く考えて、やはり彼のマンションに立ち寄ることを決めた。 そこで待っていれば必ず会えるだろう。 彼は男性の出入りを快く思っていないようだったが、会ってすぐに受け取って立ち去ればいい。 そうだ、そのほうが手っ取り早い。 マイクロトフは一旦ホームを出て、乗り場を反対方向に変更した。 連れて来られたのは気絶中、出て来た時は早朝。 そんな訳で夜空の下にこのマンションを探し出すには少し時間がかかったが、間違いない。 硝子の洒落たドアを潜って、部屋番号…何番だったか… 振り向くと並んでいる郵便受け。その中のひとつに彼の名前を見つけ、同時に番号を確認する。 「1…1…0…7…と」 インターホンを押す。 スピーカーからピンポーン、と定番の音が聴こえてきて、数10秒。 「……」 反応がない。 まだ帰ってきていないのだろうか。 もう一度押してみる。 ピンポーン。 また反応がない。 「駄目か…」 ではここで待つか、と肩の力を落とした瞬間。 ガチャ。 『…誰?』 ぎくっとして顔を上げた。 スピーカーから聴こえてくる声は紛れも無く女性のものだ。 もしや部屋の番号を間違えたか。 「い、いや、その、俺は…」 『何? 訪問販売なら他あたってよ』 「いや、違う、か、カミューを…」 相手の女性が黙る。やはり部屋を間違えたのだろうか。 『…カミューの何?』 「えっ…」 『カミューの何なの? 早く答えてよ、あたし気が短いの』 「い、いや、何と言われても…」 何だろう。つい昨日会ったばかりだし。 「…友人だ」 とても友人、という関係ではないが、昨日からの出来事を延々と話す訳にもいくまい。 『…友人、ねえ…』 彼女の声色には疑いが含まれているようだったが、どうしたらいいのか判らずに次の言葉を待っていた。 カミューがいるのなら代わって欲しい。そう思っていたのだが、 『いいわ。入って』 ジーッ、という音と共に扉のロックが開いたようだ。 「え? で、でも…」 『いいから早く入っちゃってよ。ロック閉まっちゃうじゃない』 「あ、し、失礼…」 慌ててドアを開けて滑り込む。 背中で再びジーッと扉にロックがかかる音、そしてスピーカーの向こうでガチャンと会話が切られる音。 …どうしよう。 いいのだろうか、こんな。 カミューはいるのだろうか。…そんな雰囲気ではなさそうだが… でもぼーっとしていても仕方がないし、怪しまれるかもしれない。 あまり気は進まなかったが、エレベーターに乗り込んで11階のボタンを押した。 ピンポーン… 躊躇いがちにチャイムを押すと、中から物音が聴こえてきた。 開かれたドアの向こうに立っていたのは、髪の長い派手な印象の女性。念入りに施された化粧の匂いに、あまり免疫のないマイクロトフはくらっと目眩を覚えた。 彼女は上からしたまでじろじろと自分を眺め、 「…ほんとにカミューの友達?」 懐疑的な視線を投げ付けてくる。 態度も雰囲気も、遠慮というものが一切見られない女性だった。 「ま、まあ一応…」 「カミューの嫌いそうなタイプ」 はっきり言われてちょっとぐっとくる。 確かに好かれてはいないようだったが、本人から聞かされるならまだしもこんな素性の知れない女性に… 「…まあいいわ。カミューに会いにきたんでしょ?」 「あ、ああ…」 「なら入れば。カミューまだ帰ってきてないけど」 「! い、いやしかし留守中に無断で上がりこむのは!」 「それってあたしに対するあてつけ?」 「そ、そういう訳では…」 困った。こういうのは苦手だ。 こういうタイプの女性と話すのも苦手だし、こんなシチュエーションも苦手だ。 男の留守中に女性が勝手に上がり込んでいるだなんて、なんて破廉恥な。 彼はこの状況を善しとしているのだろうか。確かに女性に対する考え方は全く違ったとはいえ… 「…ブツブツ言ってないでよ。あたしなら気にしないでいいわよ。もう帰るから」 「え…」 「これ。返そうと思って待ってただけ」 彼女はマイクロトフの目の前に鍵をつきつける。 条件反射でてのひらを差し出すと、その上にちゃりんと鍵が落ちてきた。 「…あの人に返しておいて。用はそれだけよ」 よく見ると彼女はすでに帰り支度を終えている。 マイクロトフの脇を擦り抜け、立ち去ろうとした彼女に思わず声をかけた。 「おいっ…」 「…何?」 面倒臭そうに振り向く女性は、少なからず寂しそうな表情に見える。 「…ひょっとして、昨日カミューと…」 「…嫌だ、彼余計なこと喋ったの? そういうことトモダチに言うタイプじゃないと思ってたのに」 「いいのか? その…不本意ではないのか?」 ひょっとして自分の言い方が気に触ったのだろうか、彼女は少し俯いた。 何かフォローしたほうがいいか、とあれこれ考えていると、 「…仕方ないじゃない。あの人、飽きたらそれっきりだし。縋ってくる女なんて大っ嫌いだし。いろいろ言われて傷つくの嫌だから、自分で返しに来ただけ。…でも会わずに済むならそのほうがいいわ」 「…本当にそれで…」 「…あんたってカミューの友達にしては変わってるわ。まあ、いいけど。普通の友達ができたんならあの人も少しは変わるかもね」 彼女はそう言って、くるりと背中を向ける。 声をかけても、後ろ手に「バイバイ」と手を振られてそれっきりだった。 やがて廊下に響いていたヒールの音が聞こえなくなり、自分1人が手の中の鍵を見つめてぼんやり立ち尽くしていた。 |
元カノはそれぞれ想像していただけると有り難いです…
いや別に考えるのが面倒なわけでは…(アワワ)
それにしてもいろんな意味で不用心ですな。