「塔矢! お前、支度してイベント行け!」 どたどたと品のない足音を立てて寝室に戻ってきたヒカルに、脱ぎ散らかしてあったヒカルの服を身に着けてベッドに腰掛けていたアキラはぎょっとした。 「正気か? ばれたらどうするんだ!」 「誰もお前と俺が入れ替わってるなんて思いやしねえよ! 俺だってまだ信じらんねえんだから!」 確かにそうだと納得しかけたアキラは、いや待てと動きを止める。 「だが、明日は両親が来るんだ! さすがに息子のボクの様子がおかしいことに気づくだろう!?」 「しょうがねえじゃん! なるべく大人しくするから! お前だって仕事に穴開けたくねえだろ、俺らプロなんだから!」 この言葉は思いのほか効果的だったようで、アキラは胸に手を当ててぐっと声を詰まらせた。 そうして無言の睨み合いを数秒ほど経て、やがてアキラは険しい顔のままふうとため息をつき、静かに頷いた。 「分かった。……やってみよう。しかし、何よりもまず……」 「まず?」 「……服を着てくれ、進藤」 「……」 慌しい準備が始まった。 「スーツはこのケースに入れて、ネクタイはこれ、新幹線のチケットはここに入ってるから……!」 「うえ、こんなだっせえネクタイ持ってくなんて冗談じゃねえよ、俺のやつしてく!」 「だ……!? し、失礼な! 第一キミのをして行ったら怪しまれるだろう!」 「マジかよ〜……嫌がらせかよお前……。大体このおっさん臭いケースもやばすぎ、こんな仰々しいのに入れなくったってスーツに皺ついたりしねえよ!」 「お、おっさん……!? き、キミというやつは!」 「うおお、この靴下もやべえ!!」 「進藤〜〜!!」 かと思えば、 「とりあえず荷物は揃ってるから、このリュック持ってって」 「これか……重い! なんだこれは!? 無駄なものばっかり入ってるじゃないか! マグネット碁はともかく、なんでトランプまで持っていくんだ!」 「い、移動中とか暇な時に遊ぶんだよ! 今回は和谷も一緒だし!」 「それになんだ、この発信機みたいなものは!」 「お前iPodも知らねえのかよ!」 「大体この格好は何だ、お客さんの前で指導碁を打つんだろ!? こんなよれよれのズボンで……!」 「ズボン言うな、ジーンズって言え! いいんだよ、俺はいっつもそんな格好なんだから! 今更スーツ着ていったら絶対怪しまれるだろ!」 ぎゃあぎゃあとお互いの格好にそれぞれ文句をつけあい、それでもやっとのことで支度を終えた二人のうち、ヒカル(中身はアキラ)が先行で出かけることとなった。 履き慣れないスニーカーに苦戦しているアキラを苛々と見守り、ヒカルは落ち着かなく足踏みする。 「いいか、駅で和谷と待ち合わせしてるから。風邪気味っつってあんまり余計なこと喋んなよ。」 「分かってる。ボクはうまくやる……キミこそ、明日の手合い負けたらただじゃおかないぞ。」 「わ、わーってらい」 ようやくスニーカーを履き終えたアキラは立ち上がり、重そうなリュックを背負って(迷いなく両肩にかけたために当然ヒカルに駄目だしされたが)いざ玄関に手をかけた。 「じゃあ、行って来る。戸締りを頼むよ。それから……今日は大阪に着いた後に社と会う約束をしていたから、そっちもよろしく頼む」 「ああ、分かった……って、エ?」 扉が閉まった。 ヒカルは玄関で固まったまま、遠ざかる足音を耳に呆然と立ち尽くす。 「社……? ……あのバカ、社の前でアイツのフリしろってのかよ……もっと早く言えっつうの……」 ヒカルは歯を噛み締めて顔を顰め、艶やかな黒髪を掻き毟った。 *** 駅へ向かう道の途中、アキラはポケットに入れた携帯電話が震えるのを感じて取り出した。 ストラップが邪魔なごつごつしたモデルは、使い慣れた自分のものではない。 今やこの身体がすっかりヒカルになってしまっているため、ヒカルとして仕事に出かけなければならず、必然的に携帯電話もヒカルのものを持たなければならなくなっていた。 「なんだか覗き見するようで落ち着かないな……」 そんな独り言を呟きながら、重要な連絡だと困るためアキラは二つ折りの携帯電話を開いた。 お互い割り切って携帯電話を預けたのだ。罪悪感はあるが、仕方あるまい。 届いていたのはメール一通、開くと和谷からだった。 『悪い、ちょっとギリギリになりそう。絶対間に合わせるから先に電車乗っててくれ!』 アキラは思わず顔を顰めてしまう。 類は友を呼ぶというが、さすがヒカルの友人といったところだろうか。 時間にだらしないのは感心しないな、と思いながら、ボロが出ないように『分かった』と簡素なメールを返信した。無事に送信完了の画面を確認し、アキラはふとヒカルの携帯電話の受信ボックスに目を留める。 いくつかフォルダ分けされているそれぞれのタイトルは、「受信箱」「囲碁」「友達」「フォルダ3」となっている。「フォルダ3」だけがフォルダ名を変更されていないことを不思議に思ったが、しかし、その「フォルダ3」はフォルダのアイコンが変更されているようだった。 他のフォルダは全て無地の青いフォルダだというのに、「フォルダ3」のみフォルダアイコンにハートマークがついている。 もしかして、と高鳴る胸を宥めながら、アキラは恐る恐るそのフォルダを覗いた。中に並ぶメールの差出人が確かに自分ばかりであることを確認し、思わず緩んでしまう頬をごまかせない。 ――可愛いことするじゃないか、進藤。 にやにやと締まりのない顔でアキラは携帯電話を閉じ、上機嫌で駅へと軽やかに向かって行った。 一方、マンションで一人残されたヒカルはというと。 「ああ……しまった……」 アキラに携帯電話を預けたものの、フォルダのアイコンを直すのを忘れていた。 アキラのことだから、目敏く見つけてニヤニヤしているだろう。とんだ弱味を握られたと、悔しさと恥ずかしさでヒカルはソファの上でじたばた暴れた。 柄にもないことするんじゃなかった。――でも、フォルダを個人名にするのは照れくさかったし、かといってそのままなのも味気ないし…… 「あ〜、ハートなんてつけるんじゃなかった!」 クッションを振り回しながら埃をまき散らすヒカルは、ふとリビングテーブルに乗っているアキラのシンプルな携帯電話を見つけて動きを止める。 こんなことになってしまったため、お互い携帯電話を交換したのだ。プライベートアイテムをそっくりそのまま預けることに抵抗がないわけではなかったが、仕事の連絡が入った時にまずかろうということで、この際仕方がないと腹を括った。 そのため、ヒカルの手元には当然アキラの携帯電話がある。ストラップも何もついていない、黒くて薄い携帯電話を取り上げ、ぱちんと開いてみた。 一応恋人同士であるし、ヒカルはアキラを、アキラもヒカルを信用している。多少の葛藤はあれども携帯を預けたのは相手を信じているからだ。 でも、万が一……よからぬ痕跡が携帯電話の中に残っていたとしたら…… 「……ありえねえよなあ……」 自分に言い聞かせるように呟き、ヒカルはほんのり頬を赤らめた。 まるで亭主の浮気をチェックしようとしている妻のような気分になり、口元を渋く歪ませつつも、恐る恐るメール画面を表示させてみた。 ――もし、何か連絡が入ったらどっちみち開かないとならないし。それにやましいことがないから俺に携帯渡してくれたんだろうし…… そんな言い訳を頭の中で繰り返し、いざ奥へと入り込んだ受信ボックスのその内訳。 ・受信箱(0) ・進藤ヒカル(500) アキラの携帯電話は横にメール件数が表示されるタイプだった。 ヒカルは無言で携帯電話を閉じた。 |
また社か……!
という叫びがあちこちから聞こえて来そうです。
本編の二人とはまた別物の二人ではあるんですけど。
ラストまでほぼこのテンションで行きますから。