WORKING MAN





 気付けばいつの間にか浅い眠りに揺られているものだ。
 カミューははっきりと目を覚ましてから昨夜の考え事がまだこびりついている頭を振って、怠い身体を起こす。今更どのくらい眠れたか、なんて数える無意味なことはしていない。多少なりとも眠れるのなら、割と身体は動くものだ。人間は結構頑丈にできている。
 機械的な会社の仕度、朝食はとりあえず喉に流し込めるコーヒー。夕飯をしっかり食べるようになったせいか、朝昼とあまり食事をとらなくても平気になってきた。それよりもぼーっとする時間のほうが大切なのだ。
 すっかり夜の生活を基本にするようになってしまったカミューは、今までは一日の重点だった会社での仕事も夜までの時間潰しとしか思えなくなっていた。
 元々物凄く仕事熱心という訳でもなかったが、すっかりサボり癖に拍車がかかってしまった。勿論与えられた仕事はこなすし、支障を来すことはない。しかし仕事に対する誠実さが丸きり欠けていた。
 自分でも酷い話だと思う――カミューは会社に着いて同僚と表面上の挨拶を交わしながらまた考え事に集中する。適当にやっていてもそれなりの結果は出るのだ。自分はそういう男なのだ。
 だから今まで何をしても本気になれずつまらなかった。適度に、それなりに、その程度でも充分認められる。
 それが今はどうだ。たった1人の相手にそれまでの生活を全て放り出して、真直ぐ中心に向かって毎日を過ごしている。
 なんて酷い話だ。それまでの自分とその周りにいた人々は何だったのだ。顔も声も覚えていない相手がどれだけいるだろう。もう記憶にも残っていない存在だって確実にあったに違いないのだ。
 それが今はどうだ……。
 仕事の合間に煙草で休憩のフリをして意識を飛ばし、昼になれば昼食と称して意識を飛ばしに喫茶店に居座る。寧ろ仕事が合間なのかもしれない。
 そうして全ての義務を済ませて、きっかり定時にパソコンのモニタの電源を落とす。
「おっ、今日も早えな。また誰か待ってんのか?」
 先輩社員のビクトールが向かいの席から顔を覗かせた。カミューは鉄壁のスマイルで無視を決め込む。
 待ってるのはこっちのほうだ。心の中では情けない声が漏れている。
 いつだって待っているのは自分なのだ、彼の行動、彼の声、それを引き出すきっかけは自ら作るとしても、結局は彼が傍に来てくれるのをいつも待つだけだ。
 脇目も振らずに帰路を辿り、暗く冷たいマンションの一室へ帰って来る。
 そうして彼がやって来るのを待つ。気が狂いそうな陶酔の時間。
 いや、気なんて狂いやしないのだ。狂えるのならとっくにそうなってる。これしきでおかしくなることなんて許されないのだ。
 自分の心は本当はもっと太くてしぶとくて、こんなふうに毎日彼を待っているのがいい証拠だ。
 声を聞いて、姿を見て、それだけで死んでしまってもいいなんて思う癖に、絶対死んだりしない。こんなことで死ねるもんかと頭の何処かで踏ん張ってる自分がいる。
 何のやる気もなく、責任感もなく、暮らしは夜にやってくる彼との短い時間のためだけにあるとしても、このままで終わらせる訳に行かないことを自分が一番よく分かっている。おかしくならないのはそのため。全てを投げ出してしまわないのはそのせい。
 どんなに情けない泣き言を漏らしても、その先に一縷の光が挿すかもしれないのならそのために耐える。彼が我慢を強いるならそれに応えてみせようじゃないか。もう意地なんて次元じゃない、これは自分の将来を賭けた根比べなんだから……
 カミューが部屋の天井を見つめながらぼんやりまとまりないことを考えていた時、携帯がテーブルの上でがたがたを音を立てた。
 マナーモードにしていたので着信音は鳴らなかったが、バイブレーターで震える携帯は耳障りな騒音をまき散らした。立ち上がったカミューが止めに行く前に、携帯は静かになる。
 この短さならメールだろうと、カミューは折り畳み式の携帯を開く。
『仕事で遅くなる。9時に間に合わない』
 心臓が歪んだような、嫌な感じの鼓動だった。
 カミューは落胆を口元に表して、下口唇の肉を噛みながら物凄い早さで返信を打つ。
『待ってる』
 そうだ、やっぱり自分はいつも待つ側だ。
 こんな半端な立場で、ずる賢く彼を手繰り寄せ、好きだ好きだと喚き散らし、でも頭の一部分は何処か冴えたままできっかけを待っている。
「……早く来ないかなー……」
 ソファに腰から倒れ混むように座って、またぼんやり天井を見上げて呟いた。
 いつも待つのは自分だ、だから待つのは慣れている。
 目を閉じて、思い出すのだ。彼の気配、足音、やって来る時の癖のあるドアの開き方……
 待っていれば必ずやって来る、だから待つのは平気だ。
 気なんて狂いやしないのだ。
 狂ってしまったら彼が分からなくなってしまう。


 そうして目を閉じると、案外あっさりと意識を失ってしまえるものだ。
 色も形も覚束ない夢を見る。夢だと分かるのは最初だけで、やがてその記憶も夢に溶ける。
 いつからかこの短い時間に深い眠りを覚えた悲しい身体は、彼がやってきて起こしてくれるのを密かに待っているのだ。
 時に直前で目が覚めることもあり、全く気がつかない時もある。
 それでも彼が声をかけない限り自分から目を開くことはない、それがほんのささやかな楽しみでもあるのだから。
 待つのは慣れている、だからこそ心待ちにしている。
 足音が聞こえるのを、気配を感じるのを。
 癖のあるドアの開き方。

 ……ああ、やってきた。
 マイクロトフ。
 カミューは夢見心地に寝ぼけた頭で呟いた。






もう思い付いたまま書くのみです……。
支離滅裂も甚だしいですが……