WORKING MAN





(落ち着け落ち着け落ち着け)
 まるで眠れない夜に羊を数えるような機械的な呟き、もちろん全く役には立っていないことをカミューは理解していた。しかし頭の中で何か喚いていないと、ただでさえパニック状態なのがどうにも収集のつかないことになりそうだった。
 うまくいかない――混乱の原因はこれに尽きた。
 彼に触りたくて触りたくて仕方なかった時は、こうして布団に倒してしまえばそれで大丈夫だという過信があった。正確に言うと、その後の詳細なことまで考えていなかった。
 指で敏感な場所を探り、カラカラの口で肌に舌を這わせても、どうも思っているのと違う。ぎこちなくて話にならない。案の定、マイクロトフは少しも気持ち良さそうに見えない。灯りが落ちているので表情はよく分からないが、時折漏れる呻き(そう、喘ぎではなく呻き)声からは快楽のかの字も伺えない。
 それが一番カミューを焦らせた。もっと自問してみると、自分はヘタなのでは……? と今まで考えもしなかった単語に頭ががんがんしてくる。
 さっきから冷や汗をかきっ放し、過度の期待と緊張におかしくなってしまいそうだ。まさか、本命相手にはヘタだったなんて洒落にならない。上半身はこんなにガチガチなのに、下ばっかりが元気にその後を主張してくる。
 冗談じゃない、こんな余裕のない状態で『下』の言う通りにしたらマイクロトフがどんな目にあうか――
 いいやこれは手順通りだ、ヘタじゃないと自分に言い聞かせて、カミューはマイクロトフの下着に手をかけた。カミューにもはっきり分かるほど、マイクロトフの全身が過敏に揺れた。
 恐らく咄嗟だったのだろう、マイクロトフの手がカミューの手を押さえた。その危機迫る反応に怯みながらも、カミューは渇いた口内で生唾を飲み込む。
「……マイクロトフ」
「……」
「大丈夫だよ。大丈夫」
 まるで自分自身に言い聞かせるように、カミューは何が大丈夫なのか分からないままにそう答えて、それから勢い一気にマイクロトフの下着を下ろしてしまった。もう後戻りはできない。自分の荒い息が鬱陶しくて仕方なかったが、カミューは再び行為に集中しようと身を屈めた。
 何度目か覚えていないキスをしながら、その洗いたての身体に改めて手のひらを這わせた。まだ濡れている彼の髪からは殺人的に良い匂いが漂って来る。胸には余分な肉はなく、当然柔らかな膨らみもありはしないが、今まで服の上からでしか知らなかった身体のラインに直に触れるだけで舞い上がりそうだ。
 今すぐこの両脚を割り開いてしまおうか。――そんなことをすればマイクロトフの身体的ダメージが大きい上、もうこうして冷静になろうとする理性さえ保てないかもしれない。
 そうなったらヘタもへったくれもあるか。
 急いではいけない。彼の身体を馴らしてやらなければならない。できれば気持ち良くもさせてやりたい。そして、自分も気持ち良くなりたい。
 しかし実際にはカミューの指先は相変わらず震えたままで、口の中で貼り付いてしまう口唇と舌はマイクロトフの肌にろくな跡もつけられていないのが事実な訳で。
 こんなはずじゃなかったと、カミューは自分の過信を呪い始めた。
 キスするだけで昇天しそうだった。部屋に入ったら最後だと思った。好きな相手にはこんなに不器用で奥手だなんて、過去に彼女への対応でマイクロトフを笑ったことが何と情けなく思い出されることか。
 マイクロトフと言えば、可哀想に裸に剥かれたままじっとカミューの下で我慢を続けている。そう、マイクロトフがしているのは我慢なのだ。まるで自分の身体に虫が這っているのを耐えているように(カミューとしてはかなりショックだが、彼の不自然な身体の引き釣りはそんな感じだった)、じっと我慢をしている。
 気持ち良くさせたいと思っての行動なのに、何もかも裏目に出ている。
 何とか彼の気持ちを高揚させようともう一度キスをしかけて、カミューはふと思いとどまった。
「……マイクロトフ……、つらい?」
 ふいに出した自分の声はみっともない程度に掠れていて、思わず咳払いをしたくなる。しかしすぐ真下にマイクロトフの顔があるため、喉を動かして堪えていると、マイクロトフの頼り無い声が届いた。
「……恥ずかしいんだ。恥ずかしい……」
 それだけ言うのが精一杯だったのか、マイクロトフは見えもしないのに両腕で顔を覆ったようだった。
 マイクロトフの羞恥は全く当たり前だろう――カミューは自分の中で主張する欲を宥めながら、決心したように深く息を吐く。
「……マイクロトフ、正直に言う。私も恥ずかしい」
「え……」
「こんな余裕ないの初めてなんだ。ただ目を閉じてていいなんて言ったけど、リードできるかどうかも分からない。ひょっとしたら辛い思いさせるかもしれない」
 ひょっとしたらではないだろうな。カミューは囁きながら自分の分かりやすい下半身に項垂れる。
「嫌? どうしても嫌なら……、その、何とか……」
 ここまで来て途中でやめるのははっきり言ってかなり辛いものがあるのだが、このまま進めても失敗して終わってしまうかもしれない。すでにカミューの心と身体はばらばらに主張していて、コントロールはめちゃくちゃだ。完璧な「へたくそ」状態だ。
 マイクロトフにへたくそ呼ばわりされたらもう立ち直れないかもしれない。大体負担がかかるのは総じてマイクロトフ側だ。このまま続けて、この関係はうまくいくのだろうか。
 カミューはこの提案を持ちかけた時点で、マイクロトフが同意するものとばかり思っていた。あれだけ抵抗していた彼だから、「嫌だ」と答えるものと思い込んでいたのだ。
 だから、マイクロトフの次の言葉には心底驚いて聞き返したのだ。
「……嫌じゃないわけではないが、優しくされるより……我慢しやすいかもしれない」
「……大丈夫?」
「さっきお前が自分で大丈夫だって言っただろう」
「そうだけど……、そうか、そうだな……」
 意外にもマイクロトフに説かれる形になり、カミューは何だかよく分からない納得をした。
 大丈夫かな。一度そう思うと宥めかかっていた欲がむくむくと起き上がって来る。大丈夫だよな。大丈夫だ。
 立ち直りの早い現金な自分にほとほと呆れつつも、カミューは再び再燃した想いに身を任せようと決意した。健気な言葉をくれた彼にお礼のつもりでキスをして、少し身体を起こす。今までマイクロトフばかり脱がせていたことを思い出して、自分のシャツに手をかけた。
 上半身に部屋の冷気が当たると、やはり鼓動が速くなる。さあ、気合いを入れなければ――カミューは渇いた口唇を舐めて、脱いだシャツを布団の脇に放り投げた。






うう、読んだら分かりそうですがこの回ちょっと難産でした……
何回か書き直したけど本にする時更に変わりそうだ……。
しかし引っ張るなあ。引っ張ってこそのうちのリーマンか……。