さて、ビデオショップから出て移動すること三十分、社とアキラはとあるアパートの前にいた。 「ここは?」 「ちょっと待っとけ。……もしもし? ああ、俺や俺」 社は携帯で誰かに電話をし、頼みごとを始めた。 「またちょっと借りたいんやけど。え? 今日彼女んとこから帰らん? ああ、ええよええよ。鍵いつもんとこやろ? 部屋だけ借りるさかい」 じゃあなーと電話を切った社を、アキラは不思議そうに見上げていた。 アパートの一室に向かいながら、社は説明を始める。 「ここな、中学ん時のダチの部屋なんや。俺らの年で一人暮らししてるやつって珍しいやろ。そんで仲間の溜まり場になってるんや」 「へえ。悪の巣窟か」 「……。……まあ、そんな訳で、エロビ見るにはうってつけやから。アイツ今日は帰って来いへんらしいし」 「ボクは別にキミの家でも構わないが」 「実家暮らしに無茶言うな」 社は手慣れた様子で、古びたドアの郵便受けをかぱっと開け、そのフタの裏に貼り付けられていた鍵をとった。 「無用心だな」 「盗られるものもほとんどないからなー」 あっさり開いたドアに、まずアキラを押し込んで、続いた社はため息をつきながらドアを閉めた。 そう、この部屋は今日みたいに、ちょっとした悪巧みによく使っていた。鍵だってこうして仲間うちで自由に開けられて、部屋の主は年上の彼女といちゃついてることが多いから気兼ねもしない。 (まさか、塔矢アキラを連れてくる日が来ようとは夢にも思わんかったけどな!) やさぐれ気味に肩を怒らせ、乱暴に靴を脱ぐ。隣に揃えてあったアキラの革靴を軽く蹴っ飛ばしてやった。これくらいしたってバチは当たるまい。 部屋は六畳半の狭いワンルーム、築年数も相当のため駅には近いが家賃もお手頃。小さなテレビの電源を入れ、これから始まる心重いレッスンに社の表情は暗い。 囲碁界のプリンス塔矢アキラが、AV見て男同士のセックスの勉強します! なんて世間に知れたらどうなってしまうんだろう。 (……塔矢先生、折角落ち着いとるのにまた発作起こすやろなあ……) 小汚い部屋が珍しいのか、きょろきょろと部屋を見渡すアキラは憎らしいくらいに純粋な顔をしている。 勉強する気満々のこのおかっぱ男は、先程泊まる予定のホテルにちゃっかりキャンセルの連絡を入れていた。キャンセル料は棋院からせしめる気なのかどうかは分からないが、分かるのはここに一晩身を置く決意をしたということだけである。 腹を決めた社は、ここに来るまでに寄ったコンビニで購入した袋の中身をどんどん取り出し始めた。 アキラが次々出てくる缶ビールを見てぎょっとする。 「社、未成年だろう」 「黙っとけ! そもそも十八歳未満がこんなビデオ借りてる時点でアウトやろが!」 「……そういえばそうだな。キミ、どうやって借りたんだ」 「……あそこは親父が会員なんや」 見た目が十八歳未満に見えないため、今までもこんな悪さをしたことはあったが。 だが、今までのは全て自己責任だ。こんなおかっぱに脅されてビデオを借りたなんてことはない。一度たりとてない! 「お前はこれでも飲んどけ! 俺はシラフじゃやっとれん!」 社はアキラにウーロン茶のペットボトルを押し付け、缶ビールのタブを勢い良く引いた。パシッと小気味良い空気の破裂音がしたと同時に、缶に口をつけた社はぐーっと一気にビールを煽る。 数回喉が上下した後、ぷはっと腕で口を拭った社は、気合充分ビデオをセットした。 画面を食い入るように見つめるアキラの目には、碁盤を睨んでいる時の真剣な眼差しに通じるものがある――社は畏怖すら抱いて目の前の異様なおかっぱを眺めていた。 「社、とめてくれ」 アキラの合図でビデオを一時停止する。 先ほどから何度か繰り返されたこの合図に、社は頭よりも先に身体が反応するようになってしまっていた。 「もしや、これがフェ……なんとかというものか?」 画面では金髪ショートカットの女優が口いっぱいにモザイクを頬張っている。 「……フェラチオや。」 「そう、それ。これは通常女性がやるものかと思うが、ボクらの場合はどっちがしたらいいんだろう」 「……どっちでもええんちゃうか。やりあっこしたらええやないか」 自暴自棄にそう答えた社の前で、おかっぱは両眼に本気の炎を灯らせて何かしら妄想し始めた。 「やりあっこ……」 うう、と呻きながら眉を顰めたアキラは、ほのかに顔を赤らめて首を横に振った。 「そ、そんなことされたらボクは死んでしまうかもしれない」 「お前、頼むから囲碁界に不名誉な伝説刻まんといてな」 塔矢アキラ、口の刺激に耐え切れず昇天! ――おおいやだ。 社は先ほどから二缶開けてもちっとも酔えないビールをぐびっと口に含み、笑えない想像にはっと鼻を鳴らす。 「まあ、どっちかだけがやらなあかんもんでもないから、その辺は男同士で得した思っとったらええんやないか。アイツにやってやる代わりにお前もやってもらえばええやん」 「進藤が……ボクの……ボクのベルトに手をかけて……あの可愛い口で……?」 「妄想するのは勝手や、俺もとめたりせん。せやけどこっちも否応なしに想像させられるような呟きは頼むからやめろ」 はーっと深く息を吐き、社は続きを再生する。 さっきからこんな調子だ。 ヒカルがこの様子を知ったら何て言うのだろう。 (……怒るやろな、あいつ) まさか自分との情事をこんなふうにアキラが勉強しているとは夢にも思うまい。現に、社は「進藤にだけは」ときつくアキラに口止めされている。勿論、ヒカルに「だけ」のはずがなく、誰に告げることもなく墓場まで持っていかなくてはならない機密事項だということも了承済みだ。 男同士というだけでも大変だろうに、難儀な相手に惚れたものだ――北斗杯終了後、塔矢邸で別れた時のヒカルの幸せそうな顔を思い出すと目尻が熱くなってくる。 (進藤、頼む。世の中のために犠牲になってくれ。コイツを留めておけるのはお前しかおらへん) 「社、とめてくれ!」 ああもう、またかいな。 ひっそり呟いて、社がとめたシーンはごく普通の正常位での本番だった。 そういえば、動きがどうとか言ってたな――社がアキラの言葉を反芻していると、アキラもまた「この腰」とビデオに映る男優を指差した。 「こんなふうに動かして、どうしてもつんだ?」 「もつ? もつって??」 「その……、ボクは……、その」 赤い顔で口ごもるアキラに、社はピンときた。 「……お前、早いんか」 ドカッ! アキラが殴った畳の床が拳の形にめり込んだ。俯いたおかっぱの前髪で表情が見えない辺りがより怖い。 ガタガタを歯を鳴らしながらも、社は自分を守るためにフォローの言葉を探す。 「そ、それは慣れや、慣れ! 最初はしょうないもんや、お前は進藤が初めてさかい、興奮すんのもしゃーない!」 「……仕方のないものなのか」 少しほっとしたように顔を上げたアキラの表情に、社もまた心底ほっとする。 「ま、まあ、早いって言うても人それぞれやし……どんくらいもつ?」 「うーん……さ、三十秒くらい?」 早すぎやろが! ツッコミを口にしなくてこれほどまでに命拾いを実感することは滅多にない。 社は厄介な元チェリーボーイを前にして、普段は見事なまでに大人ウケの良い好青年を演じられるのに、ヒカルが絡むとどうしようもない浮かれっぷりを見せるこの男に判断を下した。 「多分……お前、最初に興奮しすぎなんやろ。いざ挿れるっちゅう時に限界ギリギリやから、挿れた途端爆発するんや」 「そう、まさにそうだ!」 大真面目にくそ恥ずかしいことを同意するアキラが、なんだか涙で霞んでしまう。社は三本目のビールをぐっと煽り、いよいよ覚悟を決めて指導に熱を入れ始めた。 「野菜や。進藤の身体を野菜やなんかと思うんや。野菜撫でまくってると思えばそこまで興奮せへんやろ」 「や、野菜……」 アキラはまた何かしら想像し、くっと眉根を寄せる。 「か、かなり難易度が高い……! あの滑らかな肌を野菜だなんて……!」 「阿呆! これができんといつまでも前に進めんで! 野菜でも果物でも何でもいい! とにかく進藤を進藤を思うな!」 アキラはごくりと息を呑み、たどたどしくはあったが真直ぐな目で頷いた。 「これがうまくいけば、三十秒から二分にまで延ばせると俺は見ている……」 「に、二分!? そんなことが可能なのかっ!」 「まだや!」 ぱあっと輝きかけたアキラにびしっと人差し指を突き出し、社は据わった目でアキラを睨みつける。 「余裕持った状態で、さあ挿れました。問題はそこからや。イきそうになる度に、なるべく関係ないことを考える。気を逸らしてちょっと萎えたらまた腰動かす。この繰り返しで、努力次第では二分どころか十分を超えられるはずや」 「じゅ、十分の壁を……!」 社の言葉にショックを受けるアキラだが、すぐに首をぶんぶんと横に振る。 「だめだ、前もそうやって注意を逸らそうとしたんだが、進藤があんまり色っぽい声を出すから、」 「それを遥かに凌駕するもんを想像せい!」 「は、遥かに……」 アキラは顎に手を添え、真剣に考え始める。だがすぐに行き詰るのか、くっと呻いて目を瞑ってしまう。 社はぐびっと缶に残ったビールを飲み干し、腕を組んでアキラを見据えた。 「とっておきを伝授したる。……裸エプロンの緒方十段・碁聖」 「おが……!」 アキラの額にさっと青みが刺した。愕然とした表情のアキラは一瞬息をとめ、しばらくあとにはあはあと肩で荒く呼吸する。 「な、なんて破廉恥な……! 破壊力抜群だ……! こ、これなら萎える……!」 「桑原本因坊とどっちか好きなほう選べ。……これできっとお前は十分の壁を越えられる……」 「社……!」 部屋の真ん中で馬鹿二人、目をきらきらさせながら心底本気でそんなことを話し合っているこの世界は平和なのだろう。BGMにはAV女優の喘ぎ声。 「次や次! 腰の動かし方があまーいっ!」 「こ、こうか!?」 「違ーうっ! もっとシャープに、こうやこう! そんなんじゃいつまでたっても進藤はイかへんでっ!」 ……夜は更けていった。 翌朝、ほとんど一睡もしていないくせに、妙にすっきりとした表情でアパートを出た塔矢アキラは、初めての関西棋院での手合いで中押しの快勝を果たし、いそいそと大阪を後にした。 社といえば、前日からの指導疲れと二日酔いで、アパートの部屋に転がっているところを帰宅した本来の主に発見され、あわや救急車を呼ばれる大騒動に発展しかかっていた。 |
社も壊れました。哀れな。
最早何もコメントできない。私が切腹だろう、これ。
何も知らずにアキラの帰りを待ってるヒカルが不憫です。