WORKING MAN





 マイクロトフを抱き締めながら、カミューはある種の虚しさをひしひしと感じていた。
 それはマイクロトフの言葉が戯れ程度であることをよく分かっていたからだ。明らかに自分の持つそれとは意味合いが違う言葉、しかしながらそのたった一言でどうにもコントロールできないほど理性が掻き消えてしまった自分が虚しくて仕方がないのである。
 マイクロトフはいつもそうで、自分をたまに煽るようなことを言って我慢しろだなんて無茶苦茶を言う――カミューは心の中で悪態をつき始めた。いつもそうだ。今だってそうだ。嫌がる癖にちょっと強引なことをすると諦めたフリをする。どうして大人しく抱かれているのか、寧ろ身体を預けるような真似をするのか、自分の気持ちをとうに知っている男の取る行動としては少々酷すぎるのではないか。
 それなのにこの酷い男が好きでたまらないのだと、カミューは悔しくて悔しくて抱く腕に力を込める。
「……さっきの、冗談?」
 カミューはぼそりと呟いた。腕の中の男が全く抵抗を見せないので、いい加減苛々し始めていたのだ。
「それとも同情?」
 ふとするとかん高い声が出てしまいそうだったので、極力抑揚を押さえる。ぼろを出したくないため早口にもなる。マイクロトフに頷かれても冷静でいようと思っていた、それなのにマイクロトフはカミューの胸に顔を押し付けたまま、黙って首を横に振った。
「同情じゃない。」
 付け加えられた言葉にカミューは頭を殴られたようだった。
「じゃあ何。同情じゃないなら何なんだ。」
 マイクロトフの後頭部を押さえ付けて、泣き声のような単語を絞り出す。
「嘘じゃないならもう一度言ってよ。もう一度言ってよ……」
 ――ああ、やはり駄目だ。
 どんなに格好つけようとしても、彼の前では見栄も意地も皆無になる。
 今だって馬鹿みたいに緊張し過ぎて指先が冷たい。マイクロトフに触れるのは初めてではないのに、心臓が破裂しそうに暴れている。これが好きな相手に触れるということなのだ、カミューは自分の盲目っぷりを相変わらず思い知らされる。口での理屈なんか問題にならない。身体が勝手に動くのだ、だから本当はマイクロトフの答えなんか聞きたくないのだ……
 なのにマイクロトフはカミューの心臓を止めてしまうようなことを告げた。
「……好きだ」
 この言葉が先ほどのカミューの問いの答えであると、気がつくのに随分時間がかかった。カミューがマイクロトフの発音の意味を理解しようとしている間に、マイクロトフは再び繰り返す。
「好きだ。俺はお前が好きだ。」
 まるで自分自身に言い聞かせるようなマイクロトフの声は、確信というよりは手探りの部分のほうが多かった。だからカミューも言い返そうとした、それが出来なかった。
 カミューにとってこれまでの人生で初めて衝撃を受けた告白の言葉だったのだ。誰に何度好きだと言われてもそれはただの音の集合体であり、意味を持つことはなかった。
 初めて好きだという言葉を自分の中に受け止めようとしている――カミューは重圧に耐えた。だから口を開くことができなかった。少しでも気を抜くとそのまま意識がなくなってしまいそうだったからだ。
 マイクロトフの声で好きだと告げられた。もう冗談でも同情でも、何も自分の思いを遮ることはできないだろう。
「確かに俺はお前が好きだ。だが、お前が俺を想ってくれているのとは少し違うかもしれない」
 マイクロトフは一言一言確かめるように、言葉を選んで続きを話し始める。
「お前のように直接的な想いではない。本当に微かで、でもここまで自覚するのに随分かけたし、決して間違っているとは思っていない。」
 カミューは目を閉じた。開けていられなかった。電灯の光ですら眩しくて、意識しないと呼吸がうまくいかない。
 これが夢だったら、自分は一生目を覚まさないことを選ぶのだろう。でも夢ではない、とうとうこんなところまで自分達は来てしまった……
「俺はこれからもカミューと一緒にいたい。時間をかけて、お互いのことをたくさん知っていけたらいいなと思うんだ……」
 ――今の言葉が嘘ではないと誰が保証するだろう? カミューは震える声でそう問いつめたかったが、自分が悲しくなるための言葉は何より強い想いが次々に掻き消して行く。
 もういい、私は随分我慢した。もう楽になってもいいはずだ。勘違いでも一時の幸せは手に入る。もうそれでいい。……これでいい。もう耐えられない。
 思わず鼻の頭がじんわり熱くなったカミューの、背中にそっとマイクロトフの腕が伸びる。あやされるようにマイクロトフの手に撫でられて、込み上げるものを押さえるのが大層辛くなった。
 マイクロトフの腕は温かくて優しい。抱き締めているはずなのにあべこべの安堵感。カミューはもうなりふり構わず泣き出してしまおうかとも思った。それでも今のマイクロトフなら根気強く自分を慰めてくれるだろうから。
 しかしマイクロトフの優しさはカミューに少しずつ落ち着きを取り戻させた。カミューは深く呼吸を繰り返して、自分の身体の震えが徐々に収まっていくのを実感していた。
 ひとつの策を越えた、カミューは閉じていた目を開いた。欲しかったものが手の中にある。さあこれから自分はどうするべきか?
 ……この熱を守るために、手の中のものを本当に手に入れるのだ。ここが出口で、そしてこれからの入り口になる。
 カミューはきつく絡まった紐を解くように腕の力を緩めた。マイクロトフの手のひらを握り締めた。






シリアス(電波?)はここまで。
あとはギャグ、ギャグで!