泣き声が落ち着いた頃、アキラはヒカルの背中を撫でる手を止めずにそっと謝罪を口にした。 「ごめん」 ヒカルが静かに顔を上げる。濡れた白目が桃色に染まった様子は見ていて痛々しかった。 申し訳無さそうにヒカルの髪に触れながら、アキラはもう一度ごめん、と囁いた。 「事情を知らなかったとはいえ、ボクはキミに酷いことを言った。思い上がりも甚だしい……久しぶりに逢ったキミと打つことだけを純粋に喜ぶべきだったのに、ボクは自分勝手に要求を押し付けるばかりで」 「アキラ兄ちゃん」 「本当に、すまなかった」 頭を下げると、ヒカルがまだ止まり切っていないしゃっくりのように喉を鳴らしながら、慌てて首と手を振った。 「や、やめろよ、怒るの当然だよ、だって俺嘘ついてたんだし」 「それでも、結果的にボクが佐為を消したのも同然だ」 「違う! そうじゃねえよ! アキラ兄ちゃんのせいじゃない!」 ヒカルはアキラの肩をぐいと引っ張り、無理矢理に顔を上げさせる。 そして、哀しみは残るがきっぱりした目でアキラを見つめた。 「アキラ兄ちゃんのせいじゃない。謝んないで。佐為がいなくなって、アキラ兄ちゃんにも頭下げられたら、俺どうしていいか分かんねえよ」 「ヒカル」 「でも……、でも、俺な、ホントに本気で打ったんだよ」 小さな訴えにアキラははっとする。 治まっていたヒカルの瞳の水面が、再び緩やかに盛り上がり始めた。 「それだけ、信じて」 「……ヒカル……」 欲しいのは謝罪などではない――ヒカルの意思を汲み取ったアキラは、先ほど二人で打った碁の前半部分を頭の中で並べ直した。 確かに拙い碁だった。経験が少ないのか、相手の思惑を読み切れていない単調な攻め方にはまだまだ改善の余地がある。 しかし、時折はっとするような手もあった。思い掛けないところに狙いを定めて来て、それまでがあまりに捻りのない打ち筋だったために余計に惑わされ、次の一手を考えることが数回あった。 あれがヒカルの力の断片なのかもしれない。 ひょっとしたら、このまま腕を磨いていけば化ける可能性もある――アキラはヒカルに向かってゆっくりと頷き、はっきりと告げた。 「信じるよ」 ヒカルの表情から緊張が緩む。弾みで落ちた涙をアキラが指で拭ってやった。 家に帰ろう、と優しく諭すと、泣き腫らした真っ赤な顔でヒカルは小さく頷いた。 「アイツ、家に帰ってないかな……」 ぽつりと呟いた頼りない言葉に、そうだといいね、と同調する。 弱々しく伸ばされた指を握り返し、アキラはヒカルの手を引いて帰路についた。 気が紛れるだろうかと佐為のことを尋ねると、ヒカルは少しの間身体を共有していたという相手について薄ら笑みを見せて話してくれた。 「すげえ子供っぽいんだ。とにかく碁ばっか。でもホントに強かったんだよ」 自分を棚に上げて子供っぽいと称するヒカルに苦笑しながら、アキラは話を合わせてやる。 「ああ……ボクも完全にやられた」 「佐為、アキラ兄ちゃんのこと褒めてたよ。絶対まだまだ強くなるって。ヒカルも見習って強くなりなさいって……」 そう掠れた声で呟いたヒカルは、佐為のことを思い出しているのか、暗い表情で遠くを見つめる。 アキラが横目でヒカルの様子を心配そうに伺っていると、ヒカルは独り言のように声を上げた。 「そうだ、俺なんか全然なのに、生意気なこと言ったから……佐為が呆れたのかも」 「生意気……?」 聞き返すと、ヒカルは微かに頷く。 「俺、さっきの対局で……佐為に言ったんだよ」 ――そこでツグ前、もしアキラ兄ちゃんがこっちに打ってたら、佐為の負けじゃん―― アキラの足が止まる。 突然立ち止まったアキラを不思議そうに見上げるヒカルに、アキラはごくりと唾液を飲み込んでから聞き返した。 「……どの場面だ?」 「あの、最後のほうの右んとこ。佐為が隅をツイで、その後アキラ兄ちゃんが……」 一瞬で頭の中に棋譜を広げたアキラは、ヒカルが指摘した部分まで展開を進めて愕然とした。 そして、ヒカルの案がどれほど終盤で効果を発揮したのか、予想できた結末に胸を熱くする。 「俺みたいなヘボが偉そうなこと言ったから、佐為が怒ったのかも。アイツ、碁にはホントに真剣だったから。でも俺、ちゃんと考えたんだよ……」 「……、いや……」 ヒカルの言葉をやんわり遮り、アキラはそっと首を横に振る。 「そんなことはないよ……」 アキラには一度も姿どころか気配さえ感じることのできなかった相手だが、佐為の驚愕と感動が胸に響いてくるようだった。 ひょっとしたら佐為が消えたのは、彼自身の怒りではなく、ましてやヒカルに詰られたからなどではなく、もっと他の理由―― ふと、何かに引かれた気がしてアキラは背後を振り返った。闇が続く道の先には何の姿も見えなかった、しかし。 『ヒカルを、頼みます』 優しくも儚い声が、微かに聴こえてきたような気がしたのだ。 *** 翌日、ヒカルの様子を心配して放課後に教室を尋ねたアキラは、思いのほか元気そうなヒカルの笑顔を見つけて唖然とした。 一緒に帰ろうとせがまれ、訳が分からぬまま頷くと、ヒカルは途中までではなくアキラの家までくっついてきた。 仕方がなくアキラが部屋に招いてやると、ヒカルは何かを握っているように緩く作った拳を見つめながら、笑顔の理由を話してくれた。 「夢にさ。佐為が……出てきたんだ」 傍にいた時と同じ、とても優しい笑顔で現れた佐為。 手にしていた扇子をヒカルに手渡し、アキラと二人で強くなりなさい、とエールを送ってくれたのだという。 「アイツ、笑ってた。いなくなるの、淋しいけど……でも、一人じゃないって、言ってたんだ」 ヒカルはアキラの部屋に置かれた碁盤を振り向き、静かに微笑んだ。 「打てばいつでも逢えるからって……」 その少しだけ大人びた横顔に、確かに幼い頃に追いかけた小さな笑顔の面影があった。 一瞬目が眩んだように瞬きしたアキラは、何故か熱くなる頬の赤味を悟られないように僅かに目を逸らしながら笑い返す。 ヒカルは元気良く顔を上げ、アキラに向かって今度は子供らしくにっと笑うと、畳を四つん這いに前進してアキラの隣にずいと近寄ってきた。 「俺、強くなるために頑張るから。だから、これからよろしくな、アキラ兄ちゃん」 よろしくという挨拶が、てっきり囲碁のみに関してだろうと思い込んでいたアキラが「ああ」と頷いた瞬間。 止まる気配がなく近寄り続けたヒカルの顔が、ひょいと伏せがちだったアキラの顔の目の前に現れた。 あまりの近さにアキラが声を失う。 おまけに、目の前で見るヒカルは少年の顔立ちではあったが、かつてアキラが大好きだった大きな瞳と柔らかそうな頬は昔と変わらず、思わず懐かしい記憶が頭を駆け巡り始めた時。 「アキラ兄ちゃん、小指」 ヒカルが何かを催促する。 アキラは訝しげに眉を寄せたが、ヒカルが自ら小指を立ててアキラの前に突き出したのを見て、思わず右手の小指を差し出した。 するとヒカルはアキラの小指に自分の小指を絡ませ、再びにやっと笑う。 まさか、と頭に浮かんだ過去の映像を検証する余裕はなかった。 「俺、約束覚えてるよ……」 そう囁いた桃色の口唇が、目の前に迫る。 あっと声を上げる間もなく、ちゅ、と柔らかい感触がアキラの口唇を包んだ。 見開いたアキラの瞳が見たものは、ふっくらした桜色の頬と、きらきら眩い前髪の金色―― ――おおきくなったら、ボクのおよめさんになってくれる? ――うん、いいよ! 耳の先まで真っ赤に染めて思考を停止させたアキラの前で、ヒカルの十年前と変わらない悪戯っぽい笑顔が輝いた。 |
30万HIT感謝祭リクエスト内容(原文のまま):
「学園モノパラレルで、アキラがヒカルに
ベタ甘なお話しが読んでみたいです(≧∀≦)♪♪
ヒカルも甘えん坊だと嬉しいです!」
うおおまたやってしまった……
たぶんリクエスト通りの内容になるのは、
このお話の「その後」の二人ではないだろうか……?
きっと続きを書いたら甘ったれヒカルと
ぶつぶつ照れながら甘やかすアキラさんが見られるかと。
その一歩(数歩?)手前ですいません……!
しかし子供っぽいヒカは楽しかったです!
リクエスト有難うございました!
(BGM:キャンディ/BUCK-TICK)