マイクロトフはああ、やっぱりなというように足を止めた。 最近はカミューのマンションに着いて、チャイムを鳴らしても返事がない時は合鍵で勝手に入ることにしている。マイクロトフは今日も同じように反応のない部屋へと上がり込んでいた。 いつものようにカミューはソファで眠っていた。マイクロトフがやって来るのをまったまま、近頃はこんなことがたまにある。 日中はいろいろなことを考えないために仕事に没頭して、夜はいろいろなことを考え過ぎて眠れないので、マイクロトフが来るまでの短い時間が一番安心する――カミューはそんなことをマイクロトフに告げていた。冗談のように真顔でそう言ったカミューを見た時はさすがにマイクロトフもショックを受けたが、今ではそういうものかと状況に慣れつつある。カミューもそれで構わないと言い、マイクロトフもいちいち気にするのがおかしなことのように思えてきたのだ。 ガラステーブルに飲みかけの缶ビールを置いて、その日もカミューは眠っていた。マイクロトフは鞄を部屋の隅に置いてスーツのジャケットを脱ぎ、一息ついてカミューを眺める。少し寝顔が疲れているだろうか。マイクロトフは彼の前に跪くように膝をつき、その揺れる睫をまじまじと見つめる。 カミューは何か夢を見ているのだろう、瞼がぴくぴく震えている。マイクロトフは細くため息をついて、小さな声で呟いた。 「俺も好きだぞ、カミュー」 言ってから恥ずかしくなったのか、マイクロトフは少し頬を赤くしてカミューから目を逸らす。 まるで気紛れのように出てきた言葉だった。だが決して嘘ではない。これまで随分悩んで考えて、真剣に向き合うことを決めたのだ。男性という性別を越えて、一人の人間としてマイクロトフの中にある存在を恋と表現するのは当たらずとも遠からずなのではないだろうか? ――マイクロトフはまるで自分の定まらない心に言い訳をするように、そんなことを頭で繰り返した。 やがてそんな自分の様子に呆れたのか諦めたのか、肩の力を抜いたマイクロトフが再びカミューに目を向ける。そして硬直した。 硬直というならカミューの身体もそうだっただろう。微動だにしない上半身と首、両眼だけが無理矢理こじ開けたかのように楕円を描いている。機械のような表情と合わせて不自然極まりない様子にマイクロトフは狼狽えた。 「カミュー、お前! 起きていたのか!」 半ば怒ったようなマイクロトフの声はカミューの耳を擦り抜けたようだった。 「……今」 マイクロトフが息をとめる。 「今、何て言った」 生気の感じられない見開いた目のままで、カミューは早口に呟いた。それは寝言の多い人間に話しかけた時の状況とよく似ていた。マイクロトフはもしやカミューはまだ寝ているのではと眉を寄せながら恐る恐る近付く。 「カミュー……、大丈夫か……?」 その瞬間、ぴくりとも動かなかったカミューの手がマイクロトフの腕を掴んだ。咄嗟の素早い動きにぎょっとしつつも反応できなかったマイクロトフは、いとも簡単に引っ張られた。そうしてあっという間にカミューの中に捕まって。 「カミュー、離せ!」 恐ろしい力で押さえ込んで来るカミューに、マイクロトフは条件反射でもがいた。 しかしカミューは暴れるマイクロトフに構わず、離せという言葉にふるふると首だけ振って返事を寄越す。 「……カミュー、苦しい」 「……」 「少し緩めてくれ。息が……」 カミューは腕に力を込めた。 マイクロトフが思わず怒鳴り声を上げようとした時、ようやくカミューの全身がマイクロトフを抱え込んだまま小刻みに震えていることに気づいたらしい。咄嗟に言葉を飲み込む。 「カミュー……」 「……言った……」 「……カミュー」 「好きだって言った……!」 まるで図体の大きな子供である。泣いているのを堪えたようなどこか引き攣れた声にはある種の悲愴が感じられた。その情けなさにマイクロトフも困ってひとつため息をつく。 カミューの大きな背中を撫でて、マイクロトフは落ち着けと呟いた。言ったところで落ち着くはずがないのは分かっていたが、マイクロトフも不意打ちの狸寝入りで落ち着くどころではなかったのだ。カミューが起きていると分かっていたら迂闊にあんなことを呟いたりはしなかっただろう。マイクロトフは自分の軽率さを後悔した。 「カミュー、聞いてくれ」 カミューからの返事はない。 「カミュー、おい……」 マイクロトフが少し大きめに口を開けた時、その身体を抱き込むように頭を下げていたカミューの顎が上がり、マイクロトフの目の前にその顔を突き出してきた。 マイクロトフは思わず目を見開く程度にしか反応することができなかった。お構い無しのカミューはそのままマイクロトフに口唇をぶつけた。もうどうなっても構うもんか――カミューの声なき声が響いたようだった。二人の口の間から聞こえたガチッという不自然な音は、恐らく前歯の当たる音なのだろう。 カミューは吸い付くというより食らい付いていた。マイクロトフはこの野獣を引き剥がそうと、肩を掴んだり髪を引っ張ったり苦戦しながら口唇の隙間に空気穴を見つけた。 マイクロトフが何とか呼吸を勝ち取っても、カミューはマイクロトフを胸にすっぽり収めてしまう。異様な光景だった。決して身体の小さくないマイクロトフが体格のあまり変わらないカミューに完全に捕まっている。 カミューもこれだけ手強い相手を抱き締めるのは初めてだったし、マイクロトフだって誰かに抱き締められるなんてことはこれまでの人生にあり得なかった。そのくせ奇妙な融合感があった。身体を任せるのが不思議と気持ちが良い。 マイクロトフはいつしか身体の力を抜き、諦めたようなため息を落とした。カミューは腕の力を緩めなかった。 |
本を持ってて下さってる方は分かると思いますが
ほんとに終盤に来てます……
長かったなあここまで……
内容がばらばらとかこの際気にしないよ……(だめ)