キャンディ






 きらきらした金色の前髪の輝き。ふっくらした頬の柔らかそうな紅。
 大きな瞳に大きな口、にっこり笑ってつやつやした笑顔が、いつもいつも眩しかった。
 大好きなふたつ年下の幼馴染。
 ちょっと、いやかなりお転婆で手足に傷が絶えることはないけれど、じっとしていない元気なところも可愛らしくて大好きで。
 ボクが守ってあげるんだ――胸に誓った幼い頃、顔を真っ赤にして挑んだ一世一代の告白。


 ――おおきくなったら、ボクのおよめさんになってくれる?

 ――うん、いいよ!


 呆気なく返ってきた返事に、生まれて数年の人生で早々と天にも昇る心地を味わった春の到来。
 そして膨らんだ夢は、帰宅後に母のあっさりした言葉で打ち砕かれた。


 ――あらアキラさん、ダメよ。ヒカルちゃんは男の子ですもの。男の子同士で結婚はできないのよ、残念だったわね。


 ……満開だった花が全て枯れ草となった五歳の冬。
 幸せは儚かった。




 それから半年と経たずに女の子と思い込んでいた想い人は引越し、一度も顔を合わせることなく月日だけが流れて早十年。
 偉大な棋士である父親の教えを受け、人々から囲碁の神童と謳われていたアキラは一年前にプロ棋士となり、仕事と学業を両立させながら日々をストイックに過ごしていた。
 棋士として忙しく活動しながら、成績は学年で一、二を争う優秀な頭脳。おまけに容姿も整っており、大人びた立ち振る舞いに礼儀も正しいとあっては自然と女生徒からの人気も上がるのだが、幼い頃のトラウマが原因のせいか本人は色恋にはとんと興味がないようだった。
 次々と刺客のように現れる学園のアイドルたちをばっさばっさと切り捨てては、囲碁の道に邁進し続けるお堅い中学生。良くも悪くも周囲から一目置かれる存在になってしまったアキラは、周りの評判など気にせずにマイペースぶりを貫いていた。
 あと一年で煩わしい義務教育を卒業できるという三年生の年に、そのマイペースが乱されることになるとも知らず。




 ***




 放課後を向かえ、ぞろぞろと教室から出てくる生徒たち。帰宅する者、部活に向かう者など目的地は様々だが、面倒な授業が終わった開放感から誰も彼も騒がしいお喋りを控えようとしない。
 ざわざわと賑やかな廊下の中、颯爽と歩いていく男子生徒が一人。
 顎の高さで揺れる艶やかな黒髪、きりっと目尻の上がった涼しい眼差しを真っ直ぐ前に向け、背筋を伸ばしてしゃきしゃき進んでいく凛々しい横顔に、男女問わず生徒たちが目を奪われていく。
 美しい顔立ちだが、柔らかい笑顔が乗っていない今は少々冷たく感じられ、近寄り難い雰囲気を撒き散らしていた。
 混雑していた廊下にすっと道が開く。まるで割れた海の中央を突っ切っていくような一見異様な光景にも、当の本人は眉ひとつ動かさない。
 羨望、嫉妬……そんなものが入り乱れた視線の中、無に近い表情だったアキラの眼差しがふいにぴくりと揺れた。
 どこからか、ばたばたと乱雑な足音が聞こえてくる。
 加えてまだ声変わり前の少女めいた甲高い声で、本人のイメージとは若干ずれた呼びかけが廊下の向こうから――

「アーキーラー兄ちゃ〜ん!」

 学校中に響き渡ろうかという大声で、小さな少年が叫びながら猪のように突進してくる。大きな口をぱかっと開け、笑顔全開の悪びれなさに周囲が呆気に取られるほど。
 早足で廊下を進んでいたアキラの靴音が止まる。近づいて来る奇声を立ち止まって待ち構えるつもりかと思いきや、くるりと振り返って走り出し、アキラ目掛けて駆けて来た塊をがっしり捕まえると、人目を振り切るようにそのまま逆方向へ走り去った。
 小さな台風が通り過ぎた後のように、残された生徒たちが彼らの残像を追って呆然としていた。


 人通りの少ない場所まで全速力で駆け抜けたアキラは、周りに誰もいないことを確認してから少年を解放し、真正面から怒鳴りつけた。
「何度言ったら分かるんだ! あの呼び方はやめなさいと言っているだろう!」
「だって、アキラ兄ちゃんはアキラ兄ちゃんだもん」
「いくつになったと思ってる! 人前ではちゃんと塔矢さんと呼びなさいと、あれだけ教えただろう!」
「じゃあ、人前じゃなきゃいいんだ」
 にやっと笑う少年の悪戯っぽい笑顔はなんだかあどけなく、アキラは脱力して両肩を下げる。 
 相手が子供っぽいのは仕方がない。つい二ヶ月前まで小学生だったのだから。
 ついでに、いかに大きな目が魅力的だろうが、まだ丸みの取れていない頬が愛らしかろうが、しっかり黒の学生服を着込んでやんちゃな笑顔を見せる彼は紛れもない少年だった。
 もう昔のように女の子と間違えることはない。
 昔のように。……そう、昔は彼が可愛らしい女の子だと信じて疑っていなかった。事実を知らされた後も、母親が嘘をついているのではないかと子供心に猜疑心を芽生えさせたりして――
 しかし母の言葉は嘘ではなかった。時の経過は残酷だ。
 アキラは先月、アキラの通う中学に新入生として入学してきた初恋の君と再会した。進藤ヒカル。ふたつ年下の幼馴染。
 引っ越して以来一度も逢うことのなかったヒカルが、あの時のヒカルだとすぐに分かったのは、彼の特徴的な前髪のためだった。
 幼い頃から不思議に思っていたヒカルの前髪。太陽の光を浴びて金色に透ける髪を不思議に思いながらも、アキラはあの綺麗な色がとても好きだった。
 だから大勢の新入生が並ぶ体育館で、古き良き思い出の中の大切な人と同じ髪をしたヒカルを見つけた時、アキラは思わず目を剥いたのだ。――まさか、あれは。
 ところが気配を感じたのか、振り向いたヒカルもまたアキラを見て目を輝かせた。

 ――アキラ兄ちゃん!

 体育館が割れるかと思うような大声だった。
 本人に自覚はないが、アキラもまた特徴的な髪型をしていた。幼い頃からずっと変わらない顎の長さの黒髪おかっぱスタイルは、ヒカルにとっては実に分かりやすい目印となったらしい。
 学内では孤高の人として名の知れていたアキラに向かって、やけにフレンドリーな態度を見せるヒカルと、そして懐かしい呼び名で呼ばれた途端に真っ赤になってしまったアキラに、好奇の視線が集中することとなった。
 それ以来、アキラはヒカルに何度となく注意を繰り返しているのである。
 困ったことに、姿はしっかり少年らしくなったヒカルだが、無邪気で甘ったれた人懐っこさは当時のままだった。十年も前に近所に住んでいたお兄ちゃんがアキラその人だと確認した途端、人目も気にせず刷り込みを受けた雛鳥のように、アキラに引っ付いて回り出したのだ。
 アキラだって自分のイメージがどういうものか理解している。そして、その近寄り難いイメージのおかげで煩わしい取り巻きがこれ以上増えずにいてくれることも。
 ここで兄ちゃん兄ちゃんと慕われて目尻を下げるわけにはいくまい。アキラは培ってきたイメージを保持するべく、ヒカルを黙らせようと躍起になっていた。
 ……が、理由はそれだけではなかった。






やり過ぎだろうかとビクビクしながら……
あまり年下色の強いヒカルはやったことがないので
いろいろ空気読めてなかったらすいません……!