セミナーでの指導後やら大盤解説やらそれぞれ仕事をこなし、無事に帰路についた新幹線の中。 夕べ泊まった旅館の話をしていたヒカルとアキラは、しっとりと思い出される艶かしい温泉宿での熱い夜に僅かばかり興奮してしまった。 そのままヒカルは自宅に帰らず、誘われるまま塔矢邸に引きずり込まれて。 昨夜に負けず劣らず狂おしい夜を過ごした翌朝―― ヒカルはわが目を疑った。 まだ寝ぼけてやがると何度も目を擦ったり、頬っぺたを抓ったり思い切り叩いてみたりした。 しかし幻と思いたい隣の男の格好は夢のように儚いものではなかった。 昨夜の名残そのままに素っ裸で眠っているアキラ。 珍しく恋人より早起きをしたヒカルが、綺麗な寝顔を覗いてやろうと目を向けたその姿…… 何故か頭には艶やかな黒毛を湛えた大きな耳が生えている。 ――ええと、これは。新手のプレイか……? 意外な趣味があったもんだとヒカルは首を傾げた。しかも自ら装着して準備万端に眠っているとはどういうことだろう。盛り上がっている時に用意するならともかく、眠った後にこんなものをつけてどうするのだ……? それにしてもよく出来ている、とヒカルはアキラの頭に生えた耳に手を伸ばしてみた。 滑らかな手触り。とても毛並みがいい……柔らかくてあったかい。 (……あったかい??) その時、未だ布団の中にあったヒカルの下半身を何か柔らかなものがそろりと撫でた。 ひゃうっとおかしな声を上げたヒカルが、悪戯した何かを咄嗟に掴む。 これもまた、柔らかくて暖かい。艶々の毛触り…… ヒカルは慌てて布団をめくりあげた。そして目を剥いた。 ヒカルが掴んでいるものは、黒くて細長い――尻尾だった。尻尾。尻から生えている尾。紛れもなくアキラの尻……正確には尻の割れ目の始点部分に黒い尻尾が生えている。 これもプレイの一環かと思い込むには、相当に不自然な生え方をしていた。 まず人工的につけられたものに見えない。紐や何かで縛ってあるならともかく、そういったものが見つからないどころか、明らかに皮膚と繋がって尾が生えているように見えるのだ。 尾の周りの毛が肌色の皮膚に溶け込むように産毛をふわふわと散らしている。尾に生えている黒光りしたビロードの毛の流れは実に美しく、見事だった。 アキラはぐっすり眠り込んでいるが、尾だけはぴょこぴょこと動いている。ヒカルが握り締めたままなのが不快なのか、尾の動きが少し激しくなった。 思わず尾から手を離すと、ひゅるりと円を描くような動きを見せてから尾の先がアキラの脚に添う。膝まで届く長い尾は、生え方といい動きといい、とてもアキラがふざけてつけたものには見えなかった。 そもそもこんなふざけ方をする男ではない。第一、眠っている間にこんな耳と尾を仕込んで何が楽しいのだ。 ヒカルは呆然と恋人の不可思議な格好を見下ろしていた。黒い耳に黒い尻尾。尖った耳はまるで……猫の耳だった。 「……!!」 一気に冷や汗を背負ったヒカルは、慌ててアキラを揺り起こしにかかった。 「お、おい! 塔矢、起きろ! 起きろって!」 がくがくと肩を揺さぶると、アキラの穏やかな寝顔が険しくなっていく。眉間にくっきり皺を刻んで、不機嫌に目を開いたアキラは、半眼でヒカルを睨むと 「にゃあ」 ……と一言鳴いた。 ――今、何とおっしゃいました。 ヒカルが固まる。 「言った」のではない、「鳴いた」のだ。アキラが鳴いた。人の言葉以外でヒカルに返事をした。なんだろうこの面白映像は……塔矢アキラが猫の耳と尻尾をつけて「にゃあ」と鳴いている。 「……って面白がってる場合じゃねえぞっ!」 自分に律儀にツッコミを入れたヒカルは、未だだらだらと布団に転がっているアキラの肩を掴んで無理に身体を起こさせた。 「おい、なんかの冗談だろ!? 塔矢、何とか言えよ! こら!」 がくがくと揺さぶるも、アキラはくたりと首を垂らして不愉快そうな目をヒカルに向けたまま、 「……にゃあ」 ……ともう一声鳴いた。 ヒカルは頭を抱えた。 いつまでも絶望に浸っている場合ではない。 ヒカルはとにかく現状整理だと服を着替え、裸でごろごろしている恋人の成れの果てを引っ張ったり宥めたりしてとりあえずの衣服を着せた。 服の中に尻尾をしまうと窮屈らしく、アキラは服を着るのを嫌がった。にゃあにゃあとうるさい男を押さえつけて、仕方なく下着とスラックスに穴を開けてやった。尻尾を通す出口が出来て本人はご満悦だが、もし正気に戻ったら穴の理由を何と説明すればよいのだろう……ヒカルは途方に暮れた。 「絶対呪われた……」 畳に座り込んで呟くヒカルの傍らで、アキラがごろんと背中を丸めて横になっている。 朝からずっとこの調子だ。人の言葉を発するどころか、行動まで猫そのものである。 耳も尻尾もアキラの意志で動いているようで、触れたときの暖かさは血が通っていることを証明していた。 「やべえよ……ビジュアル的にヤバすぎるよ……」 ため息混じりに見下ろしたアキラの猫姿は、正直「カワイイ」なんてものとは程遠かった。 成人間近のアキラの身体はがっしりとして、身長もヒカルより高い。顔も端整でありながら男らしい精悍さが際立ち、顎まで伸びた黒髪を持ってしてもアキラの外観は実に男性的だった。 そのアキラに猫の耳と尻尾がついて、低い声でにゃあにゃあ鳴きながらごろごろと惰眠を貪っている。視覚的なダメージは相当なものだ。恋人であるヒカルですら直視が耐えられない。変質者そのものである。 「お前……どうしちゃったんだよ〜、頼むから元に戻ってくれよぉ〜……」 呟きに応えるのはぴくぴくと動く尻尾の先だけ。 泣きたくなったヒカルだが、泣いていてもアキラがどうにかなるわけではない。 まず、原因は間違いない。……あの守り神の黒猫だ。 「だからちゃんと謝っとけっつったのに……」 派手に蹴っ飛ばしたくせにろくな謝罪もしなかったものだから、きっと守り神の怒りに触れたのだ。 そう、これは祟りだ。アキラは祟られてしまったのだ。 祟られた本人は呑気に転がっているが、ヒカルはそうはいかない。 なんたって、戻るかどうかが分からないのだ。時間が経てば耳と尻尾が消えるのならともかく、その保障はどこにもない。 しかもアキラは猫語しか話せなくなっている……こんな状態のアキラを誰かに見られてしまったら、大問題どころの騒ぎではない。 本人のイメージに反して踊り狂う「猫耳プレイ」「変態」の新聞記事を想像したヒカルは再び頭を抱えた。 そりゃあちょっとばかり夜に張り切られて「うわっコイツ変態っ」なんて思ったことは二度や三度や数え切れないくらいあれども、本物の変態扱いされてしまうのは恋人として忍びない。 今日の仕事は仮病でキャンセルしたとしても、明日以降もずっと仮病を押し通す訳にはいかなくなる……何よりこんな姿では仕事どころか人前にも出られないではないか。 何とかして元に戻さなくては――ヒカルは拳を握り締める。 戻す方法なんて分からないが、原因だけは分かっている。 まずはあの黒猫を探し出そう……決意を固めるヒカルの横で、アキラは何も知らずにごろんと寝返りを打つ。 畳のひんやり感が心地よいのか、実に満足げに口角を吊り上げて、ぴくぴく鼻を動かしている。とろんと閉じられた目元の緩み具合が何とも幸せそうだった。 いつもしゃきしゃきと背筋を伸ばしているアキラがこんなにぐにゃりと身体を丸めて、畳の上で横になっているなんて……どうやら中身はすっかり猫のようだが、見た目がほぼ人間のために不気味としか言いようがない。 「塔矢……俺、今のお前を愛せる自信がねえぞ……」 ヒカルの呟きも耳に入っているのかいないのか、アキラはすぴすぴと鼻を鳴らしていた。 |
あらゆる期待を裏切った気がする……
かわいらしくできたら良かったんですが、頭の中で想像した若が
随分と育ってしまって、とてもカワイイと言える代物にならなかっ…た…
ヒカルの適応能力の高さも都合良いですがまあ囲碁幽霊と一緒だったしね!<ヤケ